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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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二十話・得になる姫

燭台の灯りに照らされた室内で、昼間、孝子の部屋で書いた書を見つめた晶子は、そっと自分の書いた文字を指先でなぞっていた。

そうして、何処かぼんやりとしていたのだろう、「晶子、入るぞ」と声が掛けられ、はっと我に返った時には、御簾を潜った三鬼が晶子の前に立っていた。


「あ…三鬼様、お帰りなさいませ。」


「えっ!?あ、いや、ただいま?」


思わず晶子がそう言ったのを、三鬼も釣られて返していた。但し、何故か疑問形ではあったが。

頭をガシガシと掻きながら、晶子の前でドカッと座った三鬼は、晶子に今日一日、屋敷で異常は無かったかと尋ねた。

勿論、庭の古木に刺した鍼による結界が破られた形跡は無いので、特に異常は無かったのだろう事は察せられたが、やはり、直接本人の口から確認を取りたかったのだ。


「今日はお姉様の御部屋で過ごしておりましたが、変わった事は御座いませんでした。」


「そうか…まあ、直ぐに食いつくとは思っちゃいないが、出来るなら、根気比べは避けたい処だな。」


そう言って肩を竦めた三鬼が、晶子の手元の書に気が付き、ひょいとその紙を手に取った。


「そう言や、初めて会った時も何か書いてたな。都一の才女だっけ?」


三鬼が晶子の書いた文字を眺めながら言うのに、晶子は扇で口元を隠して懐かしそうに目を細めた。


「私がそう呼ばれる様になったのは、お姉様に褒められたのが嬉しかったからなのですよ。」


「孝子に?でも、晶子はこの屋敷に居なかったんだろう?一緒に暮らして無い割に、やけに仲が良いとは思ってたけど、文の遣り取りでもしてたのか?」


「いいえ、お姉様…だけでは御座いませんが、私はこの屋敷の者と関わる事を禁じられていましたので、その様な事はしておりません。」


忌み子である晶子が祖母の屋敷に預けられた経緯を考えれば、それは当然の事であったが、それを聞いた三鬼はやはり不快気に眉を顰めている。

そんな三鬼の顔を見て、晶子は扇の下でそっと笑った。


「それでも、一度だけお姉様とお母様が祖母の屋敷を訪れた事があるのです。」





あれは祖父の喪が明けて、墨色だった(しつ)(らい)も次第に薄くなっていた頃の話。


喪が明けたとは言え、木通御前は夫を亡くして、すっかり気鬱になっていた。

それで、娘の細波君が孝子を連れて見舞いにやって来たのである。

可愛い孫の顔を見れば、木通御前も少しは元気が出るだろうとの思いからだった。

当然、木通御前や細波君の中で晶子は孫や娘だと思われていない為、当日は実母と姉には決して会わない様にと厳しく言われ、奥の部屋へと閉じ込められる事となった。


奥の部屋に閉じ込められたと言っても、そこは晶子の部屋であり、普段からあまり部屋を出る事の無い晶子であったので、祖母の言いつけに素直に従い「あさかやま」の文字を繰り返し書いていた。


実母や姉と言っても実際に会った事も無く、祖母にも厄介者とされていた晶子にとって、家族を恋しいと思う感情は分からない。

恋しい、寂しいと言う感情を持つ事が出来るのは、それを知っているからであり、そう言った感情を持てる環境で育つ事の無かった晶子は、当時、五歳になったばかりであったが、ただ祖母からの悪態を受けるだけの人形の様な子供に育っていた。


静かな部屋で一人きり、筆を取っていた晶子の耳に、土を踏む足音が聞こえた。

御簾の向こう、下男が庭を掃除でもしているのかと思って顔を上げれば、自分と同じ顔の少女がこちらに向けてそうっと歩いて来るのが見える。


そうして、小さな声でこう尋ねて来たのである。


「ねえ、そこにいるのは私の妹の晶子姫かしら?」


晶子は酷く驚いた。

自分に双子の姉がいる事は知っていた。

けれど、これまで一度も会った事も無い姉である。姉と言う者がどの様な者なのか分からないと思っていたが、自分とそっくりであったからだろうか、晶子は確かに目の前の少女に血の繋がりを感じたのである。


