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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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三十九話・自慢の幼馴染

「おかしなものでね、あれ程、妖力を取り戻したいと思ってたのに、法月に怪我を負わせてからは、そんな気持ちが一切起きなかったんだ。代わりに、僕は剣を選んだ。運の良い事に、僕の祖母は道場を開いていたからね。そこで、姉と祖母に、みっちり鍛えて貰ったんだ。」





庭先にある井戸水で行水を終えた四鬼は、手拭で体を拭うと瞳を閉じた。

瞬きと同時に、その瞳は黄金色に変わり、三鬼は(はだ)けた着物を直すと手拭を首に掛けて二階にある今は亡き祖父の書斎へと足を向ける。


双子の祖父母の家は、祖母が近くの子供達に剣を教える為の道場と、祖父が己の研究に没頭する為の書斎があった。

武勇伝も多く、年を取っても矍鑠(かくしゃく)とした祖母と違って、祖父は鬼人の持つ妖力の研究をする学者で、多くの術式を発見し書に残している。


四鬼が剣の道を選んだ頃、三鬼もまた、己の進む道…祖父の志を継ぐ道を選んでいた。

とは言っても、当初、祖父の後を継ぐのは長兄だと思っていたのだが。


元々、母親が双子を産む際に、兄と姉は祖父母に預けられる事が多くあり、二人が亡くなって後は、この家を相続するのは兄姉のどちらかだと言われていたのだが、ある日、兄は妻問いの為に門を渡ったまま一週間を過ぎても戻って来なかった。


門を渡った後の行き先は、渡った者によって違い、あちらで何年過ごしたとしても、こちらに戻れば数日しか過ぎていない事もある。

どう言う(ことわり)の元に起こる現象なのか、それを説明出来る者は誰一人いないが、ただ一つ分かっている事は、門を渡って一週間を過ぎれば、渡った者は決してこちらには戻って来ないと言う事。


それ故に、長兄の一鬼は鬼界へ戻らず人間界で嫁を娶ったのだろうと言われ、三鬼が祖父の蔵書を継ぎ、術式の研究を行う様になったのである。




「待たせて悪かったな、姉ちゃんがなかなか放してくれなくてよ。それで、話って何だ?」


書斎へ向かうと、祖父の術書を熱心に読んでいる法月がいた。

昼を少し過ぎた頃にやって来た法月だったが、丁度、四鬼の鍛錬の時間であった為、書斎で暫く待って貰っていたのだ。


「私の方こそ、急かした様ですまなかった。…大した用でも無いのだけれど、お前達には言っておこうと思ってね。」


幼い頃は「僕」であったものが、今は「私」へと変わり、法月の顔立ちも柔和ながらも男性らしい凛々しさが目立つ様になった。

…ただ、その頬には火傷の痕が残っていたが、本人は特に気にした様子も無く、寧ろ、子供の頃の少女めいた顔立ちに劣等感を持っていた為か「箔がついた」と笑い飛ばしている。


「おまえが大した事無いって言うんなら、それは大した事ある話だな。」


「何だい、その理屈は。」


法月が噴き出して三鬼を見やったのを、三鬼も笑って先を促したのだが、直ぐに法月の言葉に身を固くする事になった。


「実は、明日にでも門を渡ってみようかと思ってね。」


「え…?」『え…?』


頭の中で四鬼の声が響いた。

門を渡る…それは、即ち…


「うちのじゃじゃ馬も嫁いだ事だし、私もそろそろ妻を迎えようと思ってね。うちの両親は幼馴染同士で門を渡らず婚姻を結んだろう?それを否定する訳では無いけど、あちらに渡れるのは生涯に一度きりだ。折角だから、門の向こうを覗いてみようかと思ったんだ。」


「…それは、妻問いとは違うんじゃねえのか?」


まるで旅行気分の法月に三鬼が眉を顰めて言ったのを、けれど、法月は笑って肯定する。


「そうかも知れない。だけど、予感がするんだ。」


「予感?」


「ああ。きっと、門の向こうには、私の求めている者がいる。その人が妻になる人だったら、私は両手に抱え切れない程の花を贈って求婚をするつもりだよ。」


「そりゃ、うちの母親の台詞じゃねえか!」


三鬼達の母親は「求婚するなら花を贈るのは常識」と父親に断言して、一度目の求婚を断っている。

以来、鏑鬼家の子供達…特に息子は、この言葉を肝に命じる様にと父親から忠告を受けているのだ。

流石に幼馴染なだけあって、法月も鏑鬼家の男子のしきたりをよく知っている。

片目を瞑ると笑って続けた。


「ふふっ、花屋の息子としては同意するばかりだよ。まあ、どちらにせよ、私は明日、門を渡るつもりだ。今の処は、妻を迎えてもこちらへ帰るつもりだが、こればかりは、その時になってみないと分からないからな。幸運な事に、花屋(うち)は私が継がなくても門を渡る予定の無さそうな弟がいる。私は安心して門を渡れるのさ。」


