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10万トンの秒針  作者: 傘部蘭
1/5

1.夏

「遅い。」

 一学期期末試験の最終日、約束通り3時ちょうどに成城学園前駅改札前に着いた私に彼は言った。

「遅くないです。今は3時ちょうどなんでセーフです。」

「七瀬くん。正確には3時0分36秒だ。36秒の遅刻になる。」

 最初の頃にはムカついていた彼の「1秒でもズレたら遅刻主張」も、今では日常茶飯事のこととしてスルーすることができるようになった。

「猫見つけられたんですか?」

 彼の右手に握られているペットの移動用ケースを見ながら質問すると、彼はよくぞ聞いてくれたというように少し笑みを浮かべた。

「ああ、僕を誰だと思っている。南谷高校ミステリー同好会会長だぞ。ネコ探しなど朝飯前だ。」

 ミステリー同好会会長。偉そうに彼はいうが会員は、高校一年生の私七瀬結月と、高校2年生の彼、時谷迅の2人だけだ。活動内容はミステリー小説を読むことと、先生や生徒たち、学校周辺の人々からの"依頼"を受けること。依頼といっても引っ越しの手伝い、打ち水、雪かき、ビラ配り、プリント運搬、花壇の水やり、恋愛相談のようなものばかりで、最も探偵らしい依頼といえば今回のネコ探しくらいだ。そんな、読書兼パシられクラブになっている現状に時谷さんは不満を感じてはいない。彼曰く「沢山の人々との関係が、謎を連れてくるのだよ、七瀬くん。」らしいが、未だその謎には出会ったことがない。しかし、沢山の人と繋がりがあるのは確かで、地域での知名度は高くミステリー同好会略してミスドという愛称まで持っている。

「このままだと遅れてしまう。少し早歩きで行こう。」

 今が3時。ネコ探しの依頼主との約束は13時20分。目的地までは歩いて15分だからその必要はない。

「歩いても十分間に合います。」

「先方との約束にはな。しかし僕のスケジュールはそうはいかない。ここから歩いて14分46秒。先方とのやり取りが10分間。これが僕のスケジュールだ。」

 読者の方々はお気づきだろう。私の隣を歩く時谷迅という男の特異点に。彼は秒単位のスケジュールを立てそれを実行することで、快感を覚えている変態野郎だ。なんでそんな性格になったのかは私には分からないが、一日中完璧にスケジュール通りに動けたことはないらしい。もう一つ読書に確認しておこう。彼は私のことを君付けして読んでいるが結月という名前からもわかる通り私は女だ。彼はどこかで自分のことをホームズ、私の事をその助手のワトソン君だと思っているのだろう。男女2人しかいない同好会ということは、、、と、思考を巡らせた方残念ながらそのような鮮やかな色で語られる方向の話は一切ない。かのヴァンダインが言うように「ミステリーの課題は悪人を正義の庭に引きずり出すことで、恋に悩む男女を結婚の祭壇に立たせることではない。」のだ。

「そういえば七瀬くん。今から訪れる高山さんとは仲がいいのか?」

 高山さんとは今回のネコ探しの依頼主。私の同級生である高山美雨が、二週間前いつも通り国語科準備室でミステリー小説を読んでいたところにノックしてきた。2日前に姿を消し、家族で一通り探したが見つからなかった猫を探し出してほしいという依頼だ。そこから私たちは一学期末試験を返上し、今から訪れる彼女の家の周辺を中心に探したのだった。

「いえ、クラスが違うので、この間の依頼の時に初めて話しました。」

「そうなのか君は友人が少なそうだからな。」

 高校に入学したての一学期、他のクラスの人と話してないなんて普通のことだろう。なんせ、唯一のクラス外の関係を持てる部活動がこの失礼な男と2人のミスドなのだから。しかし、そういう彼は持ち前の時間以外の気前の良さで男子からの人気は高い。

「でも、相当なお金持ちっていうのは聞いたことがあります。」

 クラスで高山さんと部活が同じ人に聞いたわずかな情報をムキになって開示した。

「確かに見つけたネコの首輪にも、趣味の悪い宝石が付いていたよ。」

「まさに猫に小判ですね。」

 7月の暑い日差しの中、アブラゼミの声が脳に響き、遠くを走る車はぼやけて見える。ちょうど近くの小学校の下校時刻なのか、これから始まる夏休みに観察日記をつけるのであろうアサガオのプランターを片手に持ち走り抜ける少年たちがきゃっきゃとはしゃいでいる。大人になっても夏休みという響きに喜びを感じるのだろうか、そんなことを考えながら歩いて行く。

 スマートフォンの地図アプリを左手に持って前を歩く時谷さんの脚が止まった。

「どうやら僕らが想像していた数十倍お金持ちだな。」

 


 彼が見る方向に目を向けるとそこには、アニメや漫画で出てくる豪邸が建っていた。いや、実際には高い塀としっかりとした門が障害になって建物を見ることは出来なかったがその二つだけで中にあるのが豪邸だということが十分想定できた。時谷さんが門の横にある高山家の表札を確認してインターホンを押す。

