第四章 帰還に向けて
「う、あ……」
泥沼から這い上がるような疲労感と共に、薄目を開ける。
喉が渇いた。
まず感じたのはそれだ。兎に角、水分が欲しい。
身体を起こそうとして、固定器具が着いている事に気付く。左腕を動かす事にすら苦労しつつ、右手首の固定器具を外して身体を起こした。
「……うっわ、だる」
まだ瞼が重い。全身を襲う倦怠感も酷いものだ。
「何があったんだっけ……。ベッドで寝てるって事は、仕事終わらせて……?」
思考を巡らせつつ左足の拘束具を解いた所で、意識がハッキリしてくる。
ダフネに嵌められた。
つまり、仕事は終わってない、それがどれぐらい前の事か。
「くっそ。……副作用がヤバい」
ガンガンと響く頭を押さえつつ、ベットから立ち上がる。
倦怠感も頭痛も、不眠剤の副作用だ。数日ならここまで酷い事にならないが、長期間続けていたおかげで身体が悲鳴を上げている。
「あーもう。丸一日は寝てるな、この感じだと」
テーブルにあったボトルを手に取り、一気に飲み干す。
誰かが置いてくれたんだろう。その誰かは、たぶんダフネだが。
水が胃へと流れ、全身に行き渡ってゆくのを感じる。それだけで幾分かマシになって、私は大きく息を吐いた。
どれだけ仕事が溜まっている事やら。
頭痛が更に酷くなった気がして首を振った所で、自分の服装に気がついた。
患者衣。入院患者などが着る、着脱がしやすいあの服だ。
そう言えば、医療班も噛んでいるとかどうとか、眠る前に言っていた気がする。
と、突然扉が開き大きな影が覆い被さってきた。
「先生っ! 心配しましたっ!」
「……ダフネ。あんたがやったんでしょうが」
ギューッと頭を抱きしめてくるそれに、私は呆れてそう返す。
これですっとぼけたら大したもんだ。
「私は、ちゃんと確認を取って中和剤を飲ませたんです。なのに一週間も目覚めなくて……」
「ちょっと待て」
グイッとダフネを突き放し、心配そうなその顔を見上げる。
「一週間?」
「はい。診断では異常が無いのに、何をしても起きなくて」
「待って、ちょっと待って。……今どこの宙域?」
「サルビア宇宙ステーションに着いた所です」
予想外の返しに、私は思わずダフネの顔をまじまじと見つめた。
最初会ったときから想像出来ないほどに元気な笑顔だ。不健康さを感じさせる色白のせいで活発さは微塵も感じられないが、それでも相手の目を見てちゃんと話せるだけで、明るくなったんだなぁと痛感する。
っと、何かまた綺麗になったなぁと見惚れてる場合じゃ無くて。
「えっと……ホントに?」
「はい」
「……二週間寝てた、とか?」
「まさか。正確に言うのでしたら、艦内時間で七日と二時間三十四分、ですね。シロガネ先生がお休みになっていた時間は」
「それで、着いたの?」
「はい。三時間ほど前に」
私の睡眠時間はそんな細かく把握していて、何故到着時間は曖昧なのか。少し気になったが、それ以上に殆どスケジュール通りに辿り着いた事に感心する。
「良くそんな早く着いたわね」
「ふふっ。そう言ってくれると、頑張った甲斐があります」
嬉しそうに微笑んで、ダフネに「外へ食事でも」と誘われて頷く。
言われてみれば、すんごく空腹だ。ただ、さすがに着替えは必要なので一度外に出てて貰う。
何故かダフネは居座ろうとしたが、勿論拒否だ。ちゃんと意見出来るようになったのは良い事だが、訳が分からない所で意地を張ろうとするのは止めて欲しい。
手早く着替えて外へ。するとダフネの眼鏡がキランと光ったように見え、手に持った患者衣を奪われた。
「私が返しておきますっ! ついでにクルーにも先生と一緒に下艦する旨も伝えておきますから。じゃ、後で搭乗橋集合でっ」
「はぁ」
「それではっ」
何故か小走りで去って行くダフネ。
医務室とは逆方向だが、デッキに向かってから医務室に寄るんだろう。
なんとはなしにその背を見送ってから足を踏み出す。
と、先の階段からラプが顔を出した。
「あ、やっぱり起きたのね」
「ラプ先生。……今回は、ご迷惑をおかけしました」
礼儀として、深々と頭を下げる。と、彼は楽しげにクスクスと笑った。
「仕方ないわよぉ。皆の総意でもあったんだから、気にしないで良いわよ」
「それで、その……定時連絡とかは?」
「ちゃんとやっておいたわよ。ダフネちゃんも率先して手伝ってくれたから、そこまで手間でも無かったわよ」
「そうですか。ありがとうございます」
監督官は自分だ。その仕事を代行してくれた事がありがたくもあり、申し訳なくもあり。
「……えっと、それでダフネに食事誘われたんだけど、仕事大丈夫?」
「問題ないわよぉ。外で待ち合わせ?」
「うん。ダフネはクルー達に言ってから来るって」
「通信で済ませればいいのに、変な子ねぇ」
「私も、それで一言入れといた方が良いかな」
校章兼通信機の存在を思い出し、襟に取り付けた校章の縁に指を這わせる。
僅かな出っ張りがあり、そこで機能の変更が出来る。通信先は外部の装置を使う事で設定でき、全部で五チャンネルまで。今私の校章に入っている通信先は、ラプ、メインデッキ、パイロット候補生全員、登録者全員、強制全域の五つ。
登録者全員というのは、私の校章に登録してある校章の周波数全てに対してだ。最初に非常時の連絡先として全ての乗員に私の周波数を教えてあるので、相手からは個別通信が届く。逆に、私からはラプしか個別で登録していないので個人への通信は出来ない。
私は四番に合わせ、口を開く。
「教師のシロガネです。えー……ご迷惑を、おかけしました。今から下艦して食事を取るつもりです。用があったら、連絡して下さい。以上」
「ふふっ。真面目ねぇシロちゃん」
「仕事ですからね。……一週間も寝てたから、クビにならないかどうか不安」
「だいじょーぶ大丈夫。あ、食事に行くなら、搭乗橋まで一緒に行きましょ」
「一緒に食べないの?」
「あはは。……何されるか分かんないし」
「何が?」
「その、ダフネちゃんは凄く貴女の事心配してたのよ。だから、邪魔したら悪いかなって」
「気にしなくて良いと思うけど」
「気にするのはあたしじゃ無くて……うん、まだやる事あるし、またね?」
「あ、そうか……ごめん。私も手伝う」
「いーのいーのっ! 気にしないで」
長期間寝ていておいて、起きて仕事もしない。そんな自分に凹んだものの、ラプは笑顔で言葉を続ける。
「むしろ感謝してるんだから。こんなちゃんと教師やるなんて久しぶりで、その上見て分かるほどの成長ぶりなんだもの。教師生活それなりに長いけど、今回の航行は教師冥利に尽きるって奴ね。ホント、誘ってくれてありがと」
「……負担ばっかかけてる気がするけどね」
「まぁ負担が無かったわけじゃないけど、それに見合うモノも十分すぎる程にあったのよ。……ホント、帰りも楽しみ」
