二十六話・典久と利久
徳祐が陰陽寮との調整で忙しく働いている頃、兵部省に勤める利久もまた羅城門の警備の件で、当日ここで祈祷する陰陽師との打ち合わせを行っていた。
中務省に勤める利久の兄である典久も、羅城門での御役目を賜っていた様だが、本日の打ち合わせには顔を出してはいない。
勿論、下っ端役人の利久では無く、上司である藤原正孝が彼らと話し合っているのを横で見ているだけなのだが、あまり実のある話し合いにはなっていない様だ。
羅城門で祈祷を行う陰陽師は二人で、安倍家から一人、賀茂家から一人が選ばれているが、この両家は陰陽頭の座を巡って最近まで争っていた。
泰親が陰陽頭に決まり、一応の決着はついたものの、両家共に腹の中に抱えるものがあるのだろう、今も関係はあまり宜しく無いものだった。
それが今回の怨霊祓いの件で、安徳帝の命とあり、陰陽寮では家門、派閥に関係無く一致団結して取り掛かる事となった訳であるが、人の心の中までは上手く動かせるものでは無いらしい。
今日も帰りは遅くなるかな、等と正孝と陰陽師達の話を聞きながら、利久は呑気にそんな事を考えていた。
「ただいま帰りました。」
利久が思った通り話し合いは難航し、帰宅したのは夕刻を過ぎた頃、母親の茂黄君の部屋に帰宅の旨を告げた彼は、母の隣に兄の典久が居る事に驚いた。
父と同じく中務省に勤める典久は、当日は羅城門担当とは言え、やはり父と同じく忙しい様で、この屋敷よりも大内裏に近い、妻の一人である茜君の屋敷に寝泊まりしていた為、ここ最近は顔を見る事が無かったのだ。
「兄上も御帰りでしたか。」
「ああ、久し振りに母上の顔を見たくなったのでな。…おまえは相変わらずの様だな。」
「はい、おかげ様で。ああ、そうだ、丁度良かった!兄上に御渡ししたい物があったのです!」
利久は兄に会った時に渡そうと思い、いつも懐に入れていた鬼一から貰った護符を取り出して渡した。
「鬼一法眼殿から頂いた護符です。怨霊祓いが無事に終わるまでの御守りと言った処ですかね?持っていて損にはならないでしょうから、どうぞ。」
「ふん、堀川の鬼一か。…相変わらず、おまえはあの変わり者の男の屋敷に顔を出している様だな。付き合う者は選べ、我が家の恥となるぞ。」
「そうは言いましても、鬼一殿は私の剣の師匠ですからね。…まあ、手解きは一度も受けた事はありませんが。」
「おまえには剣の才能は無いのだから、いい加減に文官の道を進めと何度も言っているだろう。」
「ははははは、最近も何処かで聞いた台詞だなあ。それより、付き合う者は選べと仰いましたが、先日、父上に頼まれて鬼一殿を紹介した処です。父上公認ですから、問題は無いと思いますよ。」
利久が笑いながらそう言うと、典久は額に手をやり溜息を吐いた。
「…朝廷で父上に御会いした時に窺った。父上にも困ったものだ。今、あちらの屋敷では鏑木と言う得体の知れない琵琶法師を置いているのだろう?「あざみの鬼」に襲われた処を助けられたそうだが、そんな都合の良い話があるか?いつもの父上ならば、その様な怪しげな話、歯牙にもかけないだろうに。」
典久は父である徳祐にとてもよく似ていた。
顔立ちで言えば利久の方が若い頃の徳祐に似ているのだが、その思考が全くもって同じなのである。
それ故に、実際に化け物に襲われた訳でも無い典久は、父の言葉すらも信じようとはしなかった。
「まあ、良いじゃないですか。私はそろそろ休みますので、失礼させて頂きますね。」
利久はそう言うと、掌をひらひらと振って去って行った。
その背中を見る典久は、苦々しい気持ちが込み上がる。
「本当に、あいつは相変わらずだな。」
父に疎まれても何処吹く風の弟が、典久は嫌いだった。
出世欲も無く、典久の目から見ても向上心も無い、好きな事を好きな様にする利久は愚かな弟だ。
それなのに今回の怨霊払いでは、その弟と共に羅城門等と言った小規模な祈祷の場を典久は担当する事になってしまった。
本来であるならば、父と同じく紫宸殿で陰陽頭が祈祷する場を見守って然るべきなのに…
「…母上、この護符は母上に差し上げます。変わり者とは言え、あの鬼一法眼の護符だと言うのなら、御利益はあるでしょうから。」
典久は先程、利久から渡された鬼一の護符を茂黄君へと渡した。
「ですが、これはあなたが頂いた物でしょう?」
「私なら、そんな物が無くても大丈夫ですよ。それより、父上も最近はこちらに寄る事も少なくなったのでしょう?私も利久も怨霊払いまで忙しい身で、この屋敷を空ける事が多い。その間、その護符が母上を護ってくれるのなら、その方が利久も喜ぶでしょう。」
そう、そんな子供騙しが無くても大丈夫。
怨霊等と言ったまやかしは存在しないのだから。
そう考える典久は、確かに以前の徳祐とそっくりであった。




