2.出航
「おはよう」
8月1日朝5時27分。再び降り立った成城学園前駅改札前で待っていたのは時谷さんだけだった。
「おはようございます。まだ高山家の車は来てないそうですね。」
「ああ、まだ2分26秒あるからな。」
彼は時間にうるさいが、5分前行動などを崇拝するタイプではない。ただただ、集合の5時30分00秒までに、集合していればいいのだ。その、2分45秒後10人乗りの大きなバンがロータリーに到着した。時谷さんの顔を少し心配して見るが、流石にこれから10日間お世話になる方々に19秒の遅刻を責める気はなさそうだ。車から美雨が降りてきてこちらに手を振る。
「お待たせしました。乗ってください。」
彼女に促されて車に乗ると我々以外に既に8人乗っており、私達2人が美雨と共に1番後ろの席に座って満席となった。
「おはようございます。今日からお世話になります。南谷高校ミステリー同好会会長の時谷迅です。」
「七瀬結月です。よろしくお願いします。」
私たちを振り返って見る人たちの顔には歓迎ムードで染まっていた。助手席の後ろに座っていた雪さんが口を開く。
「そしたら私達も自己紹介しましょうか。この間も会ったけど改めまして美雨の祖母の高山雪です。」
雪さんが言い終えると彼女の隣に座っていた、年はとっているが、衰えを見せない頑丈そうな老人がこちらを向いた。
「美雨の祖父の冬也です。先日はうちの猫をどうもありがとう。」
続いて冬也さんの後ろに座っていた黒縁の眼鏡をかけた大人しそうな男が口を開く。
「美雨の父の隆一だ。隣が妻の沙織、その隣が美雨の兄の正雄だ。よろしく。」
彼に指された2人も私たちの方を見て軽くお辞儀する。2人が顔を上げるのを見計らうように助手席の男が振り返った。
「高山一です。よろしく。」
振り返った顔は少し焼けていて年齢は隆一さんより少し下くらいだと推定できた。そして、最後に運転席から聞き覚えのある丁寧な声がした。
「高山家執事の橋本総司です。この度はよろしくお願いします。」
この間客間まで案内してくれた人だった。
「この8人とあと、叔母さんと叔父さんが来るの。呼ぶときは苗字はみんな高山だから下の名前で呼んで。」
美雨がまとめて言うと、車が発進した。車内ではまず始めにミスドの話になった。時谷さんが、ミステリー同好会のしょうもない活動内容を淡々と説明する。しかし、高山家の人々は感心した様子で、我々の株は急上昇したみたいだ。高山家の人々は毎年この時期に豪華客船の旅を利用しているらしく、仲が良かった。意外だったのは執事の橋本さんが、他の人達と対等な立場で話していること。どうやらこのクルーズの期間はいつもお世話になっている橋本さんに恩返しする目的もあり当主の冬也さんが普通に接するように頼んだらしい。クルーズの中身はお楽しみということであまり話してくれなかったが、1人一部屋とスイートルームらしい。去年は何をして10日間過ごしたかなどを教えてもらっているうちに目的地である港の近くの駐車場に着いた。駐車場から歩いて海の方へ向かうと大型豪華客船が見えてきた。一眼では入りきらない大きさでこれからの船旅に期待を抱かせるものだった。港には沢山の人がいてどうやら搭乗の手続きが順番で決まっておりそれを待っているようだった。私たちが高山家の人達についていくと前方に2人の男女がこちらに手を振っているのが見えた。恐らく美雨の叔父さんと叔母さんなのだろう。近づくと雪さんと冬也さんに一通りの挨拶を済ませ、こちらを見て言った。
「あなたたちが例の探偵さんね。私は隆一の妹の美紀で、こっちが主人の海人よ。よろしくね。」
「よろしく。」
気の強そうな女性と彼女に指された気の弱そうな男がお辞儀をした。私たちが挨拶を終えると、美紀さんはメンバーを見回して言う。