「そう言えば、色々図面引いてたわよね」
「整備士の子達も、話してみるとあれで色々アイデア抱えてたのよ。そう言えば聞いた? ここに来る航路、変更したんだけど」
初めて聞く事実に眉根を寄せると、ラプは口に手を当ててクスクスと笑った。
「そんな顔しなくても。スケジュールに追いつく為にどうしたら良いか皆で相談して、全部署一致で進路を変えたのよ」
「……暗礁宙域を通ったわけ?」
「パイロット、オペレーター共に、訓練なら少し危険な進路を選ぶべきだって主張してね。宙賊がいないって確認が取れたから、あたしがゴーサインを出したのよ」
バチンとウインクをされても、負い目があるからか気にならない。
むしろ気になるのは彼の素性だ。
宙賊の有無を確認出来るなんて、一教師の領分外だ。モデルのような立ち姿、何気に隙の無い身のこなし。何よりも実戦で培われたと分かる筋肉の質は、一般人のそれからはかけ離れている。
まぁ、問い詰めるような事では無いのであえて聞かないけども。
「出来れば、私を起こしてから決めて欲しかったけど……」
「問題なく着けたんだし、ね?」
「じゃあ貸し借り無しって事で」
「えー、ちょっと横暴すぎなぁい?」
「感謝してるし生徒の意思を酌んだってのも分かるけど、それと艦自体を危険に晒したのは別問題」
「ンもう。賞金稼ぎだった割には、その辺り厳しいのね」
「賞金稼ぎだから、危険な事にはちゃんと対応したいの。寝てるとき襲撃なんて受けたら、永遠に起きない可能性すらあるし」
「なら自己管理をしっかりする事ねぇ。生徒に心配されて実力行使に出られるなんて、教師として相当よ?」
「そこは……うん、反省してる」
ニヤニヤ笑うラプを前に、素直に萎れる。
単なる生徒にあっさりしてやられたのだ。賞金稼ぎとして凹むし、情けない。
「先生っ!」
「あぁ、ダフネ」
駆け寄ってくるダフネに力なく笑うと、彼女はラプを一瞬鋭く睨み、これ以上無いほどの笑顔を浮かべた。
「ラプ先生。何かご用事ですか?」
「別に、少し話してただけよぉ」
「そうですか。それでは、私達はこれで失礼しますね」
グッと手を引かれ、歩き出す。
振り返ったラプは笑顔で手を振っていた。何か見捨てられた気がするんだけど、気のせいだろうか。
そう言えば、ラプと一緒にいる時もそうだったが、すれ違う生徒達が敬礼をしてくれる。歩きながら軽くやってくれる程度だが、寝る前はそんな事無かった気がする。
一応同じように返してはいるが、変な気分だ。
搭乗橋を出ると、敬礼してくれる生徒が一気に増える。今度は座っていたのに立って敬礼してくれる子達までいて、何か申し訳ない。
そんな彼らに対し、ダフネの対応は見事なモノだった。
カツンと踵を会わせて背筋を伸ばし、敬礼。生徒達のみならず他の宇宙ステーション利用者の視線が集まる仲で腕を下ろし、口を開く。
「ご苦労っ! ただし、現時点では待機中の者を除き自由時間です。規則にあるように、目礼だけで問題ありません。その旨を通達しておくように。以上」
「『「了解しましたっ!」』」
若干揃いきれていないものの、全員がちゃんと敬礼して返事をしてくる。
いつの間にこんなしっかりしたんだろうか。私がいない事で団結力が芽生えたとかなら死にたくなるけど。
「さぁ先生、行きましょう」
そしてダフネは、生徒達に指示する間も私の手を握ったまま。
「ねぇダフネ。さすがにはぐれないから、手、離して欲しいんだけど」
「すぐそこですから」
「尚更手を繋いでる必要が無いと思うんだけど」
私の正論に、ダフネは笑顔を返してくれただけ。
ダフネの外見もあるんだろうが、注目を集めていて何か恥ずかしい。
ただ、幸いな事に目的地は近く、宇宙港のエレベーターに乗って辿り着いた場所こそが目的地だった。
「ようこそお客様」
「先程予約したダフネです」
「畏まりました。それではこちらへ」
おかしいとは思ったのだ。人の流れからは外れた場所のエレベーターだし、その前には警備員みたいな人もいるし、何よりエレベーター内にはエレベーターガールまでいた。
「あの、ダフネ。場違い感が凄いんだけど」
「確かにジロジロ見られていますね、……きっと、先生の気高さを感じているんだと思います」
「いやいや。どう見てもダフネに見惚れてるんだけど」
「ふふっ。先生はお上手ですね」
「いやいやいやいや」
ふかふかの紅い絨毯を歩く。
どこの宇宙ステーションにも一件はある高級ホテル、そこのレストランだ。
こういう所を利用するのは初めてではないが、それも仕事上やむを得ず利用しただけだ。普通に客としてくると、なんか妙に緊張する。
ウエイターに椅子を引かれ、着席。メニューを手渡され、会釈しつつ受け取る。
う~ん、やっぱ高い。まぁ、それでもスパイアより一割高い程度だが。
「失礼いたします。お客様、あちらのお客様がよろしければ同席を、と申しておりますが」
「ん?」
視線を向けると、奥のテーブルでは見慣れた二人が軽く手を上げていた。
「……ちっ。そう言えばあの人、お金持ちでしたね」
「ヨーコとガレックじゃない。じゃああっちに移動する?」
「そうですね。……はぁ。折角ですし、そうしましょう」
ダフネが頷いたので、ウエイターに伝えて奥のテーブルへと移動する。
「目覚めましたのね。心配しましたのよ?」
「ごめんごめん。……それで、なんで二人ともそんな良い服着てるの?」
「ここに泊まっているからですわよ」
「さすがね。……マーカスは?」
「無駄にお金使いたくないと言って、待機組に」
「あー、分かるわー」
気晴らしに外に出ると、気がつくとお金が無くなっているのだ。あえて艦内に籠もるという考えは、よく分かる。
そんな事を話しつつ椅子に座ると、ダフネはガレックとウエイターに声をかけ、ガレックを並んでいる料理ごとヨーコの隣へと移動させ、私の隣に腰を下ろす。
美人二人が両脇という両手に花状態ながらも、何故かガレックの頬は引きつっていたりする。
「では先生。何を食べますか?」
そう言って間にメニューを広げられたので、のぞき込む。
お腹は減っているが、値段を見たら空腹も薄れるというものだ。
「えーっと……うん。寝起きだし、このサラダとリゾット、後は紅茶にしとく」
「良いですね。では、その、私が頼むサラダと半分こしませんか? そっちのサラダも気になります」
「良いわよ。じゃあ頼もっか」
「はいっ」
嬉しそうに頷くダフネ。
その様子を見ていたのか、声をかけるまでも無くウエイターが注文を取りに来る。
ダフネも私と同じメニュー。違うのは先程言っていたサラダだけだ。
教師として、「奢るからもっと良い物頼んだら?」と言ってみた物の、ダフネは笑顔で「これが食べたいんです」なんて言うものだから、何となくデザートを二つ追加しておく。
