魔法の扉 4
12
松尾優紀は高校二年生になっていた。背は一八0センチ。 ほっそりとした身体つきに、ほっそりした顔とアーモンド型の目。若さと優しさのあふれる顔は田蜜のいかつい顔と対照的だった。アリサが教師をやめたということを知った時、松尾は驚き、なぜか寂しかった。 服装改革に端を発した学園紛争もすでに落ちつき、学園は静かな学習の雰囲気となっていた。 田蜜と山本が交際していると聞いていたが、うまくいっているのかどうかということについては、松尾は無関心になっていた。ただ、田蜜が見違えるような良い若者に成長しているという噂は聞いたことがある。田蜜からは特に音沙汰はなかった。松尾優紀はニヒリスト克服同盟には参加することなく、柔道と読書と学習に精を出していた。充実した毎日が続いた。彼がこれほど季節の春を堪能したことは、 かってないことであった。彼の心に詩的感情は高まり、いくつかの詩が彼の日記の中に書き込まれた。彼は心の中に徐々に一つの芸術的イメージをつくりあけていったのだった。 それはいつの間に彼の心の中に根をおろしていった。
彼はそれがどんなものであるか最初は無頓着であったが、 徐々にそのイメージに関心を持ち春の陽光をあびて瞑想にふける時、それを内省してみるのだった。それはある町にちがいなかった。だがどこの町かと言われても彼にはまだその輪郭がつかめていなかった。緑のたっぷりある公園のような町という気もするし、バルザックの時代のパリや日本の徳川時代の江戸のように何かひどく今の東京の町とはちがっているようにも思えた。
しかし、 それでいて人々は自由に生活をエンジョイし美しい花が咲きみだれ町を通る清流のもとでやさしい物語がいくつも編まれているというようでもあった。
彼はそうした町を空想し、そこに繰り広げられる数々の物語を思い浮かべてみた。彼は「アンネの日記」を思い出すと、不思議に物語をつくるという夢にしがみついた。彼には、まだ文章を書くという実践がわずかの詩でしか試されいない。だから、物語は一時の妄想のような展開を頭の神経回路につくるだけで、やがて次から次へと消えていくのだ。その妄想にこんなのがあった。
彼が机に向かっている時に、アンネが幽霊として現れたのだ。
「え、いつの間に。どこから入ってきたの」
「ドアからよ」
ドアはきちんと閉める習慣があったから、奇妙な感じがした。
「どこから、来たの」
「霊の雲間からよ」と彼女はそう言った。さらに、アンネの日記の最後の章に、日本の社会に対する警告を書きたかったと言い、そして消えた。
彼はその空想を断片的に、日記にメモのように書きとどめるのみにしておいた。
アリサが教師をやめてから初めて松尾に会ったのは、 この空想についての意見交換をしたいという松尾の要望によるものだった。
五月の末のある日曜日だった。
つい三日ぐらい前までうす寒い日が四、五日続いたのがうそのようにその日は初夏のように太陽がまぶしかった。
松尾はいつもの契茶店で彼の物語の構想について大枠を述べたあとアリサの意見を聞いた。
「そうね。 イメージはとてもおもしろいと思うわ。ただそれを具体的な作品にする場合、詩の場合はすんなりといくような気がするのですけれど、小説となるとどうかしら?具体性に乏しいような気がするの。
ねえ、 松尾優紀さん。ビデオカメラであなたの作品をつくってみる気ない?」
アリサは徴笑した。
「え、 ビデオですか、僕持っていないんですよ。買うにもちょっと高くてね。」
松尾優紀は今まであまりビテオとか八ミリとかいう映像作品につては考えたことがなかった。
だからアリサから突然ビデオの話を持ち出されてめんくらった。
「私が貸してあげるわよ。 買ってまだ半年しか使っていないんだけれど、 あなたが本気でビデオ映像の作品をつくるというのなら貸してあげるわ」
「でも、 そんな高価なもの、悪いですよ」
「いいのよ。 ねえ、 松尾さん、 ビデオはこれからの芸術よ。ビデオはね。 八ミリよりもこれから発展するすばらしい映像なのよ。
というのはね、 私、今シナリオを書いているのだけれど
これをビテオで作品にしたいと思っているの。 それで一人じゃ、 色々不便だから、 あなたに協力してもらえればすばらしいと思っているの。
あたしはね。将来、ビデオ映像のNPO法人をつくりたいと思っているの。
たくさんのシナリオを書き、 このシナリオ自体も作品として推敲し、そしてそれをビデオ映像作品にするの。
すばらしい創作ができるわ。江戸時代に松尾芭蕉がその頃庶民に流行していた俳句を芸術化したように
ビデオカメラで新しい芸術の分野を切り開くの。どう?すばらしいでしよ」
アリサの目が少女のようにキラキラ輝いた。松尾はちよっと圧倒されてしまったかのようにどぎまぎしていた。
「ね、あたしの夢はね。ビデオ映像のNPOをつくるでしよ。 そしてDVDにして多くの人に見てもらうのもよし、小さな映画館をつくり、そこで観客に見てもらうのも良いし、そうした具体的なことはまだ夢の内、夢の中では、映写室をもうけそこでコーヒーを出してお客さんに良い作品を楽しんでもらおうというようなのもあるの。どう?」
「それはおもしろいですね。僕も話を聞いているうちに、やりたくなってしまいました。でも、そういう商売の経験がなくて、出来るものですかね」
「あたしは大学の時、アルバイトで、親戚の人がその頃珍しかった本屋兼コ-ヒー店をやっていた人がいてアルバイトしたことがあるの。お茶くみだけでなく、経営の仕方も叔父さんから教わったわ」
「面白いでしょ、でも、これユーチューブが出てくるまでの、映像作家の出発式みたいなものよ」と言ってアリサは目を丸く大きく見ひらいた。
