四十五話・失敗
未一刻の八つの太鼓が全て鳴り終わり、無事に怨霊払いが済んだ筈であった。
だが、紫宸殿の南庭で儀式を取り仕切っていた陰陽頭である、安倍泰親の顔は蒼白で、額には脂汗が浮かんでいる。
護摩木を囲んでいた陰陽師達もその体を震わせ、儀式が終わっても誰一人、言葉を発する者はいなかった。
徒ならぬ陰陽師達の様子に、安徳帝の摂政である近衛基通が問うと、泰親は唇を噛み締めながら怨霊払いが失敗した事を告げた。
「…羅城門から朱雀大路を真っ直ぐに、こちらへ向かう悪意を感じます。儀式の最中に何らかの問題が起こり、穢れを招いた模様で御座います。」
「何と…っ!?では、直ぐにその問題とやらを取り除き、改めて穢れを祓うのだ!」
「はっ!」
基通の言葉に平伏した陰陽師達であったが、そう簡単に事態が丸く収まる事は無いだろうと誰もが察していた。…いや、寧ろ、最悪の事態だ。
何せ、怨霊払いが終わるのと同時に、都中を不浄の気が覆ったのである。
それは結界に覆われている都では、あり得ない話だった。
「とにかく、私達は祈祷を続けます。…橘権大輔殿、確か、羅城門には貴殿の御子息が二人、いらっしゃいましたな?」
突然、名を呼ばれた徳祐は、狼狽しながらも前に出て頷いた。
正直、嫌な予感しかしなかったのだが、帝の御前である。嘘をつく訳にもいかない。
「では、橘殿には羅城門の様子を見に行って貰いたい。勿論、貴殿一人でとは言いませぬ。朱雀大路と羅城門の陰陽師達がどうなったかは分かりませぬが、改めて儀式を執り行う為にも、新たな陰陽師をお付け致しますので、よろしくお願い致します。」
「兵士も五十名用意しよう。橘権大輔、直ぐに向かえ。」
泰親と基通の言葉に、徳祐は顔色を蒼白にしながら従った。
やはり、嫌な予感が当たってしまった。
建礼門の前で集まった兵士と陰陽師に号令し、徳祐が馬に乗って元は応天門があった場所を通りがかった時、一団の前にあざみの花が一輪、降って来た。
それと同時に辺りには霧が立ち込め、一団の視界を覆って行く。
「急に霧がっ…!?」
「あざみの鬼の仕業か!?」
兵士達が騒めく中、やがて、辺りには咽返る様な甘い花の香が漂って来た。
「何だ、この匂いは!?」
「いかん!匂いを吸い込むな!!」
袖を口鼻に当て誰かが叫ぶが、次々と兵士達は倒れて行き、頼みの綱である陰陽師までも、何やら幻覚を見ているのか空を見つめたまま動きを止めている。
徳祐はこの異常な状況に身を震わせ、一目散に馬を駆け逃げ出した。
「鏑木法師っ、鏑木法師の元へ行けば、何とかなる筈だっ!!」
初めて会った時、彼は「あざみの鬼」の怪異から徳祐を救ってくれた。
陰陽寮に勤める陰陽師達とは別格の力を持っているのだ。
徳祐は必死で霧の中、馬を駆った。
「朱雀門が見えた!外へ出られるっ!」
馬上で息を切らし、それでも朱雀門を目に捉えて安心した時、徳祐の前に壺装束の女が現れた。
突然、現れた女に馬が驚き暴れだし、徳祐は馬上から放り投げられる。
「くっ、くそっ!何者だっ!?」
地面に強かに打ち付けた体を擦りながら、立ち上がった徳祐の元に、女はゆっくり近づいて言った。
「―…様、お迎えに参りました。」
女の手には赤紫色の一輪のあざみがしっかりと握られていた。