「貴方達のも奢るけど?」
「ありがとうございます。ですが、宿泊費と一緒に払いますの」
「そっか。……あ、このタイミングで聞くのはなんだけど、帰路に関してはどうなってるの?」
誰へともなく投げかけた言葉に、ダフネが口を開いた。
「現状では予定通りです。ですので、今日を含めて三日ここに滞在する予定です」
「ん、分かった。……もう下手に関与しない方が良さそうだし、全部任せるわ」
一週間程度とは言え、私無しでも十二分すぎるほどの成果を出したのだ。ここからは見守るぐらいで良いだろう。
そう判断しての言葉だったが、ダフネはあたしの手を取ると、両手で包んで真っ直ぐに見つめてきた。
「先生の助言は必要です」
「……そぉ?」
「ですので、今後は出来るだけメインデッキにいてくれると嬉しいです」
「それは困りますわ。そもそも、シロガネ先生はパイロットの教師ですもの。私達の訓練に付き合っていただきませんと」
「ヨーコさん。この一週間貴女達の訓練を拝見させていただきましたが、もう十分すぎる力量ですわ」
「ダフネ艦長にそう言っていただけるのは光栄ですわ。ですけど、私達はまだまだ満足していませんの」
何故かヨーコとダフネの間で火花が散る。二人とも笑顔なのが尚怖い。
救いを求めてガレックに視線を向けるも、二人から逃げるようにお皿に顔を近づけて肉を貪っていたりする。
「お待たせいたしました。マリクール産のローズティーになります。こちらの砂糖とミルク、ハチミツはお好みでどうぞ」
良いタイミングで運んできたウエイターに心から感謝しつつ、紅茶を頂く。
ハチミツなんて出されると、高い所に来たんだなぁと痛感する。
一口飲んでほぅと息を漏らす頃には、二人は何事も無かったように私を見ていた。
特に会話を始める様子も無いので、私が口を開く。
「それで、プログラムの方はどこまで進んだの?」
「一応は一通り形にはなったと思いますわ」
「凄いじゃない。個人技のプログラムも組んでおいたはずだけど、そっちも?」
「私の班で一人、ガレックとマーカスの班で二人まだ練習中ですけど、及第点程度にはなっていると思いますわ」
「それはまた……頑張ったわね」
素直に感嘆の声を漏らすと、ヨーコはにんまりと笑った。
「えぇ。苦労いたしましたもの」
「ですので、パイロットの訓練はほどほどでも十分だと思います」
「まだ先生の確認が取れていませんわ。それに、先生の実技を見せていただいたからこそ、私達は現状に至れましたの。今後ともご指導ご鞭撻をお願いいたしますわ」
「先生の在り方は、私達にこそ必要なんです。是非今後はメインデッキに」
「ですから、先生はパイロットの先生ですのよ? 艦長様は、艦の管理をお願いいたしますわ」
「既に軍で通用するレベルなんですから、先生には頼りない私達の手伝いをしていただきたいんですけど」
「何をおっしゃっているんですの? その美貌と指導力で、オグル副艦長を筆頭にクルーの大半をまとめ上げたその手腕。誰かの指導が必要だとは思えないのですけど」
「褒めてくれるのは嬉しいですけど、艦長にしか分からない問題というのがあるので」
「それはこちらもですわ」
「「うふふふふ」」
なんか、凄い怖い。
褒め合っているのに気温がグッと下がったような気がする。
そしてガレックは、空になった皿をジッと見つめている。諦めて顔を上げて欲しいものである。
「お待たせいたしました」
またまた良いタイミングでサラダを持ってきてくれたウエイター。
これはチップを弾むべきだろう。このウエイターは出来る奴だ。
「じゃあ半分取り分ける?」
「半分食べたのを交換しませんか? 取り皿を汚すのもあれですし」
「それでいいならいいけど……いいの?」
「はいっ」
高級レストランだとマナー違反になりそうだけど、ダフネがそうしたいというなら、私としては断る理由が無い。
なので、サラダの具がちゃんと半分になるように食べてゆく。
「えっと、そうそう。それで対抗の艦はもう出発した?」
「ウィンス艦長の方ですか? それでしたら、まだ到着していませんけど」
「……ホントに? 最後に確認したときは、かなり先行してた筈だけど」
毎日日報と共に現在地を学園に送っていた。
日報を確認したという返信と共に相手の位置が伝えられていたのだが、最初一週間の航行距離は倍以上も違い、最後に確認した段階でもその距離は開いていた。遅くとも私達より先にこのサルビア宇宙ステーションに着いている筈なのだが。
「ダフネ。日報、ラプを手伝って送ってくれていたのよね?」
「そうです。シロガネ先生のお手伝いをしたくて」
「うん、ありがと。それで、返信に相手の位置があったはずだけど」
「はい。ここから数日の位置で停泊していたようですね」
「あー、航行しながらじゃなく、停泊して訓練にしたのか」
「そうだと思います。シロガネ先生の訓練の方が効率も良く技術の向上にも繋がるとは思いますが、安全面だけを考慮すればいい手かと」
何かダフネに過剰評価されている気がするけど、置いといて。
実際、生徒の安全を考慮するなら最善だろう。安定した航行すら不可能だった私達の艦では、検討の余地も無い手段だが。
「それで、最後の位置は?」
「この二日ラプ先生にお任せしていますので、現在地は少し。……まぁ、スケジュールを前半後半で考えられるなら、もうここに向かっている筈ですけど」
「その辺りの理由は兎も角、先に着いたのですし何かなさりませんの?」
「ヨーコさんもそう思いますか」
「えぇ。あの方達、随分と上から物を言ってくれましたもの。多少の意趣返しは必要だと思いますわ」
「みなさんそう言うんですよね。……私としては、あえて波風を立てずとも良いと思うんですけど」
「パイロットは模擬戦の時に通信でかなり馬鹿にされましたし。整備士やオペレーター、医療班の人だってこの艦に配属となった時点で色々言われたようですわよ?」
「ん~……」
仕返しをしたいらしいヨーコに、難色を示すダフネ。
感情や周囲の意見に流されないのはさすがだ。最初はどうなる事かと思ったが、艦長として正しく成長してくれているようで、素直に嬉しい。
そんな事を思いつつ二人を眺めていると、ガレックが口を開いた。
「あんな新任の下で、可哀想、だと」
「あぁん?」
「違う。ラングが、そう言われた、と」
ダフネの視線から逃げるように視線を逸らしつつそう呟くガレック。
するとダフネは大きく頷いて、食事の手を止めると両手をテーブルに置いた。
「ヨーコさん、どのような対応が効果的だと思います?」
前言撤回。仲間思いなのは良いが、感情には流されやすいらしい。
そう言えば、ラングはお目々が大きい小動物タイプだった。私が寝ている間に、色々あったのかもしんない。