「あら一さん。今年も来たのね。大層お父さんに気に入られているようで。」
彼女の言葉にあがった一さんは黙っていた。
「いい加減にしないか美紀。お客さんもいるんだぞ。」
冬也さんの厳かな声で美紀さんはしょんぼりとなってしまった。どうやら全員が全員仲がいいというわけではなさそうだ。そんなやりとりを無視して沙織さんが豪華客船など本の中でしか知らない私たちに搭乗の手続きの仕方を教えてくれた。その説明が終わったのを見て正雄さんが寄ってきた。
「時谷くんと七瀬ちゃんは美雨と同級生なんだっけ。」
「僕が高2で七瀬が高1なので、僕は美雨さんの一つ上です。」
「なるほどね。そんで、2人は付き合ったりしてんの?」
彼がニヤけながら聞いてくるが時谷さんは慣れたように返す。
「残念ながら、僕たちはそういう間柄ではないんですよ。」
「まじで?2人っきりの部活だったらそういう関係になってもいいだろ。」
正雄さんは心底意外というような状態だった。
「正雄さんはおいくつなんですか?」
「俺?俺は19。大学一年よ。年もあんま変わらんし今回はよろしくな。」
彼はとても明るい性格で、まさにクラスの中心といったキャラだった。どうやらこの花束の間は基本的に私たち2人と美雨、正雄さんの4人で行動することになりそうだ。その後正雄さんの大学ライフの話を聞いていると私たちの搭乗時間になった。沙織さんに教わったとおりに手続きを済ませ海に浮く塊の中に足を踏み入れた。搭乗口からまっすぐに進み少し左に歩くとエレベーターホールがあった。エレベーターは2つあったが私たちが泊まるVIPフロアすなわち16階まで上がれるのはそのうち左のものだけだ。その左のエレベーターの扉の正面と壁側にはお洒落な装飾がされてある一本足の机の上に白、グレー、黒の順番に首を縦に振る三体のモアイ像の置物が置いてあった。趣味が悪い置物から目を離すとちょうどエレベーターが到着した。エレベーターは10人が乗っても余裕があるほど広い。雪さんが右手に持ったカードキーをエレベーターの階数ボタンの下にあるパネルにかざし、16のボタンを押した。エレベーターを降りるとふかふかの長椅子が2つ並べてある広間があり、エレベーターの正面の壁の四角く凹んであらところに先程一階で見たのと同じモアイ像の置物が置いてあった。黒のモアイが首を振っていた。全員がエレベーターから降りると雪さんは一人一人にカードと鍵を渡していった。
「このカードがVIPフロア利用者の証明になっているの。だからこの階と一つ上のスカイデッキにはこのカードをエレベーターのパネルにかざさないといけないからなくさないようにね。」
渡されたカードは雪さんがエレベーターで使っていたのと同じものだった。
「カードを使うのはこの16階のVIPフロアの客だけなんですか?」
「ええ、去年このVIPフロアの部屋に部外者が侵入してセキュリティが強化されたのよ。このVIPフロアにだけ今年から防犯カメラが設置されたらしいし。」
そう言うと彼女は自分の部屋に向かった。どうやら今年急設されたため、VIPフロアのみの防犯カメラ設置、部屋に入るには普通の鍵、フロアに入るにはカードキーという中途半端なシステムが出来上がったらしい。私はエレベーターから見て右側の廊下の4番目の部屋に向かった。12と書かれたドアを開けようとすると一つ奥の部屋のドアを開けた美雨が思い出したように言った。
「あ、荷物置いたら集まって4人でスカイデッキいこ!」
