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魔法の扉  作者: 久里山不識
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魔法の扉 5

15

晩秋、紅葉の頃、松尾優紀と彼らが話すチャンスが訪れた。

熊野も飯田も遠藤も原爆資料館を見ることには、賛成し、見に行くことは良いことだと言った。核兵器禁止のテーマの映像の話は大きすぎて、そういうことに多くの人が良い反応をして応援してくれるかは未知数だぞ、中には中傷する連中も出る可能性もある。つまりかなりの冒険だという結論だった。

熊野だけはそれに、加えて、シナリオがうまく作れていい映像が出来れば、つくることはおおいに結構な話だが、それで核兵器が軍縮の方向に向かうほど、状況は甘くない。それでも、見る者の世界的な広がりがあれば奇跡がおきる可能性がゼロではないかもしれないと言って、微笑した。

ただ、そういう難題だから、少し時間をかけて作り、それまでは職場に山積している問題をテーマにした作品を作って欲しいし、こちらの方は現実化の希望があると主張した。


彼等三人の青春の夢ははずみ、コーヒー店での話題はつきなかった。 仮にコーヒー店を舞台にしても、表現すべきことは山ほどあるはずであると言ったのは遠藤だった。松尾もそう思った。 今の自分にはまだその力がないので充分に表現することはむずかしい。シナリオにしてもビデオ作品にしてもこのコーヒー店を描くことはできるはずである。 これほどコーヒー店が犯濫してそれぞれのコーヒー店はそれなりに個性を持っているはずなのに自分の目はそれらをすべて画一化してみているのだと遠藤は主張した。

遠藤は映像をみんなが見るように見ていては面白いものを作れない。奇想天外な角度から見るべきだと主張した。

「ゴッホを見ろ」と遠藤は言った。小柄な遠藤は趣味に油絵を描いているらしかった。


優紀は全く同感だった。

三人とも遠藤の言い分に依存はなかったので、遠藤や飯田と松尾優紀はよくコーヒー店を観察し始めていた。 ウェイトレスやボーイの立ち居振舞から客の出入り、テーブルの置き方、壁に貼った外国の絵や流れてくる音楽。 一時は全身を集中してまわりに気をくばったものだった。そしてこのことで三人は自分の感想を言って、話を盛り上げた。

沈黙がちだった飯田は唐突に、俺は子供の頃から、昆虫が好きだったが、最近その昆虫が激減して絶滅しかけているのが沢山あることが心配だと言った。中肉中背で、白い皮膚の輝きと彫りの深い顔立ちを持つ男だった。彼はそういう映像もあっても良いと思うがなと言った。

優紀は当然そういう話は聞いていたから、気象災害と同じように、先の目標としては取り組むべき課題だと言った。

「そんなのんびりした話ではないんだぜ」と飯田が向きになって言ったのが優紀には頼もしい味方を得たような気分になった。

「そうさ。気象災害も核兵器の軍縮の問題も絶滅危惧種の問題も人類の行先の問題とかかわっているのに、のんきに争いばかり続けている人類というのは、本当に利口なのか疑わしいぜ」


そういうことで、土曜日の午後は四人の談笑の場となった。


紙の会社は重要な仕事で、やりがいはあるが、工場の暑さと騒音とオートメ化から来る退屈さには忍耐が必要だった。

熊野は長時間労働を減らすべきであることを時々話した。熊野の趣味は音楽と映画で、そういう話になると目を輝かせた。

「俺は寅さんと、チャプリンが映画を見る原点だった。なにしろ、親父がこの映画のファンでしょっちゅう見ていたからな。結局、俺もその付き合いで、大人の映画ではこの二つが胸に来る最初の映画となった」と熊野は笑った。

熊野の映画談義は長かったが、優紀はそえもののように、死んだ祖母に勧められたアンネの日記の話をした。

そしたら、熊野は興奮したように、ナチに対するレジスタンスの映画の話を喋った。

その一つに、「戦場のピアニスト」があった。

優紀は熊野からDVDを借りて見て、アンネの日記と同じような衝撃を受けた。


ユダヤ人に対する差別の命令が出る。例えば、腕にユダヤ人であることを証明する腕章をつける。所持金はいくらまで。公園に入ってはいけない。

優紀は見ていて「信じられない」と口走った。


ユダヤ人はゲットーに転居せよと言う命令が下される。

大きな通りを沢山のユダヤ人が行列をつくるようにして、ゲットーに移動している。小ゲットーはある程度裕福な家庭のユダヤ人。大ゲットーは貧しいユダヤ人、そしてユダヤ人警察。