法月が楽し気に言うのに、三鬼は何と言って送り出せば良いのか分からず言葉が出ない。

これが今生の別れになるかも知れないのだ。婚姻の習わしを思えば、それは当然の事だったが、それでも三鬼は法月と自分達はずっと変わらず、このままこの地で生きて行くのだと思っていた。


「…そう、か。気を付けて行けよ。」


何とか絞り出した言葉は至極ありきたりな言葉で、三鬼は思わず視線を下げて唇を噛み締めた。


「…お前達は門を渡らないのか?」


そんな三鬼の様子をじっと見つめて法月が言った。

三鬼は思わず顔を上げて、自嘲する。


「馬鹿な事を。俺達の処に嫁に来る様な酔狂な女はいないだろう?」


「どうして?三鬼も四鬼も、多少は面倒臭い性格をしているが、性根は悪く無いんだし、探せば妻になってくれる女はいるだろう。」


「おまえなあ、人の事、下げるのか上げるのかどっちかにしろよ。って、そうじゃなくて、俺も四鬼も一人の女を共有する趣味はねえって事だよ!」


「そりゃ、そうだろ。」


「分かってるなら聞くなよ!…嫁を貰うなら俺には俺の、四鬼なら四鬼の嫁が欲しい。勿論、四鬼の事は大事にして欲しいが、愛して欲しい訳じゃないんだ。だけど、この体は一つしか無い。冷静に考えてみろよ?!自分の夫が他の女の夫でもあるんだぜ?自分達は妻を共有するつもりは無いと言いながら、嫁にはそれを強要するんだ。そんなの女にとっても嫌だろう?」


上げた視線を再び下ろして三鬼は笑った。

どんなに三鬼と四鬼は別人だと言っても、実際には彼らの体は一つしかない。

三鬼も四鬼も、その現実を正確に理解していた。


「そうだな、だけど、そんな事は別にしてでも、お前達を愛してくれる女はいるかも知れない。それを見つける為の妻問いだろう?」


「…そんな都合の良い女がいるかよ。」


「いるかも知れないし、いないかも知れない。こちらで見つけられなかったのなら、少なくとも門を渡れば分かるんじゃないか?…私はね、お前達のひたむきな処が好きだったよ。それは私には無いものだったから。でも、()()()があってから、お前達は少し臆病になってしまった。」


法月は己の頬をそっとなぞってから告げた。


「誤解しないで欲しいが、四鬼が自分の妖力を取り戻す事を諦め、剣の道を選んだ事を責めているんじゃないよ?きっと四鬼は、自分の持てる力を出し切って、結果、剣の道を選んだのだろうから。…だけど、四鬼もおまえも、以前の様には前を見なくなった。」


法月は俯いた三鬼の側に寄ると、肩を叩いて続けた。


「幼い頃のお前達は、ひたむきで、がむしゃらで、無茶苦茶で、無鉄砲で…何かをする前に諦める事は決して無かった筈だ。」


「…だから、上げるか下げるか、どっちかにしろよ。」


下げた視線を少しだけ上にして、三鬼は法月を睨んだが、法月は肩を竦めるだけで気にした様子は無い。


「四鬼は道場、三鬼は書斎…お前達はこの家の中で全てを完結させようと思っているんじゃないのか?家族と、幼い頃の僅かな友だけを胸の中に大切にしまって。」


「…それの何が悪いんだよ。俺達はもう嫌なんだよ。大切な奴を増やして、そいつが俺達のせいで傷つくのは。それならいっそ、これ以上大切な奴なんて作らない方がマシさ。」


「私の()傷痕()はお前達のせいでは無いといったろ?」


「だけど…っ」


「三鬼、嘘はいけないよ。傷付けるのが怖いのは本当かも知れないけど、お前達はそれ以上に傷付くのが怖いんだろう?」


法月の言葉にそれが真実だったのだろう、三鬼は口を閉ざした。


「私とて、お前達に傷付いて欲しい訳じゃない。お前達が本当に、この家の中だけで完結する事に納得しているのなら、こんな事言わないさ。だけど、そうじゃないだろう?…三鬼、四鬼、諦めるな。」


婚姻の事だけでは無い。

何かをする前に諦める様になった双子へ、法月はこれが最後になるかも知れないと思い、苦言を呈したのである。


「私の自慢の幼馴染は強い男だ。…帰って来たら、妻にもそう紹介してやるから、それまでにはその情けない顔をどうにかしておけよ?」


法月はそう言って笑うと双子に別れを告げ、翌朝には宣言通りに門を渡ったのである。


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