十一話・再会
中途半端に終わりを告げた宴席を後にして、自室に戻った孝子は行儀悪く寝転がると、天井を見上げて眉を寄せていた。
倒れた母親の事は心配ではあるが、鏑木の言葉に従って珍しく父親が側に付いていると言うので安心もしていた。
それよりも、孝子には気になる事があったのだ。
「姫様!その様にはしたない真似はお辞め下さい。」
宇美が手燭で室内の燈台に火を灯しながら、だらしなく寝転がった孝子を叱責する。
孝子はそんな宇美の声を聞いているのか、いないのか、じっと天井を睨んでいたが、喉元から呻き声を上げると、突然がばりと起き上がり声を上げた。
「ねえ、宇美!さっきの鏑木法師の事だけど、どう思う?」
「何ですか、いきなり。」
「ほら、彼を見て何か気になる処とか無かった?」
「気になる処ですか?そうですねえ……ああ、そう言う事ですか。」
勢い良く尋ねる孝子の様子に、宇美は成程と納得した顔をして頷き、「うふふ」と笑った。
「確かに、鏑木様はとても琵琶法師とは思えない、随分と整った御顔をしておられましたからねえ。姫様が気になされるのも無理は御座いませんね。」
「な…っ!そんなんじゃないわよ!」
突然、思いもよらなかった事を宇美に言われて、孝子はすぐさま反論した。
見当違いも甚だしいときっぱり否定する孝子に対して、宇美の笑顔は深まるばかり。
「いえいえ、宇美には分かっておりますとも。宴席で鏑木様を初めて見た時の姫様の御顔!それに、箏を奏でるにも、いつもより気合が入っておりましたでしょう?あれは鏑木様に聴かせる為ではありませんか?」
「全然違うわよっ!」
「姫様の元には見目麗しいと評判の公達からも恋文が送られて来ますが、実際に御会いする事は無かったでしょう?そこへ来て、あの鏑木様の御顔ですものね。殿方を見慣れぬ姫様が、見惚れるのも仕方無い事だと思いますよ。」
「だから!違うって言ってるでしょう!?人の話をちゃんと聞きなさいよ!」
顔を赤くして声を上げる孝子に、宇美は口元を袖で隠して「うふふ」と笑う。
そこでやっと宇美に揶揄われた事に気付いた孝子は、更に顔を赤くしたのだが、今度は何も言わずに顔を背けた。
何か言うとまた揶揄われるとでも思ったのだろう。
実に分かりやすい態度であり、本来ならば感情をそのまま顔に出す孝子の態度は褒められたものでは無く、教育係の宇美としては「これ位、軽くあしらわなくてはなりませんよ」と言って窘めるべき処なのだが、揶揄い過ぎたのも事実。
宇美は素直に謝って、孝子の問に答える事にした。
「ふふっ、申し訳ありません。…そうですねえ、鏑木様ですが、私には特に気になる処は御座いませんでした。身形もきちんとしていらっしゃいましたし、話し方も丁寧で、あの方の教養が窺えます。」
「…そう。」
「姫様は鏑木様の何が気になっておいでなのですか?」
「……から。」
「え?何か仰いましたか?」
「ううん、何でも無いわ。きっと私の気のせい!…そうね、法師様はお父様の命の恩人だものね、感謝しなくちゃ!」
宇美が聞き返したのに頭を振って、孝子は笑顔でそう言った。
『―あの人とそっくりだったから。』
呟いた言葉を今一度、心の中で呟いて、孝子はそっと自嘲する。
何を馬鹿な事を考えたのだろう。
確かに鏑木法師とあの人はそっくりだけれど、同じ人物の筈が無い。
…そう、似ているのは顔だけだ。きっと気のせい。
だって、鏑木法師は人間で、あの人は…
「あら?琵琶の音が…鏑木様の琵琶でしょうか?」
宇美の言葉に、孝子ははっと我に返った。
そうして聞こえた宵闇に溶ける様な琵琶の音に、何故か心がざわついた。
「美しい音色ですねえ。」
宇美がうっとりと耳を傾けるのに、孝子の心は落ち着かない。
宇美の言う通り、美しい音色ではあるが、何処かおかしいのだ。
「ああ、ほんとうに、なんてうつくしい、ねいろ…」
「宇美!?」
突然倒れた宇美に駆け寄り、孝子はその肩を揺すって覚醒を促したが、宇美の意識が戻る気配は無かった。
焦燥感が募る中、琵琶の音はどんどんと近付いて来て、遂には孝子の部屋の前でその音色が止まった。
孝子は宇美を両腕で護る様に抱き締めたまま、御簾の向こうの何かを睨んだ。
心の臓が煩く音を鳴らしたが、孝子の顔は真っ直ぐに前を向いて、その瞳を逸らさずにいる。
「…本当に、君って面白い人だよね。」
そう言って、御簾を潜って孝子の部屋に入って来たのは、琵琶を手にした黒い裳付を纏った男。
但し、その両目はしっかりと開いていて、宵闇の中で銀色の輝きが煌めいている。そうして、その耳は天を向く様に尖り、後ろで一つに纏められた黒く真っ直ぐな髪、その頭上には白銀の二本の角が生えていて…
そう、孝子の目に前に姿を現したのは、あの日、孝子を助けた鬼だった。