「……先生、何にんまりしてるんですか」
「ん? いやぁ、青春だなあと思って」
「何言ってるんですか。先生が馬鹿にされたんですよ?」
「別に構やしないわよ。私は貴女達の教師で、貴女達から最低限認めて貰えてれば十分」
「先生……」
何故か頬を染めたダフネは、キッと眉尻を上げてヨーコに向き直った。
「徹底的にやりましょう」
「この辺りの宙域では模擬戦の許可も取れないのが問題ですわね」
「物騒なのはダメよ?」
「勿論です先生。私は、ただ丁寧に心を折りたいだけですから」
物騒な事を言っているが、暴力云々で無ければ問題にはならないだろう。
そう判断して、真剣な顔で話し出す二人を眺める。
ガレックは暇そうながらも会話に加わる気は無いようだ。ちゃんと話を聞いてはいるが、口を開くのは問いかけられた時だけ。
それでも、生徒達の交流というのは見ていて何か楽しい。
一通り食事が終わった後も紅茶のおかわりをし、私はその話が終わるまでのんびり時間を堪能したのだった。
二人は一時間近く話したものの、クルーを交えて相談するとの事で帰艦。
なかなか無茶苦茶な相談をしていて聞いているだけでも楽しかったのだが、一週間もサボっていた手前それ以上付き合うのは気が引けて、自室へ。
その際、捨てられた子犬のように円らな瞳を潤ませて見つめてきたガレック。その瞳が何を求めていたのか分からないので、笑顔で手を振ってお別れだ。
「さて。本来なら起きてすぐ確認すべきなんだけど……あー、見たくない」
一週間、溜まりに溜まったデータ。その中に緊急性の高い物があったらと不安になる。
それでも確認せざるを得ず、私は渋々校章を外してコンソールに繋げた。
同時に幾つかのシステムが起動し、浮かび上がったスクリーンにファイルが表示される。
「……良かった。ダウンから情報が届いてるだけか」
校章に残っていた音声データは全て数秒。間違えて繋いで、すぐ切ったのだろう。
なのでその辺りのデータは全て処分し、<クロガネ>から届いたデータを閲覧する。
ダウンが言っていた学園卒業者の行方不明者リスト。その中には工科学院の生徒も含まれている。
「よくこんなに調べられたわね。……けど、私が見てもなぁ」
学部、失踪したと思われる日時、住んでいた地域、住所。就職していた企業に関しても記載はあるが、何が何やらさっぱりだ。
と、校章が音を立てた。
指を触れ、通信を繋ぐ。
『あ、シロ先生? ラプだけど、部屋に入れて貰っていい?』
「開いてるから入って」
丁度良いタイミングだ。ラプなら面識のある相手もいるだろう。
そう思い即座に招き入れた物の、入ってきたラプはどこか気まずげだった。
「どしたの?」
「いや、さっき伝えるの忘れてて。……その、日報の件なんだけど」
「うん」
「現在地伝えるの、忘れてたのよね。二日前の返信で『位置が変わってないけど問題でも起きたのか』とか書かれてて……うふ」
「うん、別に良いけど」
「いいの?」
「メインサーバー使って日報作らないと現在地の設定がね。その辺り言ってなかったし。……その後は設定して送ったのよね?」
「勿論。でも、ほら。シロちゃんの日報って事でやってたから」
頬に手を当て、申し訳なさそうなラプ。
気を使ってくれた結果だ。責めるはずがない。
「今日の日報で一通り書いておくから気にしないで。負担かけて悪かったわね」
「好きでやった事だから気にしなくていいわよぉ。ンもう、シロちゃんってホント優しいんだから」
「優しくしてくれたのはそっちでしょ。それよりちょっとこっち来て」
「なぁに?」
近付いてきたラプに見えるよう、スクリーンをタッチして角度を変える。
「これなんだけど……知ってる生徒いる?」
「どこでこんな名簿手に入れたの? そりゃあ見知った顔は何人かいるわよ。懐かしいわねぇ」
「うん。この人達全員、行方不明者」
「……はぇ?」
妙な声を漏らし、口を半開きで私を見つめてくるラプ。
初耳なのだろう。一応内通者の可能性も考慮してはいたが、この反応なら問題ないはずだ。
「親族が近くにおらず、行方不明になっても通報されにくい卒業生がターゲットになってる。内通者がいるとみるべきなんだけど、心当たりは」
「え、ちょ、ちょっと待って。……嘘、でしょ?」
ラプはスクリーンに顔を近づけ、まじまじと顔写真を見る。
「だって、この子は小企業だけど専門技術の会社で、ボクが大きくするんだって。この子はちゃんとしたメーカーで、デザインからやらせて貰えるって……」
ボロボロと涙を零して化粧が崩れるが、してやれる事などハンカチを差し出すぐらいだ。
安物ではあるが、化粧で真っ白くなって、更に鼻までかまれたらゴミ箱行きだ。
私はコンソールを操作して彼らのデータを確認する。
「その二人は、行方不明の届けも出てないわね。失踪したと思われる日から一ヶ月ほどでクビになって終わり、ね」
「その企業、ぶっ潰してやる……っ」
「落ち着いて。こう言っちゃなんだけど、失踪した後届け出を出した企業なんて数件。実家に連絡した企業ですら全体の半分なんだから、その企業だけが酷いって訳でもないわよ」
「でもっ!」
「企業って、そーいうもんでしょ?」
賞金稼ぎをやっていた私の認識では、被雇用者なんてのは使い捨てだ。
企業の利益の為に存在するわけで、下っ端なんて換えが効くパーツだ。来なくなったならなったで代わりを補充して終わり、と言う認識なのだが。
「でも、行方不明よ? 確認はするでしょ、普通」
「さぁ?」
「それに、なんでこんなにいなくなっててあたしが知らないのよっ! おかしいじゃないっ!」
「そー言われても。ただ、学園も把握してないみたいね」
「普通卒業港にも連絡入れるでしょっ!?」
「うん。その普通が分からないから、私からは何とも」
「くそっ、くそっ!」
横の壁を叩かれて、部屋が揺れる。
「……シロちゃん。あたしは、何すれば良い」
「現状、確定しているのが五年前から行方不明者が発生しているって事だけ。全員が成績優良者ってだけで、共通点がないのよね」
「共通点……。五年前なら、あたしが赴任した頃で、その前の年にはグレッグ先生やラークス先生、他にも何人か赴任して、何よりも大きかったのが学園長の就任でしょうね」
「あのお爺ちゃん、六年前から学園長なの?」
二十年以上やってそうな雰囲気だっただけに意外だ。
「元々工科学院の理事だったって話ね。スパイアの最高幹部の一人でもあるらしいけど、当時の学園長が急死して代わりが見つからなかったから兼任するようになったとか」
その辺りはダウンが調べているだろう。
その上で何の問題も無かったから、報告にも上がらない。
「そー言えば、グレッグ先生ってのは今回の相手だったわよね?」