「こういう差別的支配は、支配者がとる常套作戦だな。今だって、格差社会が問題になっている。格差がある方が権力を持つ側は支配しやすくなるのさ」と熊野は言っていた。

一流のピアニスト、シュピルマンの一家は小ゲットーに行く。そして一家をささえるために、レストランでピアノをひいて金を稼いだ。

やがて、そこでしばらくして見たものは恐ろしい。ドイツ軍が別のアパートに入って来るのが窓から見える。軍人はユダヤ人一家を脅し、一家に「立て」と命令する。テーブルの前に立つ一家。立てない車いすの老人。その老人に向っても、「立て」と言い、窓から放り出す。軍は多くのユダヤ人をアパートメントの外に出し、逃げるために走り出す人々を狩猟の的のように次々と射殺していく。その様子を窓からシュピルマンは呆然と見る。


コ―ヒー店で、熊野に感想を言う機会があった時、

「あれがあの素晴らしい文化を生み出したドイツの軍隊のすることかと驚いた」と優紀は絶句した。


「人間は落ちれば、そこまで落ちるということよ。気をつけねばいけないのは、普通の善良なドイツの市民がそれを普通のこととして見ていたことだ」と熊野は言った。

「アンネの日記の最後は密告だね。ああいう所で、アンネの一家をかくまう人達と、密告する人間がいるということだね。

この差は魂の差だと思うね。」と優紀は言った。

テーブルの上の花瓶に一輪の黄色い水仙の花が美しく咲いている。それが魂の象徴のように優紀には思えた。


ファウストを書いたゲーテを生み、シラーの「百万の友よ、手をたずさえよう」という詩を音楽にした偉大なベートーベンを生み出した国ドイツから出てきたこととは思えないということでは、熊野と優紀の話は一致した。


「ゲットーから、ユダヤ人が列車で移送される。未来にどんなことが待ち受けているのかも知らずに、男も女も子供も老人も、家畜のように、つめこまれるのだ。あれも凄いね。人間扱いされていないのだからね。その差別というのが原点にあるのですよ。今の日本は法の下の平等に基本的人権によって、人は守られている。しかし、差別は人間性の中にあるものだから、普段から、芽はつぶしていく雰囲気を社会に作っていくことが大切なのさ」



やがて、陽射しが春めいてきて、梅も咲き、桜の季節が楽しみになってきた頃になると、こんな長い話題はコーヒー店の外にテーブルと椅子の並ぶ所でやることが多かった。さんさんと降り注ぐ陽光の下に青春の話題を盛り上げるのは楽しいものだった。


そこからはデパートとビルが二つ見え、その間から海の方に、少しばかりの桜並木が見え、桜の枝の合間や、桜と桜の樹木の合間から、瀬戸内海が綺麗に垣間見える。


デパートの反対側に駅があり、彼らのよく行くコーヒー店もあった。だから、路面電車がくると、少々賑やかになる。しかし、周囲は薔薇園になっていて、駅は薔薇園に囲まれているようである。会社の工場はデパートの横の道を通って、瀬戸内海がもっと広がる海に面した所にある。



