十三話・宵闇の独り言
孝子の部屋を後にした四鬼は、琵琶を奏でながら回廊を歩いていた。
以前残しておいた鍼を媒介にしているおかげで、この屋敷には鬼の妖術が効きやすい。
今、この屋敷で意識が残っているのは、四鬼と孝子位だろう。
四鬼が元の鬼の姿で廊下を歩いていても、誰にも見咎められずに悠々と自分に与えられた客室に戻って行けた。
夜空に浮かぶ月が、四鬼を照らし、廊下に細長い影を作っている。
そんな静かな屋敷で、四鬼の耳に双子の兄の声が届いた。
『結局、孝子に正直に囮だって言ったんだな。おまえの事だから、だんまりを決め込むかと思ったのに。』
面白そうに笑っている様子の三鬼に、四鬼は琵琶を奏でる手を止めて苛々と吐き出した。
「孝子には囮だって言う方が、素直にこちらの指示に従って貰えると思ったからだよ。あの手の性格だと、下手に隠し事をすると後々、面倒な事になるからね。大体、三鬼はこの計画には反対なんだろう?余計な口を挟まないでくれないか。」
『そりゃ、そうだろう!晶子達を囮に使うなんて、危険じゃねえか!』
今度は三鬼が不満気に声を荒げた。
その声に四鬼は更に苛々とした気持ちが募る。
「だったら、他に方法は?アレが次に誰を襲うかなんて、こっちには分からないんだぞ?今まではたまたま孝子達を助ける事が出来たけど、徳祐の血縁が住む屋敷を当てもなく訪ねたって効率が悪いだろう!」
『…その為に、わざわざ琵琶法師の恰好までして都を回ったんじゃねえか。羅城門を初鍼にして都の主要な大路の全てに鍼を刺した。都の中に俺の『目』を置いた今なら、あいつの居場所も直ぐに分かるんだから、晶子達を囮にする必要は無いだろうが。』
「だったら、アレは何処に隠れてるのさ!?阿弥姫を殺害して以降は、傀儡に襲わせるだけでアレは姿を眩ませた。あの時、取り逃がさなけれ今頃こんな事にはなって無かっただろ!」
四鬼達が「あざみの鬼」の気配を追って向かった登美君の屋敷では、既に阿弥姫を含んだ多くの家人が殺された後だった。
まだ残っている気配を辿り、追いついた先で四鬼達はあと一歩と言う処で「あざみの鬼」を取り逃がしたのである。
その時に、結界の張られた都の中で異常な気を感じ、不審に思って探索に乗り出した鬼一法眼と遭遇し、剣戟を振るう事になったのだが、誤解の解けた今は「あざみの鬼」を屠る為に協力関係となっている。
「それに、三鬼の鍼の事位、向こうだって分かってる!だから、今も見つけられないんじゃないのか!?」
三鬼達が琵琶法師として都を歩き回ったのは「あざみの鬼」の手掛かりを探す為もあったが、もう一つ、三鬼の妖術を纏わせた鍼を主要な大路に刺す為であった。
条坊制に基づいて作られた京の都は機能的であると共に、災厄から帝の住まう内裏を護る為に各所で歴代の陰陽頭や陰陽師達が結界を張っている。
そこに、彼らにバレない程度に鍼を刺して妖術を流し込み、「あざみの鬼」の気配を見る三鬼の『目』を結界の中に置いた。
無論、鬼一の屋敷と内裏は独自の結界が張られている為、それ以外の都の中での話ではあるが、それでも「あざみの鬼」を囲うには充分だと言えるだろう。
全ての大路に鍼を刺し終え、後は「あざみの鬼」の気配を探知するのみであったのだが、ここに来てその気配を一切感じる事が出来なくなっていた。
都の中に気配はあるのだ。だが、肝心の姿が見えない。
それ故に、四鬼は今回の計画を鬼一と企てたのであるが、三鬼はそれを最後まで反対していた。
『それは…だけど、だからって晶子達を危険に巻き込むのは違うだろう!?』
「彼女達は既に巻き込まれてるんだよ。…本当は三鬼も分かってるんだろう?これしか方法は無いって」
『……』
四鬼は再び琵琶に指先を伸ばした。虫の音の中に、琵琶の音色が混じって行く。
三鬼が押し黙ったのを気にせず、四鬼は琵琶を奏でながら廊下を歩いた。
そうして、そっと目を閉じて孝子の真っ直ぐな瞳を思い出す。
本当は三鬼の言う通り、孝子には囮である事を告げるつもりは無かった。
妹と共に護ってあげる…そんな甘言で、何かあった時は孝子達をこちらの意のままに操り、利用しようと思っていた。
四鬼達の目的は双子姫を護る事では無い。「あざみの鬼」を始末する事のみなのだ。
馬鹿正直に「囮になれ」なんて、言える筈無いではないか。
そう思っていたのに…
「…本当に、変わった子だな、」
四鬼は誰に言う事も無く宵闇の中で独り言ちた。