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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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四十六話・はつ

「…おかしいな、屋敷の中に人の気配が一切無い。下男や女房達は何処に行ったんだ?」


回廊を歩きながら、三鬼は顎に手をやり首を傾げた。

思えば伊豆が三鬼の結界を解き、傀儡を招いた時も誰一人駆け付ける者はいなかった。

まるで初めから、この屋敷には誰も存在しなかった様に不気味な静けさが漂っている。


徳祐の部屋を覗いた処で、未一刻の八つの太鼓が鳴り終わった。

屋敷を見て周った三鬼は細波君の部屋へと戻ると、待っていた双子姫と宇美に、屋敷の中がもぬけの殻である事を告げた。


「屋敷の中には誰もいなかった。ここには俺達しかいない。」


「そんな…、外にいる者に助けを求める事は出来ないのですか?」


宇美が震えながら言うのに、三鬼に代って孝子が首を振って否定する。


「助けを求めるって誰に助けて貰うつもり?三鬼と四鬼以上に、この場を何とか出来る者はいないわよ。」


「ですが…」


「下手に呼んでも足手纏いにしかならないわ。…ただでさえ、私達が足を引っ張ってるのですもの、これ以上は駄目よ。そうでしょ?三鬼。」


「まあ、そうだな。また種を植え付けられて傀儡にされても困る。だったら、このまま俺達だけの方がマシだろうな。」


三鬼が難しい顔で答えたのを、宇美はがっくりと肩を落とし聞いた。


宇美は正直、鏑木法師に化けていたこの鬼を信じる事を不安視している。

どう見ても異形の姿であるし、彼らの過去を聞き「あざみの鬼」の正体が、どうやら彼らの幼馴染である事も、その不安に拍車をかけているのだ。

だが、目の前で孝子と晶子を救ってくれた事も事実であり、二人が彼らを信じている事が宇美にとっては何より重要な事だった。


「…鏑木様、孝子姫様と、晶子姫様を、どうか護って下さいませ。」


宇美は面を上げると、涙を浮かべて三鬼に縋った。


「ああ。晶子と孝子、そして、あんたの事は俺達が護ってやるから心配するな。」


三鬼が宇美の肩を叩いて言ったのを、宇美は顔をくしゃくしゃにして何度も頷き感謝する。

孝子はそんな宇美を見て困った顔をしていたが、宇美の背中をそっと擦って、彼女が落ち着くのを待っていた。


「…雨が、」


ぽつりと庭に落ちた水滴に、晶子が空を見上げて呟いた。

雲一つ無かった午前中の青空が嘘の様に、黒く厚い雲が空を覆い、生暖かい風に乗った雨が誰かの涙の様に降り始めた。


「…嫌な天気になったな。」


怨霊払いが失敗した事で、都を覆っていた歴代の陰陽師達が張った結界に綻びが出ている。

不浄の気が都を覆い、結界に干渉していた三鬼の『目』も今や使い物にならない状況だ。

そこかしこに悪意を感じながらも、三鬼達は「あざみの鬼」の出方を待つしか無かった。


そうやって幾らかの時が過ぎ、ますます雨脚が強くなる中、屋敷の門を誰かが通り抜ける気配を三鬼は感じた。

静まり返った屋敷の中、足音がゆっくりとこちらへ向かってやって来る。


「一体、誰が…?」


「少なくとも味方では無いだろうな。足音からして一人では無い…二人か?」


固唾を呑む孝子達の耳に、その足音、衣擦れの音は、雨の中でも不思議な程にはっきりと聞こえた。

そうして、やがて現れた人物に孝子達は瞠目する。


「お父様!?」


紫宸殿で怨霊払いを見届ける役目を担っていた筈の徳祐が、突然、屋敷へと帰って来たのだ。当然、儀式が失敗に終わっている事は、紫宸殿にいる陰陽師達にも分かっている筈。

その様な時に、中務省の権大輔である徳祐が一人で屋敷に戻って来る事等、あり得ない話である。


孝子は思わず立ち上がり廊下へ出ると、徳祐へと駆け寄ろうとした。

しかし、その腕を取り彼女を止めたのは三鬼だった。


「止せ。様子がおかしい。」


三鬼の言葉に孝子は息を止め、父親にもう一度目をやった。


土気色の顔には脂汗が滲み、血走った眼には涙が滲んでいる。

口を開き、何事かを必死で訴えているが、その音は言葉に成らず、掠れた空気がひゅうひゅうと漏れ聞こえるばかり。

だらりと下がった手と、何かに操られている様にゆっくりと動く足は、まるで不気味な人形の様で…


「…っ!?」


徒ならぬ徳祐の様子に孝子は足を止めて、思わず出そうになった悲鳴を口元で押さえた。


「お、お父様はどうされたの?」


孝子が三鬼に尋ねるのに、三鬼は目を細めると、徳祐の後ろを指さして言った。


「おまえらの父親は操られているみたいだな…あの女に。」


雷鳴が轟き、何処かに雷が落ちた。

雷光によって照らされた廊下の奥に、いつの間にか壺装束の女が立っている。


女は市女(いちめ)(がさ)を取ると、にこりと微笑んだ。

市女笠を取った女の顔は、至極、在り来たりな市井でよく見る様な女の顔だった。

しかし、その瞳は黒く濡れた黒曜石の様で、真っ直ぐにこちらに視線を向けている。

赤く、紅を乗せた唇がゆっくりと弧を描き、言葉を紡ぐ。


「まあ、あなた達、まだ屋敷に残っていたの?折角拾った命なのだから、もっと大事にしなくてはね?」


小首を傾げた女は孝子と晶子に目を止めると、くすくすと笑った。


「本当はね、あなた達も阿弥姫の様に苦しめて、苦しめて、苦しめて、惨めな姿にして殺してあげようと思っていたのよ?でも、もう良いわ。今はとても気分が良いの。だから、特別に見逃してあげる。」


女はそう言うと、楽しそうに徳祐の腕に己の腕を絡めた。

必死で首を振る徳祐に気にする事無く身を寄せ、無邪気に笑う姿は異常であるとしか言いようが無かった。


「…お前は誰だ?「あざみの鬼」はどうした?」


三鬼が胸元から鍼を出して女に問うた。

女は三鬼を認めると、黒曜石の瞳を丸めて驚いて見せた。


「嫌だわ!そんな「あざみの鬼」なんて他人行儀な呼び方。…()()()()()()なのでしょう?鬼界にいた頃と同じ「法月」って呼んであげて下さいな。」


「おまえ…っ!!」


三鬼が思わず鍼を投げたのを、女はひらりと躱して眉を寄せる。


「初対面の女人に向かって随分と乱暴ですのね、三鬼様?」


「…っ!」


「まあ、怖い御顔ですこと!ふふっ、揶揄い過ぎましたわね。では、改めて自己紹介致します。私の名前は「はつ」と申します。…法月の一鬼様の妻であり、橘徳祐の娘で御座います。」


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