喫茶店の中は客がまばらだった。外はまぶしいような光に満ちていた。
窓から見える景色は全体に新緑のグリーンが背景になっていて、瀬戸内海は池のように見えた。
「でも、お寺の方はどうなっちゃうのかな」と優紀はぼやいた。彼がこんな心配するのは、いつも誘われている座禅会が放り出されてしまう印象がして、何か寂しい気がしたからだ。」
「お寺は父のあとは、兄が引き継ぐのよ」
アリサに兄がいるというのは聞いてはいた。ただ、何をしているのかというような細かいことは知らなかった。アリサの話によると、兄は商社に勤め、今はフランスにいるけど、フランスで座禅の重要性に目覚めたという葉書を受け取ったのだそうだ。その時の父親の喜びは大変なものだったそうだ。
「あたしはそういうわけで、お寺の人間でなくなる。この間も話した映像の夢を実現するチャンスがきたということね。最初は出来そうなことから、始めるわ。詩の映像化ってどうかしら ? 世界中の色々な詩人の作品が翻訳されているけど、 その詩の美しさが翻訳では中々とらえられないと思うの。それでビデオの映像にして美しい詩情にあふれた短編をたくさんつくるの。映像詩ね。
まさにビデオのルネッサンスだわ。詩をシナリオ化してもいいんだわ」
2006年のこの年の様々な科学技術の現状から、彼女が夢見るのは、ビデオ映画というわけだったが、優紀は魅力を感じたが、その実現にはまだ心の準備ができていないような感じがした。それもシナリオの本命は「永遠平和を願う猫の夢」で、人類から核兵器と恐ろしい戦争の道具を少なくする、つまり壮大な軍縮の提案があるという物語で話の輪郭はほぼ出来ているということだった。この話は前にも少し聞いたが、こんなにスケールの大きなものという認識はなかった。教師をやめたのも、この壮大な計画があったからだと、優紀は痛感した。彼女は「今や、人類の危機である」と何度も言った。
この点では、ニヒリスト克服同盟の大山氏と似ている。ただ、価値観の土台が違う。それに、大山氏は自分の住む町の中で、アリサはビデオを使って世界に発信するという大きな違いがある。
アリサは松尾に話しているというよりは何か自分自身に言いきかしている風だった。
「ね、 あなたも協力してくださる? ただ、この話、具体的に形をとるようになるまで秘密よ。誰にも喋らないで」
アリサは今までの教師くささを捨てて、いつの間にか大人の女を演じる女優のようなおおらかさが宙を舞っているようだった。
「ええ、協力しましよう。アリサさんの話を聞いて大変、興味を持ちました」
「ともかく、それじゃ、ちょっとビデオの勉強でもするかな。」
「あーら、ビデオの勉強たって、たいしたことないのよ。使い方なら、使っているうちに覚えてしまうし。
ともかく一緒に作品をつくりましようよ。 でね、ともかく最初の作品はちょっと郊外に出ることが多いので
あなたに持ってほしいの」
「なんだか運搬屋に雇われたみたいだな」松尾が笑った。
「あら、そんな風にとらないで。カメラの操作もあなたにやってもらうんだから」
「一回目の作品のテーマは何ですか?」
「それはね、この瀬戸内海を色々の角度から、夕日を撮るのよ。あれは映像詩になると思うの。どう?あとでシナリオ、見せてあげるわ」
最初に夕日の映像詩で、永遠を撮り、そこから人類存続のための核兵器禁止という風に結び付けていくのだろうかという思いはあったが、優紀は特に聞かなかった。
「僕の作品もやって、作ってくれるんでしよう」
「そりゃ、もちろんよ。二回目はあなたの作品でやってもいいわ」
「映像詩ですよね」
「そうよ」
「だから、 シナリオをつくっておいてね。
それでね、当分、あなた、毎日あたしのお寺に来てほしいの」
「何時頃に、そちらに行けば良いのですか?」
「そうね、四時頃は無理でしょ?」
「柔道やっていますからね」
「ああ、そうか、柔道やっていたのね。それじゃ毎日、来るの無理だわ」
「いや、 いいですよ。毎日、四時に行きます。」
「だって、柔道があるんでしよ」
「柔道はやめますから」
松尾はニヒリスト克服同盟に参加しないことで、柔道部の井上茂がたびたび誘うのに閉ロしていたから、
柔道部をやめてもいいという風に考えていた。井上茂はその頃、柔道部のマネージャーもやっていた。
「随分、あっさり言うのね。あたしのために柔道部をやめてもらったりしたら悪いわ」
「いえ、 ニヒリスト克服同盟の井上茂が柔道部にいるから、 サークルをぬけだすためにも柔道部を退部した方が僕のためかもしれない」
「ニヒリスト克服同盟の井上茂君ね」
アリサはちょっと考え込んでいるという風だった。
「あ、そうそう、この間、田蜜君とその井上茂君らしい、男の子が何人かの女の子を連れていたのを山田商店
のそばでちらりと見たけど、あれはどういう関係なのか知っている?」
松尾優紀は内心ドキリとした。 田蜜をニヒリスト克服同盟に紹介したことを知ったら、
彼女がびつくりするのではないかと思ったからだ。
「いえ、わかりませんね。 田蜜君が井上と一緒だったんですか?」
「いえね、井上君という人は一度しか会っていないし、人違いかもしれないわ。
でも田蜜君がなんだか中学の頃と随分ちがって見えたわ。」
「ええ、 僕も今年の四月会いました時、そんな風に感じました。下校中に出会ったんですけど随分大人びた感じになりましたね」
「そう大人びたというのかしらね。あんな風に急に変わるとびっくりするわ。 でもあなた、 田蜜君にどんなこと言ったの? そのことちょっと知りたいなあ。あなたと田蜜君とで一番最初に話をしたでしよ。あの時も急に変わったわ。
