序
花を贈ろうと思っていた。
両手に抱え切れぬ程の花束を持って、君に似合う花を贈ろうと…
この地に辿り着いた時、初めに目にしたのは海だった。
岩を打つ波の音に耳を澄まし、陽に照らされた海面を眺めていると、ゆっくりと自分の体が安定して行くのを感じる。
やはり、ここまで辿り着く為には心身共に相当の負担があったのだろうと、我が事ながらに、そんな他人事の様な感想を抱き自然と口角が上がる。
故郷を離れた全く知らぬ場所に立っている。
その事に不安も無く、楽しみや希望しか沸いて来ないのだ。
おかしなものだと思いつつ、それが性なのだろうと独り言ちた。
遠くに浮かんでいる船を眺めながら、さて、これからどうしようかと思っていた時、海岸に佇む君を見つけた。
真っ直ぐな黒い髪を潮風に靡かせ、黒曜石の瞳が切なげに揺れている。
痩せこけ、枯れ枝の様な細い体で必死に立っている君は、お世辞にも美しい容姿をしているとは言えなかったけれど、何故だか目が離せず、請う様にして、どうかこちらに気付いて欲しいと願っていた。
…残念ながら、それは叶う事は無かったけれど。
君の瞳はただ船を見ていた。焦がれる様にしてただ遠くにある船を見ていた。
そうして、船が辿り着き、そこに求める人が居なかったのだろう、君はそのかさついた唇を噛み締めると肩を落として海岸に背を向けた。
出会いは一方的で、いや、これを出会いと呼んで良いものか分からないけれど、確かにこの時、君の中に私がこの地に辿り着いた理由を見つけたのだと思う。
それから、私は君を求めた。
君を知り、君に私を知って貰う。
それはとても、掛け替えのない日々だった。
想いを伝え、想いを交わし
そうやって、私達は互いを唯一だと確かめ合ったんだ…
だから、君に花を贈ろうと思った。
両手に抱え切れぬ程の花を君に贈りたいと、初夏の山の中、君に似合う花を探して歩き回った。
花に埋もれて笑う君は、きっと綺麗だろう。
…そう、綺麗だ。
綺麗だと思っていた。
赤紫の群生に向かってひた走る。
手足に刺さった棘の痛みを無視して、ただ闇雲に走った。
赤い血が滲み、傷ついた体から…心から、叫び声が上がる。
それはまるで、獣の咆哮の様だった。
目の奥に映ったのは、一面のあざみの花
その中に、花に埋もれた君がいた―…