二十四話・孝子と木通御前
その日の夜は、月の明るい夜だった。
孝子は月明りに照らされた箏にそっと指を這わせ、晶子の顔を思い出していた。
孝子の奏でた箏の音に、嬉しそうに微笑んだ妹の顔。
幼き日、初めて祖母の屋敷で出会った時とは違う、色々な感情を乗せた顔に孝子はとても安心していた。
「…夜遅くに、ごめん。起きてる?」
孝子がはっと御簾の向こうへ目をやった。黒い影が御簾越しに浮かんでいる。
慌てた為に指が弦を弾き、静かな部屋、二人の間に箏の音が響いた。
「ごめんなさい、起きてるわ。…何か、用だった?」
「うん、少し聞きたい事があってね。」
「聞きたい事?」
「君達のお祖母さんの事。…本当は晶子姫に聞くのが一番なんだけど、三鬼が嫌がってね。まあ、話を聞く限りじゃ、一緒に暮らしていたと言っても、そこに居ただけみたいだから、君とあまり変わり無いかな、と思ってね。」
「…晶子から向こうでの暮らしを聞いたの?」
「三鬼がね。君と晶子姫の出会いも教えて貰ったよ。」
「そう…」
孝子はそっと箏に触れると、目を伏せた。
四鬼が晶子の元を訪れなくて良かった、三鬼に感謝しなければ。
「…それで、何が聞きたいのかしら?」
「あの屋敷には、君のお祖母さんの他に誰がいるんだい?」
「確か、女房の伊豆と通いの下男が二人、住み込みの下男が一人だったかしら。伊豆はお祖母様とお祖父様が、あのお屋敷に暮らす様になって雇った女房で、下男達は何度か変わってた筈よ。」
「あの屋敷を訪ねる人はいる?」
「お祖父様が亡くなってからは、縁遠くなった方が多くて寂しく暮らしていらっしゃるみたい。でも、元々気難しい方だから、縁を断たれる事も多くて自業自得な処もあるのだけど、それを晶子のせいにしてたのよ!信じられないでしょ!?どうしたらそうなるのか、一度、お祖母様の頭の中を覗いてみたいわ!四鬼もそう思わない!?」
「…ああ、うん。そうだね。」
孝子の勢いに押されて四鬼は御簾の向こうで引いていた。
このまま祖母への不満を聞かされるのかと四鬼が身構えた時、「でも、」と孝子が小さく続けた。
「そんなお祖母様もね、私には優しいのよ?勿論、厳しい処もあるけどね。…だからこそ、それが本当に悔しかった。」
信心深く、それ故に、忌み子である晶子を厭う祖母。
祖父が亡くなり、徳祐の援助を当てに暮らす身としては、徳祐に言われるまま、仕方なく晶子を育てるしかなかったのかも知れないけれど…
祖母の優しさを知る孝子に取っては「どうして」としか思えないのだ。
どうして、私に向ける優しさを晶子へ向ける事が出来ないのか?
どうして、同じ屋敷で暮らしているのに存在を無視出来るのか?
どうして、晶子の目の前で晶子を詰る言葉が言えるのか?
どうして、
どうして…
「…君は、本当に妹が好きなんだね。いや、家族が好きなのかな?」
「そうね、嫌いな処も勿論あるし、一緒に暮らしてるのに、何日も御顔を見ない事だってあるけど、文句を言いながらも、お父様もお母様も、お祖母様も、好きなのかもね。」
好きより嫌いな処の方が多いのだけれど、それでも血の繋がりとは、そう言うものなのだろう…孝子は諦めた様に笑った。
「それで、あなたがお祖母様の事を聞きたいって言う事は、お祖母様のお屋敷で何かあったのね?…三鬼の残していた鍼でも抜かれたのかしら?」
「…よく分かったね。」
「あら、これ位、直ぐに思いつくわよ。三鬼が晶子を助けてくれた時に、この屋敷にある鍼と同じ物を残したのでしょ?晶子がいる時なら下男を言い包めて鍼を抜かない様にしてたでしょうけど、あの子がいなくなれば、下男はお祖母様の指示に従うしかない。…お祖母様が晶子の残した物を、そのままにしておくとは思えないし、鍼は見つかり次第、抜かれたでしょうね。」
「恐らく、君の言う通りだと思う。今日、三鬼が鍼の抜かれた事に気付いたんだけど、同時に一瞬だけど妙な気配がしてね、君のお祖母さんの屋敷へ様子を見に行ったんだ。」
「なんですって!?それで、お祖母様は?」
「それが、何処も可笑しな処が無かった。女房に食事の支度をさせ、食事を終えたら、箏を奏でてた。女房もお祖母さんの言う事に素直に従ってたよ。…ただ、鍼を刺していた庭の古木の周囲に、小さな黒い種を見つけたんだ。」
「種…」
「何の種かは、今、鬼一に調べて貰ってる。あいつは、そう言うのに詳しいからね。」
三鬼が懐に仕舞い持ち帰った種は、式神に頼んで鬼一の元へ届けて貰った。
流石に、直ぐには返答出来ないとの事だったが、彼に任せておけば間違い無いだろう。
「君も気付いただろけど「あざみの鬼」は植物を操る術に長けている。あの種が関わりの無い物であったなら問題無いけど、そうで無いなら…」
「お祖母様達に御変わりは無いのね?」
「僕は君のお祖母さんを知ってる訳では無いけど、お祖母さん達から傀儡の気配は感じ無かったよ。三鬼が暫く屋敷の様子を見てたけど、特に変わった事も起きなかった。だけど、この先、何が起こるか分からないからね、気を付けた方が良い。」
「分かったわ。教えてくれて、ありがとう。」
孝子は素直に礼を述べた。
そうして、話が終わり、立ち去ろうとする四鬼に「そう言えば、」と呼び止める。
「あなたのお兄様には会った事が無いけど、いつか会えるかしら?」
「…会いたいの?」
「それは勿論。晶子を助けてくれた御礼も言いたいし、今回の事だって感謝してるのよ。晶子から話を聞く限りでは、とても優しい方なのでしょ?…ちょっと、恰好つけみたいだけど。」
孝子が「ふふふ」と笑って言った。
「四鬼とは御顔はそっくりだけど、瞳の色は綺麗な黄金色だって聞いたわ。気軽に異性の体に触れるのはどうかと思うけど、裏表の無い男らしい方なんじゃないかしら?」
「…裏表があって悪かったね。」
「四鬼?」
ボソリと零された四鬼の言葉は孝子の耳に届かず、問い掛けた声は四鬼に「何でも無い」と返された。
「三鬼は今、忙しいみたいだし、君とは暫く会えないんじゃないかな?知らないけど!」
急に不機嫌になった四鬼に、孝子は躊躇い、御簾の向こうへ手を伸ばす。
けれど、四鬼は「真夜中に悪かったね、おやすみ!」と言うだけ言って、今度こそ立ち去ってしまった。
伸ばした手を下ろしながら、孝子は訳が分からず首を捻ったのだった。




