二十二話・手土産
利久は目の前で橋が架かるのをのんびりと待っていた。
そうして、橋が架かり門番の式童子が現れると、ゆっくりと童子の元へと歩み寄り、鬼一法眼への繋ぎを頼んだ。
表情の無い筈の式童子が何処となく嫌そうな顔をしているが、きっと気のせいだろう。
『―…何しに来やがった?俺に用は無いから、とっとと帰れ』
程なくして式童子の口から鬼一の返事が返って来た。
素気無い返事であったが、利久は気にしない。懐から干物を取り出すと、
「皆鶴に土産を持って来ました。」
と、にこやかに笑ってみせた。いつもの事だが、人の話をまるで聞かない男である。
鬼一はそれを喉元で笑うと、式童子に門を開けさせた。
『―…皆鶴にか、なら、仕方ねえな。』
式童子に案内されて屋敷内に入った利久は、廊下を歩きながら顎を擦った。
「いやあ、いつ来ても不思議な屋敷だなあ。この前来た時と、廊下の様相がまるで違っている。陰陽道とは実に理解し難いものだ。やはり、同じ道を進むならば、私は断然、剣の道だな、うん!」
「俺はお前の方が理解し難いけどな。」
いつの間にか辿り着いた部屋では、相変わらず派手な女物の衣装を着た鬼一が、愛猫を撫でながら呆れた顔で利久を見ている。
利久は声を上げて笑うと
「鬼一殿は冗談がお好きですねえ!私程、理解しやすい人間はいませんよ!」
と言いながら、畳の上にどかっと座った。
「冗談じゃないんだがな、…まあ、いいや。ほら、皆鶴が待ち侘びてる、土産を寄越せ。」
鬼一が手を出して催促すると、主人に倣う様に皆鶴も、にゃあと鳴いた。
利久は「そうでした」と言うと懐から干物を取り出して鬼一に渡した。
鬼一が、以前、徳祐が置いて行った青瓷の皿へ干物を放ると、皆鶴は待ってましたとばかりに、皿へ顔を突っ込んで美味そうに食べ始める。
その様子を、鬼一は目を細めて眺めていた。
「…ふむ、やはり誠意とは、相手の喜ぶ物を贈るのが正解ですね。」
「くくっ、違いねえ。その点で言えば、おまえさんの親父は落第点だな。」
鬼一が笑いながら、青瓷の皿と干物に目をやった。
「では、私の誠意を受け取ったと言う事で、剣術を教えて下さい!」
「…相変わらず、お前はぶれない野郎だな。」
半眼になった鬼一に構わず、利久はにこにこと笑っていたが「そう言えば、」と思い出した様に続けた。
「最近、父が鏑木殿を連れて出仕している様ですね。流石に、朝議の場まで連れてはいない様ですが、父がご迷惑を御掛けして、すみません。」
「そんなの、鏑木さんに言えよ。でもまあ、近い内に怨霊払いをやるんだったら、親父さんも休んでばかりじゃいられないだろうしな。おまえだって、当日は、どっかで警備をやるんだろう?」
「そうですね、私は羅城門の警備を任されております。羅城門の外で開門を待つ民を誘導する役目ですね。」
「へえ、羅城門を任されてるのか。下っ端役人のクセに結構重要な御役目じゃねえか。」
「そうなのですか?紫宸殿で陰陽頭が行う儀式とは違って、小さな規模での祈祷だと聞きましたが。」
「馬鹿だなあ、都の正門である羅城門はな、文字通り『門』になってるんだぞ。それは、人であろうが、人以外の何かであろうが同じ物。そいつらは必ず『門』を通ってやって来る。だから、羅城門で祈祷を行うと言う事は、とても重要な事なんだ。」
陰陽道とはまた別の理であるが、都を護って来た陰陽師達には伝えられて来た知識である。だが、永く都を脅かす脅威が無かった為だろうか、儀式の意味を理解せず、形骸化されたそれは、後白河院への見栄で紫宸殿での大掛かりな祈祷へと形を変えたのだろう。
もしくは、近年の財政難により、そうせざるを得ない状況なのか。
それでも、全く行わないよりはましではあるが、現陰陽頭であり、嘗ての兄弟子であった泰親の顔を思い出して、鬼一は苦い思いが込み上がった。
「まあ、小さかろうが、大きかろうが、私は精一杯に御役目を全うするだけですよ。」
「…おまえのそう言う処は好ましいと思うよ。」
「そうでしょう!そうでしょう!ですから、是非、手解きを!」
「そう言う処は好ましくねえんだよ!」
調子に乗った利久を一喝して、鬼一は懐から二枚の護符を取り出した。
利久は首を捻りながらそれを受け取った。
「ほら、これを持ってけ。念の為にな。」
「何ですか?」
「魔除けの護符だ。二枚あるから、おまえの兄にも渡してやれ。」
「兄上の分もですか?」
「ああ、持ってて損は無いって言えば、お前の兄も受け取るだろうさ。」
「ははは、よく御存知で。兄上は父上にそっくりだからなあ。実は兄上も私と同じく、当日は羅城門の担当なのですよ。…ありがとうございます。」
利久は礼を言うと、二枚の護符を懐へと仕舞った。
「さて、話も纏まりましたし、庭に出て打ち合いでもしましょうか?」
「しねえよ!」
すかさず鬼一が否定して利久を蹴飛ばすと、さっさと屋敷から追い出した。
利久が鬼一の屋敷を追い出されたのと、丁度、同じ頃。
木通御前の屋敷では、庭掃除をしていた下男が伊豆を呼んでいた。
古木に刺さった鍼をどうすれば良いのか尋ねる為だ。
「…一体、いつの間に、こんな鍼が?」
「晶子姫様が、呪いだから抜かない様にと仰っていたのですが…どうしましょう?」
既に、この屋敷には晶子は居ない。
主人である木通御前の判断を仰ぐ必要があると下男は思ったのだ。
伊豆は下男を残すと、木通御前の元へと向かった。
そうして、話を聞いた木通御前は不快気に顔を顰めると、一言、鍼を抜く様にと命じたのだった。