「普通の先生よ。オラクルからの出向で、やる気は無いけど技術は確かで、今回は立候補されたから仕方なくって感じだったけど」
「んー……」
他の先生について聞いても良いけど、多分役には立たないだろう。
内通者として最も怪しいのが教師だ、ダウンなら勿論その辺りを調べているだろうし、ここでラプに聞いた所でダウン以上の情報が掴めるとは思えない。
「そう言えば、なんでシロちゃんはそんな事に気付いたの? 警察の関係者?」
「まさか。気付いたのはたまたまで、最初は私が追い詰めた賞金首の繋がりに関して調べて貰ってたのよ」
「それがどうして行方不明者の調査に?」
「オラクルグループが怪しいって話になって、スパイアもオラクルグループの勢力圏内でしょ? まぁ複数の企業が絡んでるけど、そんな理由で調べてみたら卒業生に数人行方不明者がいて、詳しく調べてみたらって流れ」
「……オラクルグループ、ねぇ」
大分落ち着いたのか、化粧が落ちて完全にオッサンの顔になったラプは、それにも構わずに顎に手を当て、くねりと腰を動かした。
「んぅ、オラクルに限った話じゃないけど、大企業が誘拐に手を染めるのは、分からないでもないわねぇ」
「人体実験、でしょ」
「そう。五大企業なんて普通にえげつない構想を相談しに来たりするもの。それに追いつこうとするなら、更に酷い構想を練って、実行しなきゃ無理でしょうね」
「ちなみに、どんな構想?」
なんと無くて尋ねた言葉。
それに帰ってきた答えは、なかなかに酷いものだった。
「一番困ったのは、赤ちゃんの頃から義体に脳を移すって言う話」
「エゲつな……」
「そう思うでしょ? 企業にそんな構想を持ちかけたの、どこだと思う?」
「どこって……そこそこ資金がある、イカレた宗教団体?」
「人権団体よ」
「は?」
「赤ちゃんの頃から義体で育てば、性差別も人種差別も無くなる。だから世界の為にそういう技術が必要、なんだって」
「イカレてるわね」
まぁ、人権テロリストなんて呼び名がある時代だ。イカレてる善意の集団がそこら中にいてもおかしくは無い。
分かりやすい例えが、オグル副艦長の人種。今は宇宙に出てから長い事経っている為人種として確立し、在り方がまともになっているが、オウグ族は本質的に暴力を好む。
にもかかわらず、善意の団体が友好を求めてその星に降り立った結果、宇宙船が奪われ、近くにある二つの惑星に住んでいた人種が皆殺しにされた。
善意の人権屋、人権テロリストが犯した有名な大罪の一つだ。
だと言うのに、そう言った組織は後を断たない。なんちゃら保護団体と同じで、相当良い金になるのだろう。
「企業としても、その構想が通ればかなりのお金になる。だから支払われたお金分はちゃんと仕事をしますって言うスタンスだったけど……世知辛いわよねぇ。正しいって何か、分からなくなるわ」
「ちなみに、それって可能なの?」
「えーっと……公には、人種ごとの特性が合っていないと、義体との適合しにくい。それは聞いた事ある?」
「一番適合しやすい地球人で五十%ぐらい、だっけ?」
科学も随分と進歩したが、未だに全身義体の適合率はそんなものだ。
オーダーメイドで生前の姿を参考にすれば適合率は八十%にまで上がると聞いた事はあるが、適合しても寿命は十年だと言われている。
「その話は事実なんだけど、正確に言うと違うのよ」
真剣な口調で、ラプが続ける。
「目覚めて、自分の身体で無いと認識して、そのストレスで死ぬの。瞼が開かない、腕が動かない、呼吸が出来ない。そんな感じで、理論的には生きる事が出来るのに、脳が死を認識してしまう。その結果が、不適合ってわけ」
「えーっと……。……つまり?」
「脳を生かせばいい。……シロちゃんにだから言うのよ? これは、世に出てはいけない理論であり、事実だから」
、思わず喉を鳴らす。
それほど、ラプは真剣だった。化粧が流れ落ちてしまっていると言うのも大きく、その眼差しには凄みがある。
「理論上は、脳を兵器にぶち込んで動かす事が出来る。少なくとも、幾つかの生物実験では成功している技術なのよ」
「でも、それじゃあ適合しないんじゃ」
「適合するよう、脳に干渉するのよ。……はぁ。教え子がそうなってる可能性もあるから教えておくけど、絶対に秘密よ?」
「ちょっと待って。……ラプ、あなたは、何を、どこまで知っているの?」
悪戯っぽくウインクしたラプを、私は背筋を伸ばして真っ直ぐに見つめた。
教え子がそれに巻き込まれたと確信している様子だったからだ。どこの組織に所属していようと関係ないが、卒業生失踪に関与しているなら話は別だ。
だからこその眼差しに、ラプは少し驚いた顔を見せた後、苦笑した。
「この子達の失踪に関しては、何も。ただ、状況的に間違いなく生体兵器開発でしょうね。政府か企業か、もしくは両方か」
「根拠は?」
「脳の質を求め始めている時点で、開発も終盤。名も知られていないような中小組織ではそこまで辿り着けない。十分な素体数に十分な設備。更に言えばその設備の維持、開発に湯水のようにお金が使われるから、そんな事が出来るのは限られた組織だけになるのよ」
脳が目的だというのなら、成績優良者だけを狙うのも頷ける。
ただ、脳を使った研究に関しては初耳だ。だがその内情を平然と言ってみせるからこそ、ラプの言葉は事実なのだと理解出来る。
「疑問は腐るほど有るけど……一つだけ。今は、関わってないのね?」
「勿論よ。信じて、といか言えないけど」
「なら良し」
付き合いが長いわけでは無く、その仕事ぶりをじっくり拝見した事も無いが、生徒達から聞く限りではちゃんと教師をしてくれているのだ。
私にとってはそれで十分。今も人体実験に関与しているなら、私の教師生活の為に今のうちに拷問して吐かせて大元を断つ所だが、そうでないなら問題ない。
「……いいの?」
「そんな事より、関与してる企業か政府に心当たりは? 当たりがつけば、変な干渉される前に対応しやすいんだけど」
わざわざ調べているのは、正義感云々では無く、問題に巻き込まれない為だ。
自爆した賞金首に関しても、横なり縦の繋がりがあるなら報復の可能性がある。だから調べていると言うだけ。極論を言えば、どこの誰が黒幕だろうと関係ないのだ。
私と、私の周りに干渉しないのならば。
その保証が無いから、こうして調べているというだけで。
と、ラプは口元を抑えると声を殺して笑った。
必死で声を抑えている様子ではあるが、クックックと喉から声が漏れている。
その笑っている時間がかなり長く、私は数分間そんなラプを眺める羽目になった。
「……ふぅ。ごめんなさいね。シロちゃんがあっさり割り切るもんだから、少し面白くて」
「うん。で、心当たりは?」
「残念だけど」
「そっか」