話が労働問題になることもある。

熊野は先輩ということで、会社の問題点などを少し早口で話することもある。

「まあね、 でもそんなことは今の僕の関心事には入っていないんだ。だいたい、僕は機械がきらいなんだな。

工場に勤めていてこんなことを言うの悪いんだけど。 僕はああしたオートメ化した工場の中で人間が歯車のようにされ、

毎日メーターだの不良品探しだのということで、目の神経を疲労させているのが本当にいやなんだな。

でも生活費をかせぐためには仕事は必要だ。だからこそ、僕は余暇の時間に音楽や映画を見ることを楽しみにしているんだ」

ブルーのベレー帽を被り、ブルーのジャケットを着た遠藤はそれまで禅の坊主が瞑想にふけっているような顔をして聞いていたが、突然にやにや笑いながら言った。

「へえ、態野さんみたいな人でもあの工場でそんなに神経が疲れますか?松尾君が言うならわかるけど。

熊野さんがそんな風にいうとなるとなんだかおかしいな」

「どうしてさ」熊野はちょっとおこったような顔つきをした。

「遠藤君のように問題意識のない人は困るよ。 もう少しね、 工場というものの非人間的状態について真剣に考えるべきだよ。

どんなにタフな男だって、あの工場の仕事は退屈であり、創造性に欠けるのではないかな。

全くほとんど、機械が自動的に製品をつくりあげているんじゃないか。

おれ達はいったい何をやっているというんだ。 全くの単純作業さ。」

遠藤が今度は真剣な表情になって、浅黒い顔のひたいにすじをつくりながら言った。

「でも、 そういう工場に自分から進んで入社してきたんでしよ。不平ばかり言ってもしようがないような気がするんだがな」

「そりやそうさ。ただ今後のことを思うとね、今にもう少し高度なロボットが開発され我々のやっている仕事すら必要でなくなり工場は無人化されるようになる。 そうしたら我々労働者はどうなる?まあ失業だな。 企業はどうなる?企業は労働者がいなくなれば賃金を与える必要がないんだから、その分だけ利益があがるんだな。 つまり企業をにぎっている連中はもうけるチャンスが増加し、我々労働者は失業し餓死する機会が多くなるというわけさ。」


「ロボットが発達すれば、労働者の労働時間を減らして、生産性があがるから、給料を増やせるといういい面もあると聞いたことがある 」と遠藤がボソッと独り言のように言った。


松尾優紀は熊野と遠藤の熱弁を聞きなから、視線をコーヒー店のガラスごしにむけ、 そこから見える庭の隅を雄然と歩く猫の姿を見ていた。全身きれいな黄色でおおわれたかなり大柄な猫だった。会社の太った重役が十円玉をおとして、床を探しまわっているような一種のおかしみとこつけいさを持っていた。外は冬を越えもう春だと思うと、嬉しかった。猫の好きなアリサや中島静子を思いだした。

会社に入ってからは、二人に会ってない。

そのことを思うと、何か心の中にぽっかり穴が空いたような寂しさに襲われる。

ただ、アリサのシナリオは「永遠平和を願う猫の夢」ではなかったか。

核兵器のない世界、全く夢のような話なのかもしれない。そういう理想にチャレンジする彼女は魅力的ではなかったか。

彼は猫から、ふと妙な考えが頭に浮かんだ。

この猫が世の中を支配するようになったら、地球はどんな風になるのであろうという妄想である。

彼は前からビデオ映像の中にSF的町という構想を持っていたから、このことについて考察してみることは価値のあることであった。

彼は単に猫だけの世界ではおもしろくないし、 猫が人類を支配する必然性もうすいからそうした猫族の人の天下への橋わたしの役としてロボットを考えてみた。

最近、新聞などにひんぱんに登場するロボットが頭の中に鮮烈に浮かびあがった。

つまり歴史の順序としてはまず人類の科学技術の繁栄があり、 ついで優秀なロボットが発明されるようになる。

このロボットは色々な面で人間とほとんど似たような行動がとれる。

芸術や哲学にはタッチできない。けれど、いわゆる機能的な人間の仕事は全部代行できる。人間よりもはるかにスピードがはやく能率的である。

最初、 このロボットの需要がどんどん増加しロボットの大衆化時代が到来する。 ロボットはかってのお手伝いさんのように、各家庭で使われるようになった時の風景を想像してみるわけである。この時、人間の気がつかないうちに、ロボットは意識を持ち始め、色々考えることを始めているだろう。

ロボットは人間の勝手な振る舞い、特に、軍拡を続けそして核兵器を持つことになんとなくやりきれない気持を抱いている。そこで、真の友を人間よりも各家庭に飼われている猫に求めた。犬はほえるので、どうもロボットにとってつきあいずらい相手である。

一方、猫はロボットと一緒に寝ることさえあるから、自然ロボットと猫は仲良くなる。

ロボットと猫という結びつきが松尾優紀には気にいった。



松尾優紀はさらに空想をふくらましていた。 ロボットは地下組織をつくり、そこで医学に詳しいロボットが猫を改良して人間に近い知能を持つ猫の創造に成功した。 ロボットにとって猫は仲間であり自分達の持っていない生物としての色々な特性を持っている。たとえばロボツトが人間に抗議する場合、