つまり乱暴な男の子が急に静かになったのね。
それにあの時は田蜜君だけでなく他の暴れん坊連中も静かになったんだから、
びっくりよね。ね。教えて。あんみつの件だけで、あんな風に変わるわけないわ。あなた何を言ったの?」
「シナリオの題材にでもされそうですね。そう確かにこの田蜜君の変化はビデオ芸術でとらえたらおもしろいかもしれませんね。
でも彼の変化の秘密をここで言うわけにはいかないのですよ。僕の影響はわずかですよ。おそらく大山さんが鍛えたのでしょう」
松尾はちょっと困ったような表情をした。
「どうして? そんなすごい秘密なの?」
「ええ、秘密なんです。どうしても秘密なんです」
秘密というよりは優紀自身も本当の所は分らなかったのだ。なんとなく、大山の迫力のことを感じているだけで、分からないと言うのも躊躇したから、黙ってしまったのかもしれない。沈黙の理由が分からないのは、優紀が田蜜のことをよく知らなかったせいもある。
「まあ、いいわ。じゃ、これ以上聞くの悪いからやめるわ」
二人はそのあとたわいないおしゃべりをして何分間か費やした後、ビデオ制作の約束をして別れた。
松尾優紀はそれから数ヶ月後、柔道部に退部届を出し、そのあと毎日のようにアリサの高山寺院に通うようになった。座禅道場で、一時間ぐらい座った。特に得るものはなかったが、気持ちがすっきりした。
そのあと、最初の十日間ぐらいは、優紀はアリサと二人で、毎日ビデオカメラを持って、隣の町に出かけて行った。
尾野絵市では、二人いつも一緒に歩いていたのでは目立つということもあって、隣の町を選んだ。そこの町は瀬戸内海の夕日を映すのに格好の公園があった。幸い、天気がしばらく続いたので、夕日を撮るのに雲が邪魔になることは少なかった。
松尾優紀はやっているうちにビデオのおもしろさに熱中するようになった。
そして彼は城井高校にビテオサークルをつくることを考え始めた。その頃、優紀の頭に浮かんだのはいつぞや見て衝撃を受けた「アンネの日記」を思い出し、たまに映画を見たり、日記を見てますます感銘を深くしていたんで、それとイメージが似た物語をつくりたいという思いが強くなった。それをビデオ映画にすればという気持ちだったので、ビデオサークルを高校に作るというのは必然の成り行きと思われた。
目前にせまった六月八日の生徒総会にかければ部として承認され、予算をとることができると思った。
ただ学校側がビデオなどの器械をそろえてくれる予算を十分にとることは最初からは無理という事情があった。ビデオカメラなどは、最初の年度は、誰かが個人負担しなけれはならないだろうということだろう。
又、部員を八人以上集めなくては部として認められない。松尾は色々な生徒に声をかけた。
岡野光次が入部するということは大歓迎であった。それから一風きわだった感じのする三年生の寺田哲郎という男が入部してきた。
のちに、この寺田が弱冠十八才ながら中々の哲学者でアリサを鋭く批判し、ニヒリスト克服同盟をも攻撃して、独自の人生観を松尾優紀の前に、展開するのである。
彼は貧しきもの、醜いもの、きたないもの、小さいものに異常な関心を示しそれを映像化しようと考えているようだった。だから彼から見ればアリサはプルジョア娘と見えたに違いなかった。それから驚いたのは山川広子が入部してきたことだった。
山川はニヒリスト克服同盟のメンバーで三年生であった。あと二年生の中野静子という丸顔の純真な感じのする素敵な女の子が入部してきた。
あと五人は一年生であった。ともかく十人はそろった。中々集まらなかったのはビテオがないことを知っていたためだろうか
六月八日の生徒総会は無事に通り、部としてビテオサークルは認められた。最初は高山アリサのビテオを借りるつもりだった。しかし松尾はそのことを中々言いだせないでいた。
ある日、優紀は電話をかけた。 「アリサさん」
「ちょっと相談があるんですけど」
「何よ。あらたまって。何でも相談してちょうだい」
「ええ、実は、城井高にビデオサークルをつくったんですけど、今年は予算不足でビデオカメラが買えないんですよ。それでアリサさんのビデオカメラを時々お借りしたいと思って」
「まあ、ビデオサークルをつくったの。それはすばらしいわ。もちろん貸してあげるわ。遠慮なく使ってちょう
だい。高校生の学園などをテーマにビデオづくりしたら、おもしろいと思うわ」
こんな風にして松尾はアリサからビデオを借りることができた。
ところがそれから数日して松尾はアリサから電話を受け取った。
その内容はビデオを城井高のビデオサークルに寄付するということであった。
松尾は遠慮したけれど、アリサは自分用にはまた新しいビデオカメラを買うから今まで持っていたのは寄付するというのであった。買えば高価なものを、いくら親しくしているからといっても、もらって良いものかと迷い部員や顧問教師に相談したが結局もらうことに決めた。
この顧問教師はアリサをかって担任したことがあってよく彼女のことを知っていた。
「高山アリサ君、確か、寺院の娘だったね。あそこの寺院は金がいつばいあるから、ビデオぐらいもらっておいてもいいんじゃない。」
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松尾は今まで考えもしなかったことを顧問教師に指摘されてびっくりした。
アリサの寺院には金がたくさんあるということが心にひっかかるのであった。父からは、最近の寺は貧乏だと聞いていたから、
一層、その思いを深くした。
貧しい者の味方である彼女の寺院が金持であることは何ら矛盾しないと思っていたがその時、松尾はふと疑問に思った。
