十八話・兄弟喧嘩
厚く濃い雲が月を隠し、全てが闇の中。
橘邸の屋根の上にゴロリと寝転がった三鬼は、墨一色の空を見上げていた。
『何が、「恨むんなら四鬼じゃなくて俺の事を恨んで欲しい」だよ!結局、三鬼は恰好つけたいだけなんだろう?でも、逆にそう言うの恰好悪いから辞めれば?』
寝転ぶ三鬼に、四鬼の呆れと怒りが混じった声が届いた。
全くもってその通りなので、三鬼は呻き声を上げながら両手で顔を隠した。
そんな三鬼に、四鬼は容赦無く追い打ちを掛ける様に続ける。
『それにしても、三鬼より彼女達の方がよっぽど今の状況を分かってるよね?晶子姫の覚悟の半分も三鬼にあれば、あんな恥ずかしい事言わずに済んだのに。ああ、我が兄ながら恥ずかしい。』
「…おまえだって、孝子に上手い事乗せられたクセに。」
『はあ?』
「昨日は囮だって事言わずに上手い事協力させ様としたのに失敗して、今日はあんな子供染みた挑発に乗せられて護るなんて言っただろう?鬼一の様に策士家を気取ったって、お前なんか短気で単純なおつむしか持ち合わせて無い、基本、頭脳筋野郎なんだから、そう言うの辞めれば~?」
確かに四鬼の言う通り恰好悪い事をした自覚はある。
だが、弟に言われっ放しなのも癪であり、気が付けば三鬼はそれこそ子供染みた言葉で言い返していた。
『…喧嘩売ってるの?だったら買うよ?子供の頃、一兄の部屋から勝手に術書を持ち出して妖術で炎を出したまでは良いけど、髪の毛に炎が移って慌てて髪を切って誤魔化したよね?恰好悪いから黙っててくれって言ったのは誰だっけ?この頃から既に恰好つけたがりだよね、三鬼は。』
「ぐ…っ!なら、お前の方こそ、姉ちゃんに剣を教えて貰うのに、打ち合いの最中、揶揄われる度に打ち込まれてたじゃねえか!剣を使う時は相手の動きを読み、より冷静に構えろって姉ちゃんに言われてたクセに、直ぐに頭に血が上るんだから、そっちこそ子供の頃とちっとも変ってねえだろ!」
『…』
「…」
『…止めよう、多分これ、切りが無いから。』
「そうだな、不毛過ぎる…」
子供の頃から現在まで、共に過ごして来た分、互いの欠点は知り尽くしている。
三鬼の言う様に、不毛過ぎる応酬に互いの心は抉られていた。
三鬼は身を起こし、ゆっくりと伸びをした。
月がその姿を現す気配は一向に無い。それでも、三鬼の黄金色の目には、屋根の上から見渡せる墨色の景色を正確に映していた。
「まあ、何にしろ、こっちは打てる手は打った。利久と典久の方は鬼一に任せるとして、あとは向こうの出方を待つしか無いな。」
『…次にアレが狙うのは誰だろうね?』
「さあな。けど、初めに孝子、次に阿弥姫、そして晶子を狙った時には確かにアレには殺意があった。なのに、徳祐を襲った時にはそれが無かったのはどうしてなのか…。それに、鬼一が張ってるとは言っても、未だに徳祐の子である利久と典久を襲う気配は無い。単純に無力な女の方が標的にしやすかっただけかも知れないが、今、アレが殺意を抱いてるのは『女』である双子姫である可能性は高いと思う。…理由までは分からねえけどな。」
『…やっぱり、彼女達を囮に選んだのは正解なのかもね。』
「胸糞悪い選択だけどな。」
そう言うと三鬼は溜息を吐きながら、屋根の上から飛び降りた。
四鬼の返事は既に無い。
徳祐の元には朝廷から出仕を促す文が何通も届いている。
「あざみの鬼」に襲われて以降、屋敷に篭っていた徳祐だが、近々行われる怨霊祓いの為の日程の調整等、徳祐に任された仕事が山程あったのだ。
命は惜しいが、出世欲も強い徳祐の事、手元に鏑木法師を置いた事で明日にでも行動を起こすだろう。
そうして、朝廷までの行き帰りの同行を鏑木に求める筈だ。
この屋敷には三鬼の鍼で結界を張ってあるが、傀儡には効果のある結界も、アレ自身にはあまり効果は無い。
果たして、これを好機と捉え、鏑木の留守を狙って襲って来るかどうか…
「とにかく、賽は投げられた。あいつらに護るって言っちまったんだから、せいぜい約束を破らない様にしないとな!」
胸元に隠した鍼を着物超しに触れて、三鬼は目を瞑ると鏑木法師の姿で客室へと戻って行った。