ロボットにとって人間に抗議する哲学と将来の社会の展望が必要であった。だがこういうことになるとロボットは発想がひどく貧弱なのである。

そこで猫の生物としての能力を開発すれば、人間に抗議する人間並の哲学や芸術に関する創造的意見を得ることができるとロボットは判断したわけだ。

ロボットの予見したとおり新しく改良された猫族の人はロボットの気持を理解し、人間に抗議し、核兵器をなくし、軍縮を進めろと説得する。

しかし、言うことを聞いてくれず軍拡を進める人類。そこで人類の支配を倒し、権力を握り、核兵器をなくし、軍縮を進め、その金を福祉にまわす猫族を夢見る。




松尾優紀はここまで考えた時、 夢からさめた人のように熊野や遠藤や飯田の顔を見て急に大きな声をたてて笑った。

彼等がロボットや猫族に支配された時の表情を思い浮かべて、優紀が笑ったわけであるがそんな事情を知らない三人はあっけにとられた表情で優紀を見た。

「又、 松尾君の空想 が始まったよ」赤い服を着た飯田が大きなあくびをして、それから薄笑いを浮かべてそう言った。

「そんな癖があるのかい?」熊野がまじめとも驚きともいえるような目を丸くして言った。だいたい熊野の目は大きいのが特徴である。

その目はいつも相手をきちんと見すえる。彼のまじめな視線はいつも人の心をとらえ組合活動家としてある一定の支持を得ている。

「ちょっとおもしろい物語が思い浮かんだのでね」

松尾がちょっと頬をそめて言った。

「ふうーん、 どんな内容だい?」飯田が興味を持ったようにたずねた。

「うん、 ロボットと猫が人間の持っている権力を奪い、軍縮を進め、福祉を充実するという物語さ」松尾はそう言って又笑った。

「それはおかしいな。猫は人間に可愛がられているから、いくら猫が進化しても、猫族の人が人間に反抗するなんてことはありえない」

「なるほど」と優紀は言った。

「その通りだ。猫族の人は人間を友人と思う。そういうシナリオも面白い。現代の文明社会は人と人との関係が差別だの区別だのと、孤独になる人が増えているが、猫族の人達が友達になれば人の相談相手になる。

それが潤滑油となり、人間関係は良いものになる可能性もある。そういうシナリオの方が面白くなる」と優紀は面白がっている飯田の目を見て、言った。

「その通り。良い映像を作るには、その前にシナリオを書かなくちゃいけないよね。」

と熊野が言った。

松尾優紀はロボットと猫が人間を支配した後に猫の気まぐれな性格にほんろうされるロボットの困惑についても考えてみたりした。

どんなシナリオが出来、 どんな風に映像化するのかまだ未知の部分もたくさんあったけれど、 こんな構想を考えていくうちに優紀は愉快になっていた。 こんな時は急にじようぜつになるのだった。自分でも 躁鬱傾向の強い性格だと彼は思っていた。

優紀が色々なタイプの猫やロボットについて彼の空想力にまかせて話をしている間、

飯田や遠藤は笑って聞いていたが、熊野だけはなぜか深刻な表情をしていた。そして熊野はそうした松尾のじようぜつな話をストップさせるかのように急に大きな声をあげて言ったのだ。

「松尾君、君は、すばらしい空想力を持っているじゃないか。」

「空想力というよりは妄想じゃないか」と飯田が言った。

「うん」と熊野は微笑し、さらに言った。「それで表現力が加わればたいしたものさ。問題は表現力さ。その才能はもっと有効に使われるべきだと思うよ。

猫の話はおもしろいが、それはやはり SF的だ。あまりにも現実離れしている。

そうした話を書くのも良いが、僕はもっと現実の問題と取り組んで良い作品を書いてほしいと思うよ。

たとえば今の我々が勤めている工場だってあらゆる諸問題があるだろ。

一番目につくのは工場のオートメ化(一)による労働の非人間化だろうね。

だからこそ、我々の職場の中で労働をより人間的に楽しいものに変えていくにはどうしたら良いのか

ということが課題とされるべきだと思う。これは経営者の労務管理とはまるでちがった我々労働者の労働はどうあればより人間的な生き方をすることはできるかというテーマ の追求でもあるんだ。

どうだい、松尾君?君の空想力をもってこの事と取り組み、それをビデオで映像化したらと思うがね。

そんな課題だったらビデオ制作の際は僕も君を応援できるんだが。」




松尾が黙って熊野の顔を見ていると、飯田が口をはさんだ。

「熊野さんはいつも組合の方に話を持っていきたがるんですね。でも、さっきの猫とロポットの話だけれどね。

それを使ったって、熊野さんの言う労働の人間化の問題は追求できると僕は思うんたが。どうだい。松尾さん」

松尾優紀がちょっと目を丸くしてしゃべり出した。

「うん、そうね。熊野さんのいうような問題の追求の仕方は僕にとってもおおいに関心がある。

今の猫とロボットの話は全くたった今思いついたことをしゃべっただけだから、これを表現するには

もっと色々な要素を取り入れていくことになると思う。その場合、熊野さんのいう労働の人間化をどう組み込むかだな。

つまり今、工場では ロボットがどんどん使われているが、今のロボットではそれほど高度なことはできないわけだ。

今、僕の空想化したロボットは人間と同じレベルに近い機能を持つものなんだな。

こういうロボットが将来つくられるかどうかとなると、僕は勉強不足でなんとも言えないんだが、未来社会においては充分ありうると考えたいんだな。まあどちらにしても、ロボットの進化は科学技術の進展に平行して進むと思うんだ。その時人間がどうなるかという問題がでてくるわけだね。