それでその教師に聞いてみた。
「先生、あそこの寺院はそんなに金持なんですか?」
「そりやそうさ。噂によると、チャプリンの映画に出て来る酔っ払いの大金持ちを連想させるようなグフラワー氏の援助があるというんだよ。その人が禅にこっているという話だ。
彼は熱心なクリスチャンなんだけれど、神を信じるのには座禅が有効だと考えているらしい。酔っ払いの金持ちと座禅、おそろしい矛盾だよ」
松尾はなんだかわけのわからない感情になった。アリサの高山寺院にグフラワー氏の資金が流れこんでいるというのは驚きだった。
ただ、彼の耳にこういう情報も入った。このグフラワーは新約聖書の中に書かれている「金持ちは天国に入ることは難しい」を最初の頃、鼻であしらって、クリスチャンでありながら、無視していた。しかし禅を勉強してから、何故かこの言葉を信じるように変化したという。アメリカ左派の主張する上位一パーセントの国民が富の三十パーセントを保有するというのはおかしいと言い出したのだ。そして、大企業への重税と庶民への再配分を支持すると言うからアメリカ人には驚きだっただろう。その原因はここの禅道場で三年間座禅したことにあるという。このグラウワー氏で何か訴訟が起こったとかで、堀川光信はアメリカに行っているのだと聞くと、松尾優紀は複雑な気持ちになった。グフラワー氏から、堀川は弁護士として依頼があったのだろう。
酔っ払いの大金持ちか。松尾はなんだか変な感じがする一方、禅が彼らの考えを変えたことに興味を持った。この話を父としたら、今や
寺院の四割は年収は三百万以下なんだ、そいうお寺はいずれ消滅する。高山寺院がキリスト教とも手をつなぎ、グラウワー氏から金を寄付してもらうのも時の流れなのだろうとコメントした。
こんな風な形でアリサからビデオを寄付してもらった松尾優紀はビデオサークルでの活
動と、日曜日の朝,高山寺院の座禅道場を訪問することを習慣としたのだった。
そして六月下旬の日曜日に、 アリサの家で城井高校のビデオサークルの発足会をやった。
ビデオサークルの部員は松尾を含めて十二人になっていた。 その時は堀川光信がニユーヨークから帰国していたから彼もアリサと一緒に同席した。
外はしとしとと雨が降っていた。梅雨だ。 松尾優紀の隣にたまたま中野静子という一年生部員が来た。
彼の正面に堀川光信とアリサが並んだ。他の人達もそれぞれ座った。隣に座った関係上、松尾は義務のように中野に声をかけた。
そして彼女の瞳と微笑を見た時、 彼は不思議な気持にうたれた。 実に美しいと思った。端正な顔立ちも良いが、それよりも控えめな態度にひそむ花のような瞳に魅せられた。アリサが知性の魅力とするならば、中野は森から出てきたばかりの清純さの魅力とでも形容できるのではないか。
中野と松尾が会話をするのはほとんど初めてのことだった。入部の時に、中野が松尾に声をかけた時、 松尾は他のことで頭が一杯だったから、 ちょっと可愛い女の子だという風な印象しか持っていなかった。
しかし、 こうして二人で話をしていると実に不思議な魅力を持つ少女であった。 アリサのはなやかな美しさとはちがう。
確かに地味だ。 地味だが美しい。 肌は白い。 明るそうな笑いをするが、どこかに憂愁の影がある。アリサのように高雅な知性が輝いているわけではない。
まだ幼さの残っている顔だ。
「なんで、 ビデオサークルに入部したんですか?」
松尾がそのように聞くと、中野静子が美しい抑揚のある声で静かに言った。
「ええ、前から詩を書いていたんですけど、その詩が映像化できたらすばらしいと思って」
斜横に座っている今村美恵は大きな笑い声をよくたてる。
少しがさつな感じのする笑い方をする。 まるで女子高校生の代表というような傲慢さがちらつく時もあるような陽気な感じである。
言葉は乱暴だし、時々アリサが今村の方をふりむいて顔をしかめている。
「今村さん、 そんな言葉使いやめたら。もう少していねいな言葉を使えないかしら。」
とうとう我慢のできなくなったアリサが一度そんな風に言った。それさえも今村は大きな笑い声でするりとぬけてしまう。
全く要領の良い娘だ。 それに比べて中野静子は対照的だった。やさしい語り口。 おだやかな徴笑。
岡野も落ち着いた雰囲気でケーキやコーヒーに手をつけている。彼の相手はやはり一年生の女の子だ。
顧問という形で入っている堀川と妻のアリサは静かに話をしている。司会は部長の寺田哲郎である。部長は発足者の松尾という声もあったが
三年生の寺田が良いという松尾の意見もあって結局、 寺田に決まった。
寺田がみんなの前でしゃべるのを松尾は初めて見た。実に彼は訥弁である。
訥弁だがなんとなく人の注意をひきつけるような所がある。彼は内気なのであろうと松尾は思った。
内気なのかもしれないが、 ひどく強い気性を内にひめているようだ。
ともかく、 よくわからない男だと松尾は思った。顔つき、 一見、陰気であまり笑わない。
しかし三年生の中では医学部をねら っているという噂のある秀才でもある。
彼の挨拶は決してありきたりのものでなく、ちょっとどきりと させるような所があ った。
「みなさん。城井高にビデオサークルができました。そしてこのサークルにビデオを寄付してくださったアリサさんに感謝します。
作品の内容は軍艦島に象徴されるように、廃墟のような物に目を向けるべきです。
古いもの、汚いもの、貧しいもの、小さいもの、弱いものの中に優れた価値を発見することこそ肝要だと思います。私達はとかくこうした時代の子である最新技術のビデオを持ちますと、ますます華やかなもの、美しいもの、豪華なもの、
