四話・忌み子
御簾の上げられた部屋から覗く夜の庭に虫の音が戻っていた。
不思議な事に、あれ程の騒ぎがあったと言うのに、晶子の元に駆け付ける者は誰一人とおらず、晶子の部屋には晶子と三鬼の二人だけ。
聞けば、この部屋の周囲に結界とやらを張っているらしい。
「…それで、孝子お姉様と私を襲った先程の蔓は何なのですか?それに、近頃、都で噂される鬼とはあなたの事ですか?」
今更だと思いつつも扇で顔を隠した晶子が、畳の上にどかっと座った三鬼を見やって問い掛けた。
「はあ!?何で俺が噂の鬼になるんだよ!?鬼違いだし!」
「鬼違い…。では、噂の鬼では無いと?」
「当然だろ、それが俺だって言うのなら、おまえは今頃死んでるだろうよ。」
「…おまえではありません。私の名は晶子と申します。それで、あなたはその噂の鬼を知っているのですか?」
「知っていると言えば知っているし、知らないと言えば知らないな。」
肩を竦めて答える三鬼に、話をはぐらかされたと思った晶子は扇越しに三鬼を睨んだが、彼はそれ以上答えるつもりは無いらしい。
「…では何故、私を助けてくれたのですか?」
「晶子を助けたって言うより、たまたまアレを追っていたら晶子が襲われていたから助けたって言うのが正しいな。要は偶然さ。運が良かったな。」
にやりと笑った三鬼に、晶子は成程と納得した。
粗野で口の悪い処はあるが、この鬼はきっとお人好しなのだろう。
そうでなければ、偶然とは言え、見ず知らずの人間を―…受けた恩を忘れ、悲鳴を上げて逃げ出すかも知れない人間を、傷一つ付ける事無く助けるなんてしない筈だ。
そんな風に思えば、彼の憎まれ口も照れ隠しの様に思えて、晶子は扇に隠された口元をほんのりと上げると、三鬼に向かって頭を下げた。
「三鬼様、助けて頂きありがとうございました。確かに私は運が良かったのかも知れません。けれど、それも三鬼様が私を見捨てず助けてくれたからこそ。この通り、御礼申し上げます。」
「三鬼様!?お、おう?」
しおらしい晶子の態度に、三鬼は頭を掻くとウロウロと視線をさ迷わせた。
見れば三鬼の耳がほんのりと赤く染まっている。
晶子は扇に隠れてそっと微笑んだ。
「あ―…、ごほん、…それにしても、晶子はここに住んでるのか?孝子とは双子だろ?一緒に暮らしてるんじゃないのか?」
三鬼はわざとらしい咳を一つすると、部屋の中を見渡して尋ねた。
孝子が暮らす屋敷に比べると、こちらの屋敷はこじんまりとしたもので、晶子の部屋の調度も孝子の物より随分と質素な物の様に思えた。
「双子だからこそ、私達姉妹は別々に暮らしているのです。」
「意味が分からないな。何故だ?」
「三鬼様も双子なのでしょう?鬼と人とでは習わしが違うのでしょうか?」
「だから意味が分からないって。何の話だ?」
「人の世では双子を産む事は畜生腹と言って忌み嫌われます。双子も忌み子と呼ばれ、片方は余所へと預けられるのです。それ故、忌み子である私は、祖父が隠居し祖母と余生を暮らす為に建てられたこちらの家へと預けられ、ここで育ちました。」
「何だそりゃ、畜生腹?双子が忌み子?馬鹿言うなよ、子供が二人産まれたんなら、それは二人分の喜びを受け取ったって事だろ!うちの両親はそう言ってたぞ!晶子、おまえも自分の事を簡単に忌み子だなんて言うんじゃねえよ。」
三鬼はそう言うと、腹立たし気に腕を組んでぶつぶつと文句を言っている。
晶子はそんな三鬼を見やって、鬼の世とは随分と優しい世なのだなと思った。
―そうか、だから、この鬼はお人好しで優しい鬼なのか…
家によっては双子の片方は人知れず始末される事もあり、それに比べれば父親の野心の為にとは言え、生かされ、こうやって祖母の家で暮らす事の出来た晶子は運が良いのだが、これを言えばきっと三鬼は余計に立腹するだろう事が分かっていたので、晶子は何も言わず別の言葉を口にした。
「…三鬼様は先程の蔓を追ってこの屋敷に来たと仰いましたが、あの蔓はまだ生きているのですか?」
「うん?ああ、そうだな。操ってるヤツをどうにかしねえと、あの蔓は何度でも蘇るだろうな。」
「では、あの蔓を操っている者が、噂の鬼なのですね。」
「まあ、そう言う事だな。」
三鬼はそれだけ言うとすっくと立ちあがり、廊下に置かれたあざみを拾うと、そのまま庭先へ足を向けた。
そうして、四鬼が孝子の屋敷でやった様に、庭にある古木を見つけるとその木の根元に鍼を刺して振り向き言った。
「この鍼は抜かずにこのままにしておけよ。暫くの間なら、おまえを護ってくれるから。」
にんまりと笑った三鬼は、空を蹴ると晶子に向かって続ける。
「晶子、あざみの花に触るんじゃねえぞ、その花はおまえを傷付ける。今日あった事も、俺の事も忘れちまえ。良いな?」
それだけ言って、ふっと夜空で姿を消した三鬼の言葉を晶子は反芻し、古木に刺された鍼を見つめた。
鍼は星の光りを受け、淡く輝いている。
晶子はもう一度、三鬼の消えた夜空を見上げた。
そこには三鬼の代わりとばかりに、旅人が道標にすると言う星が、あの黄金色の様に煌めくばかり。
三鬼は忘れろと言ったが、晶子には到底忘れる事が出来そうにも無かった。




