三十二話・呪いの種
鏑木法師に扮した三鬼は、いつもの様に徳祐と共に牛車に乗り、宮城門の前で降りるとそのまま杖をついて朱雀大路を歩いていた。
橘邸とは然程離れず、朱雀大路の中央で行われる祈祷が見えるその位置で、人気の無い脇道に入ると足を止めた。
都の中には、外出禁止令は出されていない。朱雀大路と羅城門には、陰陽師達が祈祷を上げる様子を見物しようと、多くの人間が集まっている。
暫くすれば巳三刻を報せる一つ目の太鼓が鳴らされるだろう。だが、未だ「あざみの鬼」の気配は感じられない。
果たしてアレが優先するのは結界の破壊か、双子姫の殺害か…
その時、丁度一つ目の太鼓が鳴った。ふと、上空を見上げた三鬼の目に一匹の烏が旋回するのが見えた。
そうして、その烏は三鬼の足元へ舞い降りると、その嘴を開き言葉を紡ぎ始めた。
『―…鏑木さん、例の種の正体が分かったぞ。』
声の主は鬼一法眼だった。
この烏もまた、鬼一の式神の一つであったのだ。
「本当か!?それで、あの種は何の種だったんだ?」
『―…あの種は浜靫の種だ。』
「浜靫?それは、どんな植物なんだ?」
『―…浜靫は海岸や河原に生える植物で、花穂が靫に似ている事から、その名が付けられた。宿主は主に河原蓬…浜靫はな、完全なる寄生植物だ。』
寄生植物とは、他の植物に寄生し、その植物から栄養素を吸収し育つ植物の事である。
浜靫は鬼一の言う様に海岸や河原に生える植物である為、木通御前の屋敷には当然、存在する筈も無い。
それなのに、その種があったと言うのならば……三鬼の耳に二つ目の太鼓の音が聞こえる。
「じゃあ、あの種も傀儡だったのか!?だが、結界は反応しなかった…何故だ?」
『―…これは、傀儡とはちょっと違うからな。傀儡が「あざみの鬼」が作り出した操り人形だとしたら、これは一種の呪いだ』
「呪い?」
『―…ああ、もし、この種が傀儡の種だとしたら、宿主は身の内から食われた上で操り人形になっていただろうが、浜靫は寄生植物だ。寄生植物ってのは宿主がいなければ生きていけない。あくまで、宿主から送られる栄養で生きてるからな。…この種の中に入っていたのは「殺意」「嫉妬」「憎悪」…要するに負の感情を誘発させる呪いだった。こいつはそれを食って生きている。つまり…』
「寄生された人間は自分の中の負の感情を増幅させられるって事か?」
『―…その通り。仮にこの種に寄生された奴がいて、何か行動を起こすとしよう。一見「あざみの鬼」の操り人形の様にも見えるが、本質は違う。その行為の中には、寄生された人間の意志が含まれているんだからな。だから、傀儡を対象にしたあんたの結界に引っ掛からなかった。』
三つ目の太鼓が辺りに響く。
鬼一の説明に、三鬼は木通御前と彼女の女房である伊豆の顔を思い浮かべた。
孝子は二人の様子に可笑しな処は無いと言っていた。
だが、もし木通御前が浜靫に寄生され、彼女の中の負の感情を誘発したとすると、その矛先が向かうのは…三鬼ははっと、顔色を変えて声を上げた。
「晶子っ!!」
四つ目の太鼓が鳴った。
そうして、橘邸に刺していた鍼が、巳三刻を報せる音と共に、何者かの手によって抜かれたのが三鬼には分かった。
と、同時に、羅城門で始まった祈祷の中に穢れの気配を感じる。
「鬼一!おまえは羅城門へ向かえ!あの場所に穢れた血の匂いを感じる。このまま祈祷を続ければ、都の結界に異物が紛れる事になるぞ!」
三鬼は杖を握り直すと、橘邸へと足を向けた。
だが、鬼一の返事にその足を止める事になった。
『―…それは無理だ。…ちょいとしくじっちまってな、俺も浜靫に寄生されてたんだよ。』
「何だと!?」
『―…ああ、慌てなさんな。されてただけで、されてる訳じゃねえから。だが、身の内から引っ張り出された負の感情ってのは、なかなか拭う事は出来ないもんでね。自分の穢れを祓うのに、ある程度、時間が必要だ。』
「ちっ!おまえ、油断したな!?」
『―…否定はしねえけど、元はと言えば、あんたが無理難題を押し付けるからだろ。こちとら、不眠不休で調べてやったってのに、その言い草は無いぜ。』
「…悪かった。だが、だとしたら羅城門は…」
三鬼の足が橘邸と羅城門で迷う様に揺れる。
そんな三鬼の姿を黒曜石の瞳に映して、鬼一の烏が嘴を開いた。
『―…鏑木さん、あんたが今、向かうべき先は後悔しない道だ。あんたにとって、何が一番大切なのか、よくよく考えるんだな。』
烏はそう言うと、一声鳴いて、羽根を伸ばすと空へ舞った。
三鬼はその言葉に、今度こそ迷う事無く、向かうべき先へと駆けて行った。