美人、高価なものにも映像をしぼる傾向がありますが、これは間違いです。
これでは文明の利器で文化の退廃をおこなっているようなものです。
我々はビデオで文化を創造するのですから、もっとも貧しいものに目を向けていきたいのです。」
松尾はアリサの瀬戸内海に沈む夕日をテーマにした彼女の映像詩を思い浮かべた。
アリサは表面的に喋っていることは華やかでも、その陰に秘密の壮大な哲学がある。アリサの場合ははなやかな美しさに目をうばわれているように、意図的に相手に思わせている感じがないわけでもなかった。
寺田哲郎の司会によりみんなは雑談したりケーキを食べたり歌を歌ったりした。
堀川が松尾に話しか け てきた。
「松尾君、ビデオサークルで何を映像化した いのだい? 」
「はあ、僕の場合、詩ですね。ポエムの映像化ですよ」
優紀は本当は「アンネの日記」に触発された物語をつくり、それを映画化するのが夢だった。
が、それは今の彼には高嶺の花だった。
物語のアイデアすらまだ浮かんで来ないのだから、他人に言うわけにいかない。
「しかし、そんなものを映像化してどうするんだい?遊びかい」
「いえ、映像のポエムですよ」
松尾は、むっとして答えた。
「君達高校生ぐらいにそんなに簡単にポエムがつくれるのかね」
堀川光信はなんとなく意地悪な語り口だった。彼は実務家としては抜群 の才能の持主であった。
しかし今の段階では、不思議とアートを理解できないたちの男で、それに対してコンプレックスを持っていた。
「それはわかるけどさ、君達のやっているのは遊びの域を出ないのじゃないかな。ポエムを映像化するったってそのポエム自身、理念がなくて気分で書いているんだろ」と堀川は言った。
「僕は何も理念なんてむずかしいものは創作に必要なものではないと思いますが」と優紀は答えた。
「おやそうかい。それじや、気分で書いてることを肯定するわけ。気分なんかで書いたポエムやそれを映像化したビデオなんてどれだけ人の心をひきつけるかな。」
「いや、気分で書いているわけではありませんよ。僕の感じているこの生き生きした美しい世界をポエムにし映像化したいんです。」
「君の感じている世界ってそんなに独自の世界なのかい。君の見ている世界が平凡なものだったら、そんなものを表現したっておもしろくないぜ」
堀川の意地悪な質問は松尾にそれほど不愉快でなかった。
堀川に尋ねられることにより、松尾は自分自身の感じている世界を吟味し理性化しようとするのだった。
「僕の感じている世界が平凡かですって。それは平凡とも言えますし非凡とも特異ともいえますよ。僕はここにあるコップや水ですら生き生きとした生命を感ずるのですよ。このコップや水の美しさについても感銘することがあります。
そんなことはありふれたことかもしれませんけど、僕は僕のまわりにあるありとあらゆるものが
生きているという感動はなんともいえなくすばらしいんです。
石ころだって生きている、ましてや花の花弁や葉の中に染み透っているいのちを感ずる時
これはどうしようもなく表現したいという欲望と変わるんですね。
これは僕が持っている感動ですし、これはいつでも感じている
不思議な幸福感ですから、とても表現したくなるんですね。これは理屈ではありません。それから、あなたのおっしゃる理念なんてものによってつき動かされる表現なんかじゃないんです。
もっと、僕の生きているこの現実の中から表現していくポエムがあちこちにころがっているのです」
「ふうむ。君の言うことはなんとなく分かるような気がする。でもね、まだ、君は思想の世界を知らないから、そんなことを言うんじゃないかな。
僕達人間やそのまわりの宇宙といってよいのか世界といっていいのか、まあそういったものの中につらぬいている法則を知ることにより思想の深みに我々は達することができるわけだが、そうした思想を知った時、表現活動である芸術も生き生きと人に訴える力を生みだすし人間社会に大きな影響を与えることができるのではないかな。だから君の感じているそのアニミズムの世界もおもしろいとは思うが、ただそんな風に感じているといってもそれがどんな風に映像化されるのかヴィジョンを描くことはできんのだがね。そう君に同情していうとね。君の感じているそのすばらしい世界は思想によって肉づけされた時、芸術化の道をたどれるんじゃないかな。
もっともこの思想というやつは難物だがね。 僕は君の感じているそんなアニミズムの世界は一種の錯角のように思えるね。
つまりキリストのことを考えていればキリストが見えてくる。つまり幻覚だな。
物をかまえて見ていればそんな風に石ころまでいのちがあるという風に思うものだよ。 僕の思想からいえばそんなものはまやかしだよ。 」
堀川は横にいるアリサをちらりと見た。 アリサは終始黙って夫の言うことを聞いていたけど、キリストのことに夫がふれた時、顔をしかめて堀川の話の終わるのを待って言った。
「あたし、 あなたの方が自分の思想を世界にあてはめるという危険をおかしていると思うわ。
だってこの世の中には思想にはいりこんでこない分野だってあるのよ。
キリストのことを幻覚だなんていうなら、キリストの復活もそうなってしまい、キリスト教はどうなってしまうの。
キリストの言うことと、禅僧の言うことは根底で同じだと父から聞いたことがありますわ。深い宗教の根底は同じなのよ。
松尾さんの見ているアニミズムの世界だって彼が本当に感じていることなのだから、禅の考えと似ているところがあるわ 」
「父上はそんなことをおっしゃるのかね。禅僧は突飛なことを言うと聞いていたけれど、そこまで言うとは知らなかった。
