二十三話・不穏と平穏
木通御前の屋敷の鍼が抜かれた事は、直ぐに三鬼の知る事となった。
三鬼は木通御前の屋敷へと走った。
本来あの鍼は、傀儡から晶子を護る為の結界を屋敷に張る術具であり、ある程度の日数が過ぎたり、古木から抜いてしまえば、ただの鍼に戻るのだが、抜かれた瞬間、何やらおかしな気配を感じた為だ。
屋敷に着いた三鬼は、身を潜めると辺りの様子を窺った。
暫くすると、膳を手にして廊下を歩く伊豆の姿が見えて来た。
そうして、向かった先には当然、主人である木通御前がいて、伊豆が食事の支度を整えるのを待っている。
それは、何の変哲も無い日常の風景。傀儡の気配すら、そこには無かった。
三鬼は、以前、晶子が暮らしていた奥の部屋へと向かった。
庭にある古木、その根元に刺した鍼は見当たらない。
それ程広い庭では無いので、古木を中心に辺りを探せば、よく見なければ見逃してしまう程の至極小さな植物の種らしきものが落ちていた。
黒く、網目模様のあるその種を三鬼は暫く観察していたが、手に取ると布に包んで懐に仕舞った
その日も孝子は、いつもと同じ様に晶子を部屋へと招き、他愛の無いお喋りを続けていた。
「そうですわ!折角なので、晶子姫様に姫様の箏の音を聴いて頂いたら宜しいのでは御座いませんか?」
宇美が思いついた様に手を打って、孝子を見やった。
ここ暫く、孝子の箏の音を聴いていないのに気付いた為でもあったが、晶子を初めてこの部屋に招いた時に見せただらしのない姿からの挽回を狙った為だ。
宇美に取って孝子は、何と言っても自慢の姫君であるのだから。
「お姉様の箏…」
晶子がおずおずと孝子の顔を窺っている。
聴きたいけれど、自分から催促するのを躊躇っているのだろう。
そんな晶子の頭を一撫でした孝子は、こほんと一つ咳をして、
「では、晶子の為に奏でるわね!」
と、片目を瞑ると箏へと手を伸ばした。
孝子の指先から、天上の調べが紡がれる。
流れる様なそれは、静かな部屋の中にゆっくりと沈み、そうかと思えば、上昇する様に天を舞う。
晶子も、そうして、孝子の箏を聴き慣れている筈の宇美までも、その音色に心を震わせた。
まるで夢の中に居る様な心地であった。
「…どうかしら?気に入って貰えた?」
孝子は弦から指を放すと、晶子の顔を見やった。
孝子が箏に触れるのは鏑木法師を招いた宴席で一曲披露して以来である。
妹の為に心から演奏したが、晶子は気に入ってくれただろうかと、少し不安にも思っていた。
「素敵でした…これが天上の音色…」
「ええ、ええ、何だかいつもより美しい音色に、宇美には聴こえました。きっと晶子姫様を想って奏でられたからでしょうね。」
晶子と宇美が頬に手を当てて、うっとりと言った。
どうやら二人には気に入って貰えた様だ。
「ふふふっ、でも、やっぱり毎日触れていないと駄目ね。その点、晶子は偉いわ。手習いを怠らないのだもの。」
「そんな事…」
孝子が謙遜するのを晶子は困った様に見つめ、宇美は「そうですよ!」と肯定する。
「姫様はやれば出来る人なのですから、箏だけではなく、晶子姫様を見習って、少しは姫君らしく振舞って下さいませ!」
結局、いつもの小言が始まり、孝子はそっと扇で顔を隠すと、宇美に見えない様に舌を出したのだった。