「義体メーカーを保有している所なら、どこでもその可能性があるのよねぇ。そこに軍事企業が絡めば、生体兵器の開発に進んでいくのが必然なのよ。だから、断定は無理。ごめんね?」
「別に良いわよ。分かろうと分かるまいと、私の利益にはならないし」
あくまで自衛の為の保険。
なのだが、何故かラプは首を傾げた。
「……犯人追ってるんじゃないの?」
「私に何の利益があるのよ」
「でもほら……あたしの元生徒達が攫われちゃってるわけだし」
「うん。こう言ったら悪いけど、私には関係ないし」
しょぼんと項垂れるラプだが、実際そうなんだから仕方ない。
大企業か政府が絡んでいると言われて、じゃあどうにかしようと動くのは、賞金稼ぎの仕事でも教師の仕事でも無い。
それは、正義を語れる職種の仕事だ。
「まぁ、複製データならあげるから、警察にでも相談したら?」
「動いてくれると思う?」
「思わない」
「よねぇ」
ラプは憂鬱げに大きくため息を吐いたものの、すぐに「仕方ないか」と顔を上げて口を開いた。
「知れただけ良かったと思う事にするわ。それで、仕事の話なんだけど」
「何?」
「訓練機のアタッチメントを作成しようと思ってるの。と言うか、整備士の子達が図面引いてて、良いと思うのにはゴーサイン出しちゃったんだけど」
「別に良いけど、パーツあるの?」
「ここに知り合いがいるから、停泊している間に必要なパーツは大体揃う予定」
「ならいいんじゃない? ただし、本来の仕事に影響が無い範囲で」
「了解。ありがと、シロ先生」
「はいはい。それで、本題はそれだけ?」
「えぇ。……何か色々ごめんね?」
「壁ぶっ叩いた事なら気にしなくて良いわよ」
「ふふっ、それじゃあね」
バチンとウインクして退室するラプを見送って、スクリーンに向き直る。
まずは学園長宛の日報作成からだ。
一週間サボっていた事実の報告に、現在地を送れなかった理由に関しても記載する必要がある。
「あー、めんど」
そうぼやきつつも、私は教師としての仕事を行うべくコンソールに指を置いたのだった。
△▼△▼△▼
二日後。
ようやく辿り着いた対抗艦から私に個人通信が入り、それに応えた結果、私はラプと共に喫茶店に訪れていた。
「今更ですが、初めまして。グレッグです」
「どうも。シロガネです」
わざわざ椅子から立ってくれたグレッグと握手を交わす。
元軍人というのが嘘のように細い手だ。身長はそれなりに高いはずだが猫背で、目元まで伸びた黒髪も含めて雰囲気は暗く、それが全体的に小さい印象を与えてくる。
「今回は何と言いますか、災難でしたね……」
「何言ってんのよ。グレッグちゃんこそ押しつけられて、良い迷惑って所でしょ?」
「いえ、自分はまだ、知っている生徒も多いので……」
もごもご喋っているようで、ハッキリ聞き取れる。不思議なしゃべり方をする人だ。
そんなグレッグは窓側の奥に。その隣にラプが腰掛け、私は窓側の手前。要するにグレッグの正面だ。
スクリーンで立ち上がったメニューを見れば、スパイアよりも安い。それでも世間一般で言えば少し高いと感じるぐらいか。
「私はコーヒーにしとこうかな。ラプは?」
「あたしはミルクティーで」
「ん。グレッグ先生は?」
「グレッグで、いいです。シロガネさん、と呼ばせて貰っても?」
「シロで良いわよ」
「では、シロさん。ボクもコーヒーで」
「ん、了解」
スクリーン下のコンソールを操作して注文を済ませる。
スパイアではタッチスクリーンだったが、世界的に見ればタッチスクリーン自体はまだ普及していない。スクリーンはスクリーンとして映像だけ、操作はコンソールでと言うのが一般的だったりする。
もちろん、注文した物を持ってきてくれるのは店員だ。スパイアの店が異常だっただけである。
「それでグレッグちゃん。どーだった? ここに来るまで」
「幸い、優秀な子達なので……ボクが、特に何をする必要も無く……」
「そぉ? でも、優秀なら優秀で諍いぐらい起きそうなものだけど」
「そう、ですね。二回ほど、喧嘩が……」
「それだけですんだの? はぁん、折り合いの付け方も上手い優秀な子達なのねぇ」
「……こっちは地獄だったわね」
思い出しただけで頭痛がする。
ラプはそれすらもう良い思い出らしく、ニコニコだが。
「そういえば、シロ先生。どういう航路で……?」
「スケジュールに間に合わせる為に、少しショートカットしたのよ。日報に現在地を添付し忘れてたから、驚いたかもしれないけど」
「あぁ、そうでしたか……」
「なによぉその反応。もしかしてずっと停泊してたの、あたし達に喧嘩売る為だったりする?」
試すようなラプの言葉に、グレッグは大きな溜め息を吐いた。
「生徒達が、試してやろう、と」
「あらぁ。ちゃんと止めないとダメじゃ無い。グレッグちゃんってば」
「優秀な、生徒達なので……」
「優秀、ねぇ」
頬杖を付いて窓から外を眺めてみれば、グレッグの生徒達がウチの生徒達に絡んでいるのが見てとれる。
搭乗橋前の広場である為、待機用の椅子も多く、人も多い。とはいえ、制服を着ているのはスパイアの学生だけなので、見ればすぐに分かる。
見覚えのある生徒が、見覚えの無い生徒に肩を組まれて困り顔だったり、肩をすくませて話しを聞いていたりと、一目で上下関係が分かる光景ばかりだ。
ちなみにダフネは以前の髪型に戻している。私から見える位置の椅子に座ってピクリともしていない。なのに誰も近付く者がいないのは、その近くに立ったオグルが周囲を威嚇しまくっているからだ。
ちなみにもう一人の副艦長ミゼットは、同じ人種の人と話している。彼女は元々優秀なので、エリート側の人とも親しいのだろう。
「……人格に問題が無いとは、言っていませんので」
「ま、学生ならあんなもんでしょ。大人のいびりに比べれば、見ていて微笑ましいわよ」
賞金稼ぎ業界では、中年が新人をいびるというのがまぁ普通だった。
その年まで生きているという時点で、大体が安全第一で仕事が出来ない賞金稼ぎ。虐めたりするのは趣味だったり性格的な問題だったりもあるが、最大の理由は若さに対する嫉妬と、優秀な人材だったらと言う恐怖なのだろう。
賞金稼ぎの仕事は、当然早い者勝ちだ。だからこそ、優秀な人材を恐れる。
その結果として発生する新人いびりは、まぁ見るに堪えないものが大半だ。それで折れるようなら賞金稼ぎなんて務まるはずも無いので、助ける事は殆ど無かったけど。
「シロさんの艦は、どうでしたか……?」
「色々あったおかげで纏まったって感じね」
「シロちゃん、頑張ったものねぇ」
「ラプがいなかったら、未だに酷いもんだったかもね」
「そんな事無いわよぉ。シロちゃんが頑張ったから、クルー達も纏まれたんだしぃ」
そう言いつつも、頬に手を当てくねくねと身体をよじるラプ。