「ねえ、聞いてる?晶子姫じゃないの?」


驚き過ぎて言葉の出なかった晶子は我に返ると、おずおずと返事をする。


「…はい、晶子、です。」


「そう!やっぱり晶子姫なのね!私はあなたの姉の孝子よ!今からそっちに行くから。」


「え…?」


晶子の返事を聞いて、孝子は履物を脱ぐと御簾を潜って部屋の中に入って来た。

そうして、驚く晶子の顔を見て、孝子もまた口を開けて驚いた。


「あなた、本当に私の妹なのね…」


呟いた孝子に、晶子は何と答えて良いのか分からない。

ただ、あの祖母が自分と姉が会う事を許す筈が無い。

バレない内に早く帰って貰おうと思ったのだが、それよりも早く、孝子は晶子の横に座ると晶子の手を取り、こう言った。


「晶子姫、あなた、私と入れ替わらない?」


「え?」


「あなたが、ここで楽しく暮らしているのなら良いの。でも、そうで無いのなら、私がここに残るから、あなたは橘のお屋敷に帰れば良いと思うのよ。」


「橘の、お屋敷に…」


「帰る時は気分が悪いって言えば良いわ。それから、帰ったら病気のフリをするの。二・三日寝込んでれば、記憶が曖昧でも病気と穢れのせいだって思われるんじゃないかしら?うん、このお屋敷はお祖父様の喪が明けたばかりだし、お母様の事だから、穢れのせいだって思うわね!だから、きっと大丈夫よ。」


幼い顔で難しい言葉を使う孝子であったが、言っている事は無茶苦茶だった。

絶対に大丈夫では無いにも関わらず、妙に自信満々な孝子に対して、晶子はそもそも何故、会った事も無い自分の為に、そんな事を言うのかと疑問に思った。


「でも、お父様にはバレるかも知れないわね…あら?これは晶子姫が書いたの?」


そう言って困った顔をした孝子だったが、文机の上にあった手習い書を見つけて声を上げた。


「凄いわ!何て綺麗な文字かしら!その上、こんなにも繰り返し練習しているなんて、晶子姫は頑張り屋さんなのね。」


孝子は晶子の手を放すと、手習い書を手に取ってまじまじと見つめ、顔を上げるとキラキラとした目で褒め称えた。

今までそんな目で、そんな言葉で晶子を褒める者はいなかった。

綺麗な文字を書くのは当然の事で、少しでも上手く書けなければ叱責されるだけ。手習いは晶子に取って、日常の中に組み込まれた動作の一部でしか無かったのだ。

それなのに、孝子の言葉が何故こんなにも胸を温かくさせるのか…


「そうだわ!これなら、お父様にバレても平気かも知れないわ。」


突然、孝子が閃いた様に言った。


「晶子姫は文字が綺麗だし、頑張り屋さんだから、きっとお父様も納得する良い嫁ぎ先が決まると思うの。だから、大丈夫よ。」


「…お父様が、納得する、嫁ぎ先?」


晶子が尋ねるのに、孝子はそっと頷いて答えた。


「お父様はね、私と晶子姫、どちらでも良かったのよ。でも、橘のお屋敷にいる為にはお父様の役に立たなくては駄目。この先、私が役に立たないと思ったら、きっと、晶子姫と取り換えてしまおうと思ってる筈よ。」


この時、晶子は幼いながらも、何故、忌み子である自分が処分されず、祖母に預けられたのか理解した。

父に取って、晶子は孝子の代わりであり、孝子もまた晶子の代わりであったのだ。どちらの姫がより父の()()()()姫なのか、今後、成長を見ながら決められる。


そうして、父の役に立たないと判断された者は、今度こそ文字通り見捨てられるのだろう。


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