企業の経営者は合理化という観点から。ロボットの導入はおおいに進めていくだろうし、その合理化により労働者の数を減少させていき、利益をはかることを考えるだろうね。しかしそれをやられたら労働者はたまったものじゃない。

第一、失業者の増大は社会問題となるし、収入のない人々の増大は社会不安の種となると同時に、消費者の購買力が極度に疲弊することにより結局、企業がつくった商品が売れなくなるわけだから企業にとっても失業者の増大はこのましいことではないはずだ。

とすると企業の中で一定の労働者を雇用することを法律で義務づけした方が社会全体にとって利益となるという考えが生まれてくると思うんだ。その場合、年令で採用の差別をすることを制限することが必要。これは格差社会の解消にもつながる」

「その通り」と熊野が強い調子で賛同した。

「今の僕等は全くの単純作業

をやらされている。来る日も来る日も単純作業が現実の僕等なんだ。

工場はほとんどオートメ化されて、不良品のチェックだのメーターだの見ているのが僕等の仕事なんだ。だから、ロボットが発達すれば、必然的に労働時間の短縮が必然となる。

この現実の中で考えることが物語の出発点になるべきだと思うんだ。」

遠藤が言った。

「絵を書く際にも風景よりも工場の内部で働く労働者の悲しみを描く。

もっとも僕は才能がないから、まあ気晴らし程度になってしまうんだがね。絵といえば僕みたいな芸術とは

掛け離れたような人種でも、絵を書いている時が最高にすばらしい時だね。白いキャンバスに色彩がちりばめられ

一枚の絵が出来上がっていくというのはまさに創造の喜びなんだ。つまり人間というのは何かを創造している時、

一番の生きがいを感ずるのではないかね。労働も本来は人間の創造的活動の一分野であったし、現在でもごく少数の幸福な人達が

その美しい労働を享受している。しかし大多数の労働者は退屈で厳しい労働に神経を疲労させているんだな。これを解決することは人類史

的課題なんだよ。ロボットと猫族の人の近代化の話は面白い。それによって、雇用を増やし労働時間を少なくし、創造的時間がとれる。」

その時、熊野が口を出した。熊野は遠藤の言うことに賛成し、同じように創造的労働の必要性を言ったと思うと、さらに付け加えた。

「僕等は労働者として生きているかぎり、この困難な課題と取り組む義務があると思うね。今のような工場において、創造的な仕事が出来れば素晴らしいのだが、それは今後の課題だな。

ああした単純作業も必要だし誰かがやらなきゃならないんだよね。

結局労働者の雇用人数をふやし、労働時間を少なくするというのが今一番必要な対策なんじゃないかな。

だが経営者は反対のことをやろうとしているんだ。」 ここで熊野は話をやめた。


すると四人の間に急に沈黙がおとずれ周囲のざわめきがきわだつのだった。

四人のコーヒーカップはすでにからにされウェイトレスが時たまコップに水を人れに来た。

そのウェイトレスがかなりの美人で飯田が必要もない話を無理につくって話かけていた。

S銀行の位置を知っているくせに飯田は聞いて、ウェイトレスの徴笑に気をよくして笑っていた。

彼女がむこうへ行くと遠藤が四人の沈黙をやぶった。


「S 銀行ってこの前、 一緒に行ったじゃないか。え、知っているくせに聞くんだから飯田君は。 」

「そうさ、ああいう美人と話をするのはこの手が一番良いぞ。遠藤君も使ってみたら。」



松尾優紀はウェイトレスのことよりも今、考えついた話について色々考えていた。

巨大な工場で奴隷のように働く口ボットに同情した猫族の人のイメージも頭の中に浮かんだ。

猫とロボットという結びつきのおもしろさをなんとか具体化したいと彼は思っていたのだ。


飯田や遠藤が話の種にしていたウェイトレスも頭に浮かんだ。確かに感じの良い美人であった。

大きな瞳はアリサに似ていると思った。

しばらく会っていない彼女がひどくなっかしく思われるのだった。松尾優紀は急にアリサに会いたくなった。

久しぶりに高山寺院に行ってみようと思った。

                【つづく】




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