ただ、もう君は独立した大人。いつまでも父上の影響の下にあるわけではないだろう」
「そうね」
松尾優紀は堀川とアリサの会話が愛しあう夫婦としてはかなりのすれ違いがあるような気がするのだった。
「父上の思想か」
堀川はそう小声で言って苦笑した。
「あなたは松尾さんにひどいことをおっしやっていますよ。 ねえ、松尾さん。 」
アリサは松尾の瞳をのぞきこんだ。
「ええ、 まあ、 僕は堀川さんのおっしやるようには僕の見ているアニミズムの世界が幻覚とは思いません。
そんな風に思ってしまったら人間の見ている世界はすべて幻覚で夢のようなものになってしまいます。
そうすれば科学の示す具体的な世界も夢になってしまう危険性を持っているわけです。
確かに人生は夢のようですけど、僕は自分の見ている世界はやはり表現する価値のある絶対的に美しいものだと思っているんです。
今の僕にはこれを思想化する力はありませんが、 いずれ思想のまな板の上に置いて料理したいと思っております。 」
その時、 突如横から寺田哲郎が声をかけた。 松尾の横にいてみんなの話に耳を傾けていた中野静子は驚いたような表情をして寺田の方を見た。 寺田は無表情に近い硬い顔つきで言った。
「松尾君は自分の見ている世界が美しいと感じているらしいがそういう感覚はうらやましいね。 僕なんかその反対だ。
僕の目に映るあらゆるものはひどく醜く見えるんだな。 花のように一般的に美しいとされるものは例外だが、たいていの物は、僕には醜悪に見えるんだ。 松尾君は石ころが美しいと言ったが、僕は正反対にその道端に落ちている石ころの不条理な現象が実に醜い恐ろしい化け物のように見えるんだ。
僕はこの醜さをビデオで映像化したいんだ。」
「サルトルの嘔吐のまねかい?全く高校生というのはまねが好きだね。若いんだから、真似もいいが、サルトルの嘔吐の意味が分かっているとは思えない」堀川は渋い表情で寺田の話をさえぎった。
禅の主客未分の世界という素晴らしい世界とは、逆に近代人が落ちいりやすい主観と客観が極端に分離して、存在には意味がないと思った時の、存在の醜悪さというイメージが寺田にあったのだろうか、堀川の頭にそんなイメージが浮かび寺田に対して苦々しく思ったのだろうか。
「いえ、サルトルの本は読んでいませんから、真似しようがありません。先程も言ったように、軍艦島だって、かって美しかったし、人が生活し活気があった。それが、やがて廃墟になる。そこに人間の悲哀がある。悲しみがある。そこに美を感じるのです。その、廃墟の延長として、僕は醜いものの中にこそ人生の価値がひそんでいると思っているんです。
この醜さを徹底して描いていく時、逆に美が立ちのぼってくるのです。
それから松尾君のようにコツブを見ていて、それを生きているという風にとらえるアニミズムの世界は僕自身、肯定も否定もしませんけど、コップが美しいなんて感じられるなんてちょっとうらやましい気が致します。
だって僕は事物をすなおに見るように心掛けているつもりなんですが、コップや石ころなんていうものはそんなに生き生きと躍動なんかしていませんよ。僕には人生は醜さの方か真実だと感じられるんですね。確かに花は美しいけど、花を美しいと感ずる欲望が美意識をひきおこしているのではないかと思ったりするんです。
花じや、はっきりしないから美人を例にしてみましよう。女の人を美しいと思うのは男だけだと思うんですよ。猫や犬
はそうは思わないでしょうし、人間だって仙人みたいになったら、そんな風に思わないのじゃないかな。
やっばり男の欲望が女性を美しいと思わせるんですよ。それと同じことがあらゆる美を追求する気持の中にあるような気がする。
そこで、優れていないものの中にこそ、既に美の芽があると言いたいのです。優秀な人間を良しとするのはその人間の利用価値に注目するという
人間の エゴなんですよ。むしろ何かの欠点を多く持っている人間こそ、優劣を無視した人間の尊さとか人間の価値の根底を教えられる気がするんだなあ。」
「それで君はどんなものをビデオで映像化したいのだね」
堀川はタバコをふかした。タバコをふかしているのはこの席で彼だけである。
「そうですね。僕はさしずめ貧しい中年の男を描いてみたいですね。会社をやめたいと思っているがその会社をやめれば
もうすでに他の会社では雇ってくれないということで、住宅費が高い都市に住む彼にはホームレスに近い生活が待っているという恐怖がある。
この恐怖を描いてみたいですね。現代社会の悲しみみたいなものを表現したいのです。
貧しくて悲しみに満ちあふれているが、へたな金持よりも実に人間的な人物を映像化するのです。
彼は醜い感情を経験するだろうし彼の多くは平凡で醜さがつきまとうが、人間としての真実がそこにはある。
そのような意味で僕はゴーゴリの外套のような小説を評価するんです。」
ゴーゴリーのは、貧しい役人が思い切って、新調した外套を夜道に追いはぎに奪われて、失意の内に死ぬ。そのあとに、幽霊が外套を探しに夜な夜な出るという話だった。
「アリサの書いた『外套』というシナリオとは大分おもむきがちがうようだな」
堀川がそう言った。アリサは外套というシナリオを書いていた。
それはある有閑階級の外套などの衣服に感ずる哀歓を軽いタッチで描いていた。アリサはすでにいくつかシナリオを最近、自費出版していたが、この外套も寺田哲郎は読んでいた。
「ええ、そうですね。随分ちがいます。アリサさんはゴーゴリを意識されて書いたんですか?」
「別に意識はいたしませんでした。ゴーゴリは高校生の時代に読んでいましたのであたしがそのシナリオを書いた時、心の片隅にゴーゴリがあったかもしれませんが。」
