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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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一話・孝子と四鬼

几帳の奥、(こと)を奏でていた孝子(たかこ)は廊下に落とされた物音に、その指を止めた。

見れば、夜の(とばり)も下りていて、随分と長く箏を弾いていた様だ。


孝子は几帳から抜け出すと、御簾の向こうに置かれたあざみの花に目をやり首を傾げた。

先程の物音はこれを置いた音なのだろうと辺りを見回したが、人の気配はしなかった。

誰ぞが置いた物であるのは確かであるが、孝子にはその人物に心当たりは無い。

仮に夜這いの男が持って来た花だとしたなら、その男は随分と失礼な男であると断じねばならないだろう。


「『器量の良くない女でも、年頃になればそれなりに魅力が出て来たように思える』ねえ…悪戯だったとしても、相手の顔に一発お見舞いしても許されるんじゃないかしら?」


うっそりと微笑みながら御簾の向こうへ伸ばした手は、突然、何者かに強く引かれて孝子の体は外へと強引に出されてしまった。

御簾越しに見えたそこには誰も居なかった筈なのに、孝子の手にはいつの間にか緑色の蔓が巻き付き、その体を拘束して行く。

そうして、孝子がこの異常な事態に悲鳴を上げようとした時、その蔓は孝子の口を塞ぎ、首元を絞め始めた。


「…っ、あっ…、だ、だれか…」


喉元を絞められ、掠れた言葉が必死に助けを求めるも、誰一人この場に駆け付ける者は居らず、孝子の意識は次第に遠のいて行く。

もう駄目だと思ったその時、孝子の前に銀色の星が煌めいた。


流れる様に振るわれた白刃は、孝子の体を傷付ける事無く、緑色の蔓を次々と斬り捨てて行く。

そうして、孝子に巻き付いた蔓を全て斬り捨てると、彼は宵闇に浮かぶ何かを睨み、それが消えると漸く刀を鞘に収めた。


拘束を解かれた孝子が咳き込みながら倒れる瞬間、彼は孝子の腰を抱いてその体を支えると、孝子の顔を覗き込んだ。


「…もう大丈夫だから、ゆっくり息を吸って」


そう言うと、目を瞠る孝子を気にせず、彼は安心させる様に笑って、孝子の背中をゆっくり擦りながら正しく呼吸を促した。


だが、次第に整って行く呼吸に反して、孝子の動悸は激しさを増して行った。

否が応でも目に入るのは彼の容姿だ。


その精悍な顔立ちに見惚れる余裕等まるで無かった。


後ろで一つに纏められた黒く真っ直ぐな髪、さらりと風に揺れたその頭上には白銀の二本の角があった。

そうして、その耳は天を向く様に尖り、孝子を真っ直ぐに見つめるその瞳は、銀色に輝いている。


人に非ざるその容姿は、まさに鬼と呼ばれるものだった。



「…あ、あなた、何者なの?どうして、私を助けたの?それに、あの蔓は何?」


震えながらも、気丈に振舞う孝子に彼は目を瞠ると、面白そうにその銀色の目を細めて言った。


「驚いたな、てっきり悲鳴を上げて逃げられるか、気を失うかと思ったんだけど。…君、僕が怖く無いの?」


「質問は私の方が先よ!あなたは何者で、私を助けたのはどうして?あの緑色の蔓は何なの!?」


可笑しそうに口元を上げた彼に、小馬鹿にされた気持ちになった孝子は、彼が異形の存在である事も忘れ、元来の勝気さで声を上げて詰め寄った。

それが一層可笑しかったのだろう、彼は今度こそ声を上げて笑うと、両手を上げて孝子を宥める。


「ごめん、ごめん。君があまりにも面白…ああ、いや、肝が据わって…でも無くて、根性がある?豪胆?豪気?…あれ?何の話だっけ?」


「馬鹿にしてるの!?」


「まさか、褒めてるんだよ」


「何処が!?…分かったわ、そうやって誤魔化す気ね?」


孝子は鼻で笑うと異形の彼を睨み据えた。

深窓の姫君らしく無いその姿に、また噴き出しそうになるのを堪えて、彼は肩を竦める。


「…君を助けたのはただの偶然、こちらにも込み入った事情があるんでね。」


「その事情を話す気は無いのね?」


「君こそ、それを知ってどうするの?余計な事に首を突っ込むと、今度こそ死んでしまうかも知れないよ?」


銀色の目が静かに孝子を映し出す。

孝子は一瞬、それに身を竦めたが、今度は口を(つぐ)み、唇を噛み締めると恨めし気にその銀色を睨み返すに留まった。


「そう、それで良い。知ることが全て正しい訳じゃない。世の中には知らなくても良い事があるんだよ。」


「…分かったわ。でも、せめて、あなたの名前だけでも教えて頂戴。私を、助けてくれた相手の名前も知らない、礼儀知らずの人間のままにしないで欲しいの。」


孝子が真摯に願うと、彼は一瞬躊躇う素振りを見せたが、一つ息を吐くと彼女の望みを叶えるべく口を開いた。


(かぶら)()()()、それが僕の名前だよ。」


「鏑鬼の四鬼…、私は孝子よ。四鬼、助けてくれてありがとう。」


孝子は四鬼を見上げると微笑み、礼を告げた。

勝気な性格ではあるが、その心根は真っ直ぐなのだろう、四鬼はその銀色を細めると、廊下に落ちていたあざみを拾った。

そうして、胸元から一本の(はり)を取り出すと孝子に背を向け、庭にあった古木の根元にその鍼を刺して言った。


「この鍼は抜かずにこのままにしておいて。暫くの間ならこの鍼が君を護ってくれるから。」


四鬼はにこりと笑うと夜空を蹴った。


「孝子、あざみの花に触れてはいけないよ。その花は君を傷付ける。…だから、今日の事は忘れるんだ。誰にも話してはいけない、良いね?」


宵闇の中に、四鬼の言葉が溶けて行く。

孝子は、彼の言葉を反芻しながら、四鬼が消えた夜空をただ見上げていた。


自分は幻を見ていたのだろうかと、しんと静まった廊下で一人立ち尽くした孝子だったが、翌日の朝になっても庭先にあった銀色の鍼は消える事は無く、あれは現実に起こった事なのだと思い知るのだった。


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