どうやらこのフロアの1階上にあるVIPフロア利用者専用のスカイデッキが彼女の一押しらしい。彼女の誘いを承諾して右開きのドアを引くと部屋の一面はめ殺しの窓からオーシャンビュー。ではなく、横浜の景色を一望できた。部屋に入って右側には外国の映画でよく見るガラス張りのシャワーがある。奥に行くとちょっとしたキッチンや大きなソファ、大画面のテレビ、そして右手奥にはふかふかであろうベッドが設置されていた。どれも、1人で10日間使うにはもったいない物ばかりだ。横浜の景色はランドマークタワーから見たことがあったので、荷物を置いてすぐに廊下に出た。まだ3人は出てきていなかったのでこのフロアを探索する。探索と言ってもこのフロアはそこまで広くない。全体をまとめるとロの字型に廊下があり、その廊下の外側に計15部屋設置されている。内側に部屋がないのは部屋からのオーシャンビューがなくなってしまうからだろう。その四角形の我々が使ってきたエレベーターが設置されている辺には部屋は一つもなくエレベーターから見て右側の廊下に6部屋、エレベーターの辺の対辺にあたる廊下には3部屋、エレベーターから見て右側の私の部屋のある廊下には6部屋ある。部屋番号はエレベーター基準で時計回りに1〜15と振られている。雪さんの言っていた防犯カメラはエレベーターのある辺の対辺にあたる廊下の両端に設置されてある。このフロアから出る手段は2つ、エレベーターと、エレベーターから右側の廊下をいった突き当たりにスカイデッキに繋がる階段に出る金属製のドアがあった。私がざっと観察しながら一周し終えると3人はすでに廊下にいた。先程発見した金属製の扉を開け階段を登っていく。階段は一階下の15階からも繋がっているが16階までの途中の踊り場に鍵の掛かった扉が設けてあり侵入することは不可能だった。一つ上のスカイデッキに着くと一気に視界が開けた。四方を肩ぐらいの高さのガラスの柵で囲まれており、天井がないため開放感に満ちている。私達の部屋の反対側には東京湾が広がっている。スカイデッキには3個のビーチチェアと私達が上がってきた階段の反対側にあるエレベーター、その横の場違いな自動販売機以外には何もなかった。私達4人が立ち尽くしていると後ろから声がしたので振り返ると、20代後半ほどの男女が立っていた。
「久しぶり、正雄くん、美雨ちゃん。」
「お久しぶりです。拓さん、里美さん。」
「そちらの2人はお友達?」
女性の方の質問に美雨がテキパキと私達2人の説明をする。
「私は毎年このVIPフロアを高山家の皆さんと利用してる刈田里美です。よろしくね。」
「同じく刈田拓です。よろしく。」
どうやらこのVIPフロアを利用する15人の中の高山家関係者である私達12人以外の3人のうちの2人らしい。彼女たちが奥に行くと時谷さんが正雄に向かって質問する。
「このフロアを利用する15人は仲が良いんですか?」
「まあ、叔母さんと一さん以外はな。」
彼の返答に時谷さんの瞳の奥が光った気がした。
「お二人の間で何かが?」
まるで刑事のような踏み込んだ質問に私は少しひやっとしたが、正雄さんは何でもないように質問に答えた。
「一さんは爺ちゃんの養子なんだ。うちの爺ちゃんはちょっとした会社を経営していて、その財産はもともと父さんと、叔母さんにいく予定だった。しかし5年前急に爺ちゃんが養子にとった一さんのせいでその取り分が減ってしまった。さらには爺ちゃんが酔った勢いでした『財産は全部一さんに渡す発言』によって決定的に2人の中は決裂したって訳。」
「ちょっとお兄ちゃんそんな話、、、」
美雨が少し怪訝そうな顔をする。それもそうだ私もそんなに大人の汚い話があるとは思わず少し驚いてしまった。その話は切り上げ東京湾とその対岸に見える房総半島を眺めていると船が動き出した。
「出航だ」と言う正雄さんの上ずった声を聞いて自然と気分が高まる。
こうしてよく晴れた炎天下の中波を切り裂き大きな塊は太平洋に繰り出した。
殺人者を乗せて。