「そうですか。でもアリサさんの書かれたシナリオは僕の理屈から言えばあまりにも美しいものばかりに目をむけておられますね。
僕はアリサさんにゴーゴリのように醜いもの、貧しいものにも目を向けて欲しいな」
「あたしにはあなたのおっしゃる醜いものの価値というのがよくつかめてませんの。
花やタ焼けは美しいですし、自然界は美しさに満ちています。人間のつくるテパートに飾られている商品も美しいです。
そうした美しさをむしろあたしは描きたいと思っているのに、あなたはまるで反対のことをおっしやるので
あたし正直言ってめんくらいましたわ。確かにキリストは貧しい人達の味方でした。でも貧しい人達には
当時のインテリ層であるパリサイ人よりも高い倫理と愛を要求しているんです。こうしたものは美しいと思うのです。
あなたのおっしやる醜さというのはことさら誇張して無理に人間の醜さ、ものの醜さを取り出しているような気がしてなりません。」
アリサはちょっと緊張した表情でそう言った。
「寺田さん」と松尾が口をはさんだ。
「僕はね、世界というか宇宙というか存在というのはね、人によってちがって見えるんだという気がするんですよ。だから同じコップを見て僕のように美しく生きているという風に感じる人と君のように醜くて不条理だと感ずる人が出てくるんですよ。真理は色々に表現されるという風に思うんです。ある人はキリスト教を信じるでしようし。ある人は科学を中心とした合理的なものを信じるでしようし、 僕みたいに今見ている不思議な生き生きした生命に満ちている世界だけを信じているものもいる。 」
「うん、松尾君の言うのは感覚的なことね」岡野が急に口をはさんだ。
「だが真理は一つだよ。 この世界は物質で統一されていて、 その物質の運動が世界を創造しているということだね」岡野はそう言って目をキラキラ輝かせた。
「ハハハ 随分、議論の仲間がふえたね。僕はね、 そんな真理はおかしいと思うよ。
なんで物質だけしかないんだ? 物質を認めているのは人間の意識なんだよ」 堀川はひややかな調子で言った。
松尾優紀 の心の中に色々な考えが錯綜するようになった。それにしても、アリサは何で。この場で「永遠平和を願う猫の夢」で、人類から核兵器と恐ろしい戦争の道具を少なくする、つまり壮大な軍縮の提案があるという物語の話をしないのだろうかと、優紀は思った。
高校のサークルには荷が重すぎるということだろうか。まだ具体的な形をとっていないからだろうか。それとも、アリサが主体になってやるには、もっと世間という広い場で取り組むということだろうか。NPO法人をつくりたいと言っていたことを思い出した。
ここは、若い人のポエムが具体的にどんな映像になるかという実験場と位置づけているのかもしれないと、優紀は思った。
「永遠平和を願う猫の夢」で、人類から核兵器と恐ろしい戦争の道具を少なくする軍縮の提案という彼女の言葉が思い出された。
再び、優紀の頭には、みんなの議論の中に出されたアイデアのような考えを吟味したが、彼には、どれか正しいと断定することはできなかった。
大山さんの言っていることすら正しい要素があるような気がしている。 人はさまざまの意見を持っていてその考えのみが
あたかも正しいと信じこんでいるような話しかたをする。
だが松尾は自分の目で見、 自分の頭で考え、 確かめたことだけを正しいと思うことに決めた。
彼の目の前にひろがるアニミズムの世界は彼にとって確かなものだった。
花はもちろん生きていたし、青空を走る雲も色々な形に変形する生き物に見えた。
町の中のさまざまの家やビルはまるで複雑な構造を持った細胞にも思えるのだった。
風や嵐や雷ですら、生きている自然の贈り物という感じを持つことがあった。優紀は自分の感覚に誇りを持つと同時に、
不思議な感じも持っていた。
この神秘なアニミズムの世界をビテオで映像化したいと思った。 この点で学校のビデオサークルで制作する時、
寺田哲郎とよく衝突するようになった。寺田は醜いものに目をむける勇気を持つ必要があるということで、ことさらに
映像の中に醜悪なものを持ち込もうとした。
ところが松尾は結局、美しいものを見い出していこうという姿勢があった。
たとえはコップをビデオカメラに映そうとする場合も寺田の場合はごみための中の割れたビンを映そうとする。
それに対し松尾は台所のコップに水をいれたりビールをいれたりワインをいれたりして色々な角度から映像化し、
そこに生き生きとしたいのちをクローズアップし、 そのいのちに見い出される美に人を感動させようとする意図があったりした。
ビテオサークルでは寺田哲郎と松尾優紀の美的感覚の相違とは別にそうした美を映すことよりも現実に動く社会の構造や流れを映像化したいとする岡野光次がいた。
彼は社会の変革によってこそ人間の意識も変革されるのだから社会参加の中にこそ正しいものの見方を知ることができるのであり、生き生きとした人間の生きる希望はそうした人間どおしの連帯に求められるのであり
ビデオ制作もそうした人のつながりを重視すべきであると論陣をはった。 まだ他にもさまざまの
意見があり意見を調整するために彼らは放課後よく議論した。
夏の終わり頃、高山寺院で座禅をやった後、ここでビデオサークルの会合をすることを許された時があった。座禅には出ないで、サークルに出て入部してきた面白い男子がいた。宮沢賢治のファンという村奥という小柄な二年生だった。彼の入部の動機は映像詩と議論の中身を聞いて、興味を持ったということらしい。
