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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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三十四話・宇美

宇美は手の中にある護符を握り締めながら、かたかたと震えていた。

いっそ、気を失ってしまえれば楽なのに、あまりの情けなさ、不甲斐なさで涙が止まらなかった。


どうして、こんな事になったのか、何度考えても訳も分からず…


目の前では、細波君が晶子姫に呪いの言葉は吐きながら、その華奢な首を締め上げている。

止めなけらばと思いはするものの、あまりの恐怖で手も足も動かない。

胸元に抱き締めたのは、晶子が宇美に渡した一枚の護符。

この護符のおかげで、今起こっている異常な状況から、宇美は護られているのだろう。


本来ならば、宇美こそが、晶子姫を護らなければならないと言うのに…





宇美が橘の屋敷に女房として奉公する様になったのは、孝子が五歳になった頃だった。

以前、孝子の教育係として仕えていた者が、細波君の不興を買った為、暇を出され、代わりに孝子の女房となったのが宇美であった。


今でこそ、宇美の前で自然体である孝子であるが、当時の孝子はその年にしては妙に達観した処があり、宇美の言葉にも素直に従う幼子だった。

それが、前の女房達を孝子の失言で失った事によるものだと知ったのは、割と早い段階である。


孝子を取り巻く環境は特殊だった。

野心家の父親と異常な程に信心深い母親の間に産まれた双子の姉姫、それが孝子だ。

双子を産むと言う事は、畜生腹として忌避され、産まれた子の片方の多くは人知れずに処分される事が多い。

しかし、徳祐がその野心から晶子を生かした事により、元々信心深かった細波君の心に、何かが生まれたのだろう。

細波君の前で晶子の名は禁句とされた。

それ故に、孝子が自分に双子の妹がいる事を知ったのは五歳の頃、主人がいないのを良い事に使用人達が噂話をしているのを、偶然聞いたのが切っ掛けだった。


孝子は、母に晶子の事を尋ねた。

それまで優しく、笑顔しか見せた事の無かった母の顔が氷ついたのを、孝子は初めて目にして固まった。

そうして、翌日には噂話をしていた自分の女房を含めた数人の使用人が屋敷を追い出されたのだった。


以来、孝子は母の言葉に従順であり、新しく女房になった宇美の手間を掛ける事の無い子供となった。

五歳と言う幼さで、宇美を含めた使用人達を、孝子なりに守ろうとしているのだろう。

そんな孝子の姿に宇美は胸を痛めると共に、ならば自分こそが、この小さな主を守らねばと誓った。

この頃からだろうか、孝子が少しずつ宇美に甘える様にったのは。


宇美が孝子の女房として仕えて半年が過ぎ、細波君と孝子が木通御前の屋敷を訪れる事になった。

木通御前の屋敷には双子の妹姫である晶子姫が居るのだが、如何に細波君と言えども、夫を亡くして気落ちする実母を前には、慰めの為に屋敷を訪れるのも否が応でも無いのであろう。

もしくは、晶子の存在自体を無かった事にしているのか…


細波君と一緒に牛車に乗った孝子を見送った宇美は、何事も無ければと願いつつ、屋敷で二人の帰りを待っていた。

そうして、木通御前の屋敷から帰って来た孝子の顔は、宇美の予想に反して、いつになく輝いていた。

聞けば、こっそりと妹の晶子姫と会ったのだと言う。

入れ替わりの話を聞いた時は、何て無茶な事をと卒倒しそうになったが「晶子が、晶子が」と年相応にはしゃぐ孝子に、宇美は安心もしたのであった。


木通御前の屋敷から戻って後の孝子は、今までより一層、箏を学び、そうして、宇美の前では屈託なく笑った。


それもこれも、晶子姫のおかげだろうと、宇美は晶子姫に感謝した。


それから数年が過ぎ、実際に晶子姫を目にした宇美は、孝子姫瓜二つの容姿に目を瞠った。

部屋に案内し、孝子の側で晶子の様子を窺えば、自分を卑下する事はあれど、姉を心から慕う心根の優しい姫君で、宇美は姉妹の微笑ましい遣り取りに口元を上げた。


しかしながら、この屋敷で晶子の事を歓迎する者はほとんど居ない。

細波君は勿論の事だが、口さがない女房達は晶子を遠巻きにして、噂話に興じている様だった。


更に、木通御前が怨霊払いが終わるまで屋敷に滞在する事が決まった。

母と祖母に呼ばれる孝子の顔が、晶子には見せる事は無いが、日に日に曇って行くのが心配だ。


そうして、迎えた怨霊払いの日―…





巳三刻の一つ目の太鼓が鳴る前、宇美は孝子に頼まれ晶子を迎えに行っていた。


晶子に与えられた部屋は、孝子の部屋から離れていて女房達もあまり足を向け無い場所だった。

そんなうら寂しい部屋を与えられた晶子の部屋から、珍しく誰かが話す声が聞こえる。

宇美が不思議に思いつつ、部屋へと近付けば、そこには木通御前の女房である伊豆がいた。


聞けば、晶子に細波君と木通御前から話があるとの事だった。


宇美は内心で首を傾げた。

あの二人が晶子に話がある?


不審に思った宇美は、同行を願い出た。

細波君達の話が終われば孝子の元に御連れする為だと言い訳すれば、伊豆は、ならば私の代わりに細波君の部屋へと案内して下さいと言って、部屋を出て行こうとする。

宇美は慌てて、孝子姫に晶子姫が遅れる事を伝える様にと頼んだ。

伊豆は無言で頷くと、今度こそ廊下を歩いて行った。

宇美は伊豆の背中を見やり、眉を顰めたが直ぐに気を取り直して、伊豆に代って晶子を細波君の部屋へと案内した。


不安気に瞳を揺らす晶子を促し、細波君の元へとやって来た時、一つ目の太鼓が鳴ったのが宇美の耳に届いた。


御簾の上げられた細波君の部屋には、細波君と木通御前が晶子を待ち構えていた。

細波君に取って、ほぼ初対面の晶子を映す瞳の色は酷く冷たい。


宇美が廊下で控えたその時、突然、木通御前が晶子に手を上げた。


「晶子姫様っ!」


咄嗟の事に宇美は悲鳴を上げ、慌てて晶子の元へと駆け寄った。

祖母に頬を打たれた晶子は、けれど、宇美の体を撥ね退けて、胸元から一枚の護符を取り出すと、木通御前の口元へと押し付けた。


撥ね退けられた宇美が体を起こして、振り返った時、宇美は再び悲鳴を上げた。

木通御前の口の中から、何やら醜悪な触手の塊がぞろりと蠢いていたのだ。

晶子はそれに向かって何事か呟くと、護符を持つ指先に力を込めた。

晶子に向かって大きく口を開けた木通御前は、やがて護符の力でか意識を失ったが、口元から飛び出した触手が今度は宇美へと狙いを定める。


「ひっ!」


あまりの恐怖に身を竦めた宇美の元へ、晶子が護符を投げつけた。

触手は、その護符に触れると同時に、跡形も無く消え去り、安堵の息を吐いた晶子の首元に、それまで静観していた細波君の白い指先が食い込んだ。


「…っ、宇美、その護符を、拾いなさい、そして、離さないで…あなたを護ってくれるわ…」


晶子は母親に首を絞められながら、護符を指さし宇美に向かって告げる。

宇美は晶子に言われるままに護符を拾って、胸元に抱き締めた。


気が付けば、四つの太鼓は全て鳴り終わっていた。



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