三十一話・異変
徳祐と鏑木法師が屋敷を出てから暫く、孝子は宇美に晶子を部屋に連れて来る様に頼んだ。
晶子がこの屋敷に来てから連日、孝子の部屋で談笑する事は最早日課となっている。
宇美は孝子の願いに快く応じ、直ぐに晶子の部屋へと向かう。
孝子はそれを見送り、何となく庭先の古木に刺さったままの鍼を見詰めていた。
孝子と晶子は前日に四鬼から注意を受けていたので、何かあった時の心構えは出来ているつもりだ。
晶子をこの屋敷に呼び寄せてから今日まで、何事も無く過ぎてはいたが、このまま平穏に暮らして行けるとは孝子も思ってはいない。
何故「あざみの鬼」が孝子達を狙っているのか分からないが、それでも晶子の身は必ず護らねばと、孝子は決意を新たにしていた。
そうやって気を引き締めた孝子の耳に一つ目の太鼓の鳴る音が届いた。
四つ鳴った後には、いよいよ怨霊払いが始まるのだろう。
「…それにしても、宇美と晶子は遅いわね。」
遣いに出した筈の宇美はまだ戻って来ない。
孝子は妙な胸騒ぎを覚え、すっくと立ち上がると御簾を潜って廊下へ足を踏み出した。
晶子に与えられた部屋は北対より最も離れた部屋。
要するに、孝子達の母親である細波君の居住する場所から最も離れた場所であり、孝子の部屋からも離れている。
孝子は焦る気持ちを抑えながら静かな廊下を歩いて行った。
「…おかしいわね、人の気配がしない。」
屋敷で働く者達の姿が全く見えず、廊下に響くのは孝子の衣擦れの音のみ。
孝子が走る様にして晶子の部屋に辿り着いた時には、四つの太鼓は全て鳴り終わっていた。
「晶子?宇美?何処にいるの!?」
晶子の部屋に孝子の声が響いた。けれど、二人からの返事は返って来ない。
焦燥に駆られながら、孝子が再び二人の名を呼んだその時、北対の方から女の悲鳴が聞こえて来た。
孝子は直ぐに踵を返すと、急いで北対へと向かった。
北対には母親の細波君と祖母の木通御前がいる。
まさか、母と祖母の身に何かあったと言うのだろうか?
孝子は浅くなって行く呼吸を必死に整えながら、母の部屋へと駆けて行った。
縺れそうになる足を何とか動かし、母の部屋へ辿り着いた時、そこで目にしたものに孝子は息を呑んだ。
初めに飛び込んで来たのは、顔を蒼白にして震える宇美と、その周りで意識を失い倒れている祖母の姿。
見れば、宇美の手には以前、四鬼から渡された鬼一法眼の護符が握られている。
そうして、部屋の奥、頬を腫らした晶子の白い首を締め上げるのは、彼女達の母親である細波君の細い指先で…
「お母様!?何をなさってるの!?」
孝子は悲鳴を上げながら細波君へと駆け寄った。
「晶子!晶子!しっかりして!」
「お、おねえ、さま…」
首を絞められ意識の朦朧とした晶子の目は、孝子を必死で映そうとしていたが、全く焦点が合っておらず、空をさ迷っている。
孝子は必死で晶子の首に掛かった細波君の手を掴み、そこから離そうとしたが、異様な程に強いその力に成す術もなく、逆に振り払われてしまった。
「お母様!止めてっ!止めて下さい!晶子が死んでしまうわ!」
尚も孝子は細波君に向かい、必死で母親の凶行を止め様としたが、細波君は孝子を一瞥し、その唇を開いて言った。
「死んでしまえば良いのよ、こんな穢れた子は」
「え…」
「私が産んだのは孝子、あなただけ。忌み子等、私は産んではいない!畜生腹なんて言わせない!…そうよ、…そうしましょう。本来のあるべき姿に戻しましょう。この子は初めから居なかった!このまま殺してしまえば良いんだわ。」
細波君はそう言って笑うと、更に指先に力を込めて晶子の首を締め上げた。