その様子に飲み物を持ってきてくれた店員はあからさまに引いていたが、私は笑顔で商品を受け取る。
熱々のコーヒーを何も入れずに一口。
……まぁ、うん。そのままで飲むにはあんま美味しくないコーヒーだ。砂糖とミルクをたっぷり入れてかき混ぜる。
「では、今回の遠征に意味があった、と言う事ですね……」
「十分すぎる程に」
「そぉねぇ。最初のトラブルも考えると、やっぱりこういったスタイルで学んだ方がいいのかもしれないわねぇ」
「そこを決めるのは学園長だしね。……私は、二度とごめんよ」
「そぉ? 苦労はしたけど、案外楽しかったと思うのだけど」
「お・こ・と・わ・り」
ハッキリと言い切って、コーヒーを啜る。
やっぱり、甘いは正義だ。不味いコーヒーすら美味しくなる。
そこから話し始めたのは、大体がラプ。あの地獄が相当楽しかったようで、整備士とパイロットの喧嘩や、パイロット同士の喧嘩を懐かしむように話し出す。
のんびりとコーヒーを飲んでいたつもりだったが、それすら空になり、見てみればラプとグレッグのカップも空になっている。
なので私は、席を立った。
「話の途中だけど、そろそろ行きましょ」
窓越しに視線を向ければ、目が合ったらしいダフネが頷いて、立ち上がった。
彼女が髪を後ろで纏めた瞬間、数人の男性が動きを止めたのが目に入る。
暗そうな女性がいきなり絶世の美女になったのだ。そりゃあ驚くだろう。
「そうねぇ。それじゃあグレッグちゃん、次は学園でね?」
「……もう、発つので?」
「そう、すぐに」
私がそう答えるのと同時に、ダフネの隣にたったオグルが声を上げた。
『総員、集合っ!』
通信自体は音量を最小まで下げていたものの、オグルの声が窓を揺らして店内に響き渡る。
同時に、卑屈な態度を取っていた生徒達が一斉に背筋を伸ばして走り出した。
ダフネ達が言っていた意趣返しがこれだ。勿論私も台本を貰ってある、
会計を済ませて、外へ。
広場にいた生徒達は既に並び、他の階や艦内にいた者達が駆け足で列へと並んでゆく所だった。
私とラプはゆっくりと歩き、ダフネの隣に並ぶ。
そして最後の一人が列に並ぶと、音が消えた。
この場にいる誰もが、私達を見ている。その中でダフネが一歩踏み出すと、オグルが口を開いた。
「総員、傾聴っ! ダフネ艦長よりお言葉があるっ!」
「ありがとう、オグル」
一言そう伝えてから、ダフネはクルーに向かって口を開いた。
「成績優秀な方達の艦が到着して六時間。交流は図れましたか?」
『はいっ!』
「それは重畳。その為に私達は、十分すぎる程の休暇を取る事となりました。ですので、当艦は即座に出発する事とします」
『はっ!』
「シロガネ先生。出発の前に、お言葉を」
「ありがとう、ダフネ艦長」
ダフネに場所を譲られ、生徒達の前に立つ。
ここまでは台本通り。後は私が適当に話をしたら、乗艦して発進という流れだ。
好きに話して良いと言われたので、良い機会だし謝辞を伝えるとしよう。
「まずは。皆に感謝を。知っての通り私は新任であり、ノウハウも無く皆を監督する立場となった。不満を抱いた者も多い事だろう。この往路で諸君等が抱いた苦しみ、悲しみの全ては、私の至らなさが成したものだ。本当に、すまなかった」
「そんな事はありませんっ!」
思わず言ってしまったのか、視線を向ければダフネが口を手で覆い、目を伏せた所だった。
その様子に苦笑して、生徒達へと視線を戻す。
「私は、ここにいる誰もに助けられ、この場に立てたのだと思っている。……学ぶ事の多い航路だった。それは、諸君等に関しても同じ事だろう。こうして並び、立ち、聞く。一艦の乗組員として当然の事を当然と行える諸君を、誇らしく思う。既に、旅路も半ば。往路と同じように、復路も共に多くを学びながら歩んでゆく事にしよう。よろしく頼む。以上だ」
「シロガネ先生に敬礼っ!」
寸分違わぬ動作で敬礼をする面々。台本があってこそとはいえ、こんなことですら成長を実感する。
「総員、搭乗っ!」
オグルの声に従って、生徒達は搭乗橋近くの者から二列になって進んでゆく。
歩幅を揃えて、足音を重ねて。練習風景は見ていたが、全員がちゃんと胸を張って足並み揃えて進む事が出来ている光景を見ていると、胸に来るものがある。
私が寝ている間に成長したなぁ、と。
やっぱり私はいらないんじゃないだろうか。
まぁ、帰りは無理しないようにしよう。色々頑張ったのに、寝込んでいる間にまた一皮むけていたりしたら、多分泣く。
「先生、少し失礼します」
そう言ったダフネが視線を向けた先には、ベンチに腰掛け口を半開きにしてこちらを見つめている男子生徒。
確か、相手艦の艦長を務めている男性だ。学生と言うには年齢が高く見えるが、エリート校故に四十五十代でも通っている者はいる。見た目二十代後半ならさほど珍しくもない。
頷いて返すと、ダフネは微笑んで彼の元へと足を進めた。
『失礼します。ウィンス艦長ですか?』
『あ、あぁ。君は……』
二人の会話が校章から聞こえてくる。
と言う事はつまり、クルーにも聞かせてやりたい会話をする、と言う事だろう。
第一印象は控えめだったのに、随分と過激になったものだ。
『同じく艦長のダフネです。初めまして、ですよね?』
『あ、あぁ。……君が、本当に、そちらの艦の?』
『えぇ。一ヶ月も学ぶ機会を頂いたのです。誰もが多かれ少なかれ、学び、変わるものです。それは私にとっても例外ではなかったというだけで』
会話を交わしつつ、握手している様子が見える。
『その点ウィンス艦長のクルー達は素晴らしいですね。先程拝見していましたが、以前と何一つお変わりないようで、安心しました』
チクリと言うか、ブスリとぶっ刺すような言葉に、遠目にもウィンスの頬が引きつったのが分かった。
『それでは、失礼いたします』
言いたい事だけを言うと、さっさと戻ってくるダフネ。
「では、行きましょう」
何故か腕を組まれて歩き出す。
「ねぇダフネちゃん。ちょっと酷くなぁい?」
「何一つ成長していないようでしたので、善意の忠告です。……なによりあちらの人達は、シロガネ先生を侮辱したようですし」
「後半が本音じゃないのよ。……まぁ、確かにあれで変わろうともしないなら、成績優秀者でも落ちこぼれね」
「そう言えばさ。ウチの艦、落ちこぼれ集めたって言うのに優秀なのが多くない?」
「先生っ」
ダフネに抱きしめられて、その背中をポンポン叩く。
何か、この宇宙ステーションに着いてからダフネのスキンシップが激しくなった気がする。
そんな私達に構わずに数歩先に進んだラプが口を開いた。
「当然だけど、入学出来て退学していないって時点で、一般よりは遙かに優秀なのよ。ただ、問題児だったってだけで」
「ラプ先生に言われるとムッとするんですけど」