「時谷様ですね。ただ今お迎えに参ります。」

 カメラ越しに丁寧な声が聞こえた。

「まさか、執事とか出てきませんよね。」

「十分にあり得る。」

 しばらくして出てきたのは、暑苦しいスーツを身に纏った綺麗な白髪の眼鏡をかけた老人だった。

「お待たせいたしました。高山家執事の橋本総司でございます。本日は暑い中ご足労いただきありがとうございます。では、早速中にご案内いたします。」

 私と時谷さんは思わず目を合わせてしまった。橋本と名乗る男を先頭に門から建物に伸びる道を歩いて行くと、道の両脇には広い庭がありよく手入れがされていた。年代物であろう大きなドアを開けると、中は広いホールになっていた。全体的に洋風テイストでまとめられてあり、壁には絵画などが飾られていた。芸術知識がない私にはその絵画が価値のあるものなのかはわからなかったが、絵画の入っている額を見れば、中の絵も高級なものであることが分かった。私たちは、ホールの右手の廊下のすぐいったところの客間に通された。扉を開けると中にいた高山美雨と70代ほどの女性が腰を上げて挨拶した。

「暑い中、わざわざ来ていただいてありがとうございます。美雨の祖母の雪です。今回は私の愛猫の探索にご協力頂きありがとうございました。」

「南谷高校のミステリー同好会会長の時谷です。」

「会員の七瀬です。」

 一通りの挨拶を終えると時谷は机の上にペットの移動用ケースを置き、フタを開けた。

「こちらで間違いないですか?」

 ケースの中からは1匹のネコが出てきた。首には彼が言うように趣味の悪い大きな宝石がついた首輪をしていた。

「そうです。これがうちのネルちゃんです。」

 そう言った雪さんはそのネコを自分の膝に抱えて頭を撫でた。

「本当にありがとうございます。いったいこの子はどこに?」

「聞き込みをしていたところ、千歳船橋に住むお婆さんが見つけて保護してくれていたらしいです。」

 通りでネコは2週間ほど家を離れているにしては元気だった。千歳船橋は成城学園前駅の小田急線で二駅隣。私は時谷さんが捜査範囲をそこまで広げていたことに感心してしまった。

「そうだったんですか。それならその方にもお礼しなくちゃ。でもまずはあなたたち本当にありがとうね。」

「いえいえ、それが仕事ですから。」

 嬉しそうな時谷さんの前で美雨と雪さんが目を合わせ、雪さんが頷くと、美雨はこちらに身を乗り出して言った。

「時谷先輩と七瀬さん、もしよかったら、今年の夏クルーズの旅で10日間過ごさない?」

 私たちは聞き慣れない言葉に一瞬反応できなかった。その様子を見かねて今度は雪さんが口を開く。

「毎年高山家で利用しているクルーズのVIPフロアの部屋が2部屋空いているのよ。勿論お金はこっちが出すわ。」

 クルーズの旅?VIPフロア?混乱する私の隣の時谷さんは冷静を取り戻したようだ。

「いえいえ、そんなの悪いです。一応このネコ探しも部活動、つまりは学校活動なので、無償で依頼を受けているので。」

「でもね、ネルちゃんを見つけてもらって何もしないのもね。それに現金を渡すわけではないのよ。美雨の友達としてでいいから。もうその2部屋も予約しちゃったのよ。」

 雪さんの言葉に加えて美雨も一押しする。

「家族のみんなも美男美女で頭の切れるミスドの2人の話を聞きたいと思う。」

 あからさまなお世辞に恥ずかしくなり咄嗟に時谷さんの方を見ると彼はこっそりと腕時計を見て言った。

「では、迷惑にならないようでしたら日付さえ合えばご一緒させていただきます。」

 この男自分のスケジュールのために話を打ち切ろうとしている。結果としては最高なものに向かっているのだが。彼の言葉を聞き嬉しそうに雪さんと美雨は顔を見合わせた。

「日付は8/1〜8/10よ。親御さんにも聞いてみてね。」

「やったー。あの船に友達となるのは何年ぶりかしら。結月ちゃんよろしくね。」

 友達という言葉に反応して時谷さんがこちらを向く。どうやら私は気づかぬうちに美雨と友達になっていたらしい。呼び方も先程まで七瀬さんだったのが結月ちゃんに変わっている。距離の詰め方が上手い子なのだろう。私も時谷さんも、親に聞くまでもなくこの夏休みはずっと暇なのだが、ここで行けますと即答するのも恥ずかしいので一度話を持ち帰ることにした。



 「凄いことになっちゃいましたね。」

「あぁ、楽しい夏が遅れそうだ。」

 高山家の豪邸を背中に歩く私たちは明らかにこれから来る夏に大きな期待を持っていた。行きに見た小学生たちのように。ミスドの活動は夏休み中は決まっていない。時谷さんが誰かから依頼を受け次第私に連絡し、集合する。しかし私の予想通り7月中時谷さんと顔を合わせることは一度もなかった。7/31の夜時谷さんからの持ち物の確認のメールには柄にもなく絵文字が使われていた。


 私の夏が始まった。


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