二十八話・怨霊祓い前日
木通御前を橘邸に招いて五日が過ぎ、いよいよ明日は怨霊払いの日となった。
朝には祈祷が行われる紫宸殿の南庭と羅城門、朱雀大路の中央に囲いを作り、予め清めの水が撒かれると、翌日の祈祷まで何人も立ち入る事を禁じられ、その場所には警備の者が置かれた。
橘邸では相変わらず、孝子の部屋に晶子を呼び、二人で色々な遊びに興じ、合間に、孝子一人が母と祖母に呼ばれて話をする事が繰り返された。
その間、孝子と晶子を「あざみの鬼」が襲う事も無く、また木通御前と、彼女が連れた女房の伊豆にも変わりは無かった。
橘邸の屋根の上、いつかと同じ様にして三鬼は墨色の空を見上げていた。
あの日と違い今夜は月が明るく、彼の姿を隠すものは無かったが、三鬼の結界の張ってある屋敷では、彼を見つける者はいなかった。
『とうとう鬼一からの連絡は無かったね』
耳元に聴こえるのは四鬼の声。
怨霊払いが行われる前日の夜になっても、鬼一法眼からの連絡は届いていない。
『木通御前達にも変わった処は無かったし、僕達の考え過ぎだったのかもね。』
木通御前の屋敷に刺していた鍼のあった場所に残された黒い種、極小さなあの種が「あざみの鬼」の用いた種だと推測した三鬼だったが、こうも何も起こらないとなると、その推測は間違っていたのでは無いかと思わざるを得ない。
そもそも、あの種によって木通御前達が傀儡と化しているのならば、結界の張られたこの屋敷で無事にいられる筈は無いのだ。
けれど…
「明日の怨霊払いは大掛かりなものになる。とは言え、今の都の陰陽師達がどの位の力を持ってるか知らねえけど、鬼一の話じゃ、それ程の力は無いだろうな。…現に、俺の鍼に気付くヤツも居なかった。今はまだ、昔の陰陽師達の残した力が都を護っちゃいるが、それもいつまで保つか…」
『別にアレには都に恨みは無い筈だろ?用があるのは徳祐達だ。都の結界に干渉するかな?』
「アレはもう半分怨霊と化している。東山で村人を大量に食い、ここでも登美君の屋敷で人を殺し捲った。殺され、食われた者の憎しみを身に纏ったアレは、どうしても結界から受ける守護の力でその力は抑えられるんだ。だからこそ、今まで身を潜め、こちらに気配を悟られない様にしてるんだろうよ。」
都の結界に鍼を刺し、三鬼は自分の『目』を置いて都の中の異物を探知出来る様になっている。
だが、その三鬼の探知に「あざみの鬼」は引っ掛からない。
その事を不審に思っていたが、あちらも三鬼の遣り方は分かっている為、どの様な手段を使ったのか何処かで身を潜め、結界を壊す為の力を溜めているのだろう。
「明日の怨霊払いに干渉し、結界自体を解くだろうな。そうすれば、アレの力は誰にも止められない。鬼の妖力と人の持つ憎しみの力が合わさるんだ。結界の中でなら、俺達の力の方が強いだろうが、結界が解かれたなら…」
『アレの方が強い…』
「そうかもな。」
三鬼は胸元から鍼を出すと、月に翳した。
月明りに銀色の鍼が光り、先端が淡く輝いている。
「それでも、晶子と孝子を護って、アレを始末しないとな。…俺達がここに辿り着いたのも、きっと、この為だったんだろうから。」
『そうだね…』
三鬼は四鬼の返事を聞くと、目を瞑り、鍼を胸元にそっと仕舞った。
三鬼と四鬼が「あざみの鬼」への決意を表わにしていた丁度その頃、鬼一法眼は己の屋敷にある書斎に閉じ籠り、大量の書物を漁っていた。
無論、三鬼に頼まれた例の種を調べる為である。
「これも違うか…。確かに、お袋の残した書物にゃ、植物の事が詳しく書かれちゃいるが、こんな小さな種が何の植物の種か調べろだなんて、あの人も随分と無茶を言ってくれやがる。」
掌の種を転がして鬼一はぼやいた。
鬼一の母親は植物に詳しく、また、その知識を書に残している。
花、茎、葉、実、種に至るまで全てを絵にして、詳細を記したそれを、鬼一は京に移住する際に持ち運び、書庫へと仕舞った。
その数は優に百を超えているのだから、その中から件の種の正体を探すのは実に骨の折れる作業と言えるだろう。
三鬼から種を届けられて以降、鬼一はほぼ寝る間も惜しんで、書斎に篭っているが、それでも未だに種の正体は分からなかった。
「ちっ、日が昇ったか。怨霊払いまでにこれが何か分かりゃいいんだが…。」
鬼一が種と書を交互に睨み、欠伸を噛み殺しながら頁を捲っていると、一つの花の名の前で指が止まった。
海岸や河原の砂地に生える葉緑素を欠いたソレ。
「茎の上部に穂状花序を作り、多数の淡い紫色の花をつける」と母の字で記されている。
「…っ、これか!?」
鬼一が種の正体に確信を抱いたと同時に、鬼一の掌にあった種が二つに割れた。




