四十話・東山のあざみ野原
午二刻を報せる九つの太鼓の内、一つ目が鳴った。
だが、四鬼の話に耳を傾ける孝子達には、その太鼓の音も遠い。
「―…法月が門を渡って六日目の朝、あいつの励ましに背中を押されたのが半分、あいつが帰って来ないかも知れない…それを知るのが怖かったのが半分、僕達も門を渡る事にしたんだ。」
我ながら情けない理由ではあったが、それでも四鬼達は門を潜った。
だからと言って、期待していなかった訳では無い。
妻問いと呼べるものでは無かったかも知れないが、自分達の現状を変えてくれる何かがそこにあるのではと思ったのだ。
「…僕達が辿り着いた先は武蔵国の東山、あざみが一面に咲いている野原だった。」
「あざみが…」
四鬼の言葉に孝子の喉がこくりと鳴った。
「ああ、そこで僕達はアレを見つけた。」
今でも目を閉じれば思い出す。
赤紫の花弁に散った鮮血と、肉塊を食らう咀嚼音。
ごつごつと異常な程に膨れた巨体は、骨らしきものが体中に飛び出た人食いの化け物の姿。
そう、見た事も無い化け物だ。
それなのに、その頬には見覚えのある火傷の痕がくっきりと浮かんでいて―…
「僕達はその場に立ち尽くした。門を渡ったばかりで、まだ三鬼の妖力は安定せず、本調子では無かったのもあるけど、アレを前にして僕達は動けなかったんだ。」
食事中に突然目の前に現れた双子に気付いた化け物は、その牙を彼らに向けた。
本調子では無いと言っても、流石に慌てて化け物から距離を取った双子は…この時は三鬼だったが、胸元から鍼を出すと化け物へと投げ放った。
しかし、化け物はその鍼を素早く避けると、丸太の様な腕を振り下ろし、三鬼の体を薙ぎ払う。
三鬼はあざみの花の中に体を沈ませ、化け物がこちらに近付く足音と「三鬼」と己の名を呼ぶ法月の声を、意識が遠のく中で聞いていた。
「…僕達が目を覚ましたのは恐らく半刻が過ぎた頃だったと思う。気が付けばアレは姿を眩ませ、野原には大量の死体と僕達だけが残されていた。」
どうして助かったのかは分からない。
けれど、双子は化け物を探した。
途中、現地の人間達に鬼の姿を見られ、化け物の所業を双子がやった事だと誤解される事もあったが、彼らは気にせず、化け物の行方のみを追った。
そうして辿り着いた先が、この京の都であったのだ。
「じゃあ、その法月と言う者が「あざみの鬼」なのね?」
「違うっ!アレは法月じゃない!」
孝子の問に声を荒げた四鬼は、孝子の肩が跳ねたのを見て「ごめん」と呟いた。
双子…特に四鬼が「あざみの鬼」の事をアレと呼び、明確にその存在を否定している理由を察して、孝子も詫びた。
四鬼も本当は分かっているのだろう、化け物と法月に何らかの関係がある事を。
法月の身に何が起こったかは分からないが、化け物を止める事が彼らの目的であり、幼い頃に四鬼が交わした法月との約束でもあったのだ。
「…東山でのアレには理性らしきものは無かったと思う。姿も化け物そのものだったしね。だけど、京に来てからのアレは明らかに変わった。見た目もそうだけど、明らかに意志を持って、君達を狙っている。」
四鬼の言葉に、それまで状況をただ見守っていただけの宇美が声を上げた。
「どうしてですか!?どうして、姫様達が狙われるのですか!?」
「それは僕達にも分からない。分かっているのは、アレが武蔵国を出て、わざわざこの京までやって来たのは君達が目的だったんだろうって事。…それ程にアレの殺意は君達に向けられている。」
宇美は顔を白くして悲鳴を漏らし、孝子と晶子は互いの手を取り合った。
四鬼はそれを一瞥すると、一つ瞬きをして三鬼へと変わる。
「とにかく、この屋敷に張っていた結界はそこの女房が鍼を抜いたせいで消えちまった。今は怨霊払いのせいで、新たに結界を張ろうとしても上手く行かねえだろうが、この部屋位なら何とかなるか…」
三鬼はそう言うと、細波君の部屋の四隅に鍼を刺して行った。