「なんでよっ!?」
「だって、ラプ先生も教師として問題あるからこの艦に配属されたんですよね?」
「違うわよっ!? ……え、違うわよね?」
「ラプには私が頼んだのよ。いきなりの話で頼れる教師がラプしかいなかったってのもあるけど、訓練機に関して誠実だったし、信頼出来ると思って」
「もぉシロちゃん、好きっ!」
抱きつこうとしてきたラプの顔面を、ワシッと掴むダフネ。
「あによこの手」
「先生が嫌がりますので」
「あたしも教師なんだけどぉっ!?」
「承知しています。シロガネ先生の半分程度は教師だと」
「想像以上に評価が低いっ!」
ラプの顔から手を離したダフネは、手に着いた白粉を腰で払い、その手でシッシッをラプを払った。
「さっさと行って下さい」
「扱いも酷いっ! ……え、嘘でしょ? あんなに色々教えてあげたのに」
「信頼していればこその対応です。ほら、早く行って下さい」
「なんか納得いかないんですけど」
そう言いつつも歩き出すラプ。
そんなこんなで艦へと入ると、待っていた生徒達が歓声を上げた。
「さすがだぜ艦長っ!」
「やー、胸がスッとしたっす」
次々と告げられるお褒めの言葉に、ダフネは苦笑しつつ私と組んでいた腕を解くと、二つ手を叩いた。
それだけで生徒達は口を閉ざす。その様子を見回してダフネは微笑むと、口を開いた。
「皆さんの艦長として、すべき事をしたまでです。そして、ここからは皆さんの仕事です。……総員、発進準備」
『はいっ!』
返事は生徒らしいものだったが、訓練の甲斐あって全員揃い、一斉に動き出す。
一隻の艦としての正しい姿。学生ばかりでどうなる事かと思ったが、一ヶ月でここまで統制が取れるようになったのなら十分すぎる成果だろう。
「では先生方、私はこれで」
「ん、頑張って」
私はメインデッキへと向かうダフネを、笑顔で見送った。
これなら復路は、楽が出来そうだ。
【ウィンス】
艦長であるウィンスは呆然としていた。
相手の艦長が美しかったと言う事実に驚き、その乗組員達が軍人と言っても差し支えないほど統率の取れた動きをしていた事に戸惑ったのも事実。
だが、呆然とし、動く事が出来なかった最大の理由は、嫌みを言われながらも返す言葉がない事に気付いてしまったからだ。
「……ウィンス。何を話したの?」
「カリナ、か」
ダフネ艦長達がいなくなってからかけられた声に、ウィンスはようやく意識して息を吐いた。
振り返れば、全体的に青白い女性。マリン人と呼ばれる人種であり、上半身に巻き付けてある水色の髪は水中で活動する際水面にまで伸びで呼吸の補助をする器官でもある。
そんな彼女とウィンスは、学園に入って以来の友人だ。互いに真面目で、競い合えるライバルという関係でもある。
「全く成長していない、とな」
「……なんですって?」
「ただの事実だから、俺は何も言えなかった。あの光景を見るまでは、俺たちの誰もが彼らを見下したままだった。何もしていないから、何も変わっていない。本当に、その通りだ」
「けど、貴方は艦長としてちゃんとやろうとしてきた。悪いのは全部、あいつじゃない」
そう言ってカリナが鋭く睨んだ先には、こちらに向かって歩いてくるそいつがいた。
「やぁ艦長。それでは、すぐに、出発して貰えるかな……?」
「今着いたばかりよっ!?」
「副艦長。ボクは、艦長に話しているんだよねぇ……」
やれやれと肩を竦め、グレッグはウィンスを見る。
「スパイアへの到着が彼女たちよりも遅いようなら、評価に関わる、からね……」
「グレッグ先生。さすがにすぐ出発では士気に関わります。せめて二十四時間は」
「士気? 何もして、いないのに?」
くっくっくっと喉で嗤うグレッグに、ウィンスは吐き出そうとした怒声を喉で抑え、大きく息を吐いた。
「……グレッグ先生。貴方がそうしろというから、移動を優先し訓練も行わず、停泊しろと言うから何も無い場所で時間を無駄に使ったのです。そのせいで遅れておいて、彼女たちより遅くなるからと休暇をなくされては、筋が通りません」
「そんなものは、不要だろう? もう一度言うけど、君たちは、何もしていないんだよ……。無駄口を、叩く暇が、あるのなら。乗組員に、通達を出して、欲しいね……?」
「グレッグ先生っ」
「ウィンスくん。ボクは、見返りに、単位を提示した。君たちは、それに乗った。分かるね……?」
反論の余地がないその言葉に、ウィンスは顔を顰めながらも校章に触れ、乗組員達へと一方的な通信を入れた。
この艦に選ばれた者達は、その多くが既に授業を必要とせず、ただ単位だけを必要としている生徒ばかりだ。
それだけ優秀という事であり、既に聞く価値すらない授業を受けるよりはと、全員がその要求を呑んでいる。
搭乗し、決められた航路を進むだけで良い。
たったそれだけの要求。だがそれが、今はこんなにも辛い。
「そうそう。それで、いいんだよ……。難しい事を、求めるつもりは、ないからね……」
そう言って艦へと向かってゆくグレッグを見送り、ウィンスは「クソッ」と悪態を吐いた。
「まぁ、単位さえ貰えればいいわけだし、ね?」
「それでどうなる? スパイアに着いた後の模擬戦で負けてみろ。単位所の話じゃなくなるぞ」
「まさか。確かに一年の優秀な子が何人か参加したとは聞いたけど、それだけで私達が負けるはずないじゃない」
「そうだな。俺だってそう思いたいよ」
「ウィンス?」
「なぁカリナ。あの光景を見て、本気でそう言えるのか?」
ウィンスが態度で示した事は無かったが、彼らの事を馬鹿にしていたし、見下してもいた。
だからこそ、その変化を目の当たりにした今、抱くのは危機感だった。
スパイアに帰還した後の模擬戦。それは勝って当然であり、苦戦する事すら許されないのだ。
もし少しでも苦戦するようなら、その責任はパイロットではなく艦長に来る。
それがウィンスには恐ろしかった。
「もし良い勝負なんてされてみろ。赤っ恥所じゃ済まないんだぞ」
「ウィンス。……あのね、貴方は当然の事を忘れてるわよ」
「ん?」
「私達が、優秀な生徒と呼ばれるようになるまで培って来たモノ全て。それが、たった二ヶ月で覆されるっていうの?」
「むっ、それは……」
「心配性なのは、悪い事じゃない。けど、もっと自分に自信を持ってよ。貴方が、私達の艦長なのよ?」
バシンと力強く背中を叩かれて、ウィンスは笑顔を浮かべた。
一叩きされただけで、不安も心配も吹き飛んだ。
「ありがとう、カリナ。じゃ、行こうか」
「えぇ。多分あの根暗の事だからあいつらの艦を追えって言うだろうし、ついでに訓練の様子とか確認すれば、悩む必要なんてなかったって分かるわよ」
「あぁ、そうだな」
良きライバルの言葉にウィンスは大きく頷いて、軽い足取りで自分達の艦へと向かっていった。