優紀とクラスは違うが、廊下ですれ違い、顔だけは、よく知っているが、話をしたことがない。彼は来たそうそう「銀河鉄道の夜」の話をした。アリサはそれを聞いていて、目にうっすらと涙を浮かべたことに、優紀は気がつき胸をうたれた。
それから、ビデオサークルがどこで開かれるのであれ、彼の独特の語り口を聞くことになった。一つの理由に、アリサが禅の立場から、宮沢賢治の法華経に影響されたと思われる話が支持され、またそれが若者の議論に花を咲かせたからに違いない。
ことに、如来受量品の解釈に、これは素晴らしい文章だが、天なる美しく妙なる音楽と曼陀羅華の花の飛び降る美の極致があり、浄土の描写と娑婆世界が重なっているのはいかなる深い意味があるのか、ということは村奥の好きな話の場面だった。
アリサは、リサ・ランドール博士の五次元異世界にも関心を持つらしく、それを村奥の話を機会にして、そうした異次元の話に持っていき独特の浄土を詩のように語ることもあった。
そういうことは映像詩にしたら、どういう場合が想定されるのか、そういう話になると夢中になることがあった。 それから、村岡は地球温暖化を阻止しなければという話題もよく出した。それには、深い共感を感じているのが、アリサの表情から優紀は感じ取ることが出来た。
こんな風にして、時が流れた。議論とビデオカメラでの、映像詩の創造。学園の学習のあとにサークルという集団で行われたこともあり、優紀とアリサの二人で、瀬戸内海の夕日をとったこともあり、そうして彼らはその映像を見て議論をした。文化祭の時に、その映像詩を皆に見てもらい、批評をしてもらったりした。
ほめてくれる人はいたが、優紀にも、アリサにも満足の出来といわれるものは中々作れなかった。
そうこうしているうちに浄土のような光が時々顔を見せたあの秋も紅葉という美の局面を見せて、あの冷たい冬の到来を目の前にちらつかせる季節になった。人生には予想外のことが起こることがある。
14
ある朝、優紀が登校した時、二年の靴箱の所で、人だかりができていた。珍しいことなので、優紀も後ろから見て、生徒のうわさ話を総合すると、二年の誰かの答案が貼られているのだった。しかも、零点ということで、いじめではないかという声も小声であった。
優紀はクラスも違うこともあり、いつものように、教室に向かった。
そういえば、彼の今回の成績はいつもより悪い。いつもは、上位には入らないまでも、ある程度の成績をとれていたのに、今回はビデオサークルの映像に夢中になり、そういう関連の本を読むために、市の図書館に通い、試験勉強をしなかったせいもあるけど、中レベルになっていた。
ところが、翌日そのいじめられていたよそのクラスの生徒が自殺したということを教室で聞いた。
授業は中止になり、全校集会が開かれ、教師から説明があった。いじめは前からあったようだ。それをとめられなかったことに対する教師の謝罪があった。
優紀は思い出した。アリサからもらった綺麗なハンカチを落としたのを、後ろから注意してくれ、拾って手渡してくれた子でないか。彼の顔をよく覚えている。丸顔の童顔で身体は小柄、目は優しい真珠のようだった。
それにビデオサークルの村奥と同じクラスなので、ちょっとうわさを聞いたことがある。漫画の上手な子で、皆をよく笑わせていたが、それが原因で、いじめられたと思われるが、その時はおさまっていたと思い込んでいた。
優紀は市立図書館で読んだ本の中身が噴水のように、頭の中に吹き出し、同時に靴箱であの零点の答案用紙を見た時、何であのクラスに乗り込み、あんなことをする奴を問い詰め、いじめられていた子に温かい言葉をかけられなったのか、悔恨の涙がにじみでて来るのだった。クラスが違うのだから、そんなことはまずやりくいことである。それに、それは教師の仕事であると分かっていても、おれはアリサを困らした田蜜という番長を良い方向に導く不思議な力を持っていたでは、ないか。それなのに昨日、靴箱の所でいじめの現場を見ながら何もしなかった。このくやしさはどこから、来るのか。彼は生徒総会では、教師の話は上の空で聞きながら、自分の成績のことにも思いめぐらしていた。
廊下には学年上位十位までの氏名が張り出されていた。
優紀は何か学校という存在に嫌悪を感じた。
市立図書館で読んだ思想や哲学や宗教の本を総合的に判断すれば、今の点数をあおる競争させる学校は人間教育をしていないのではないかという重大な疑問が膨れあがった。目の前で、生徒の自殺がそのことを実証しているのではないかという思いが膨れあがった。アリサですら、教師をやめてしまったではないか。アリサが辞めたのは乱暴な男の子がいるという幻滅感よりも、高山寺院の中でアリサの父親の住職から学んだ禅の影響が大きいのではないか。
学校で教える教育が知識の競争の場になっていることに対する絶望感から、映像という中に理想を表現しようという気持ちに変わったからなのかもしれないという憶測すら生まれた。
ビデオサークルの活動を続けていながら、優紀はこの絶望感から逃れることが出来なかった。
ある晩、彼は次のような奇妙な詩をノートに書いた。
「時は今、人生には海よりも深い何かがある
ニヒリズムに惑わされない愛と慈悲の瞳がいたる所に
あらゆる空間に昆虫の目のように生きている
勝利の汽笛ばかり鳴らしたがっていた
あの船の煩悩のうめき
それが希望と絶望の振り子のように、
青春の魂の苦悩となった。
見よ ! 君の瞳に映った慈悲と愛の花束を
今より永遠に向かって歌うのだ。
時として、雨雲の中に突如現れた青空のように
君は不思議な瞳を詩人に向けた
それは遠い山の森を流れる小川のせせらぎの音を聞くかのように
それとも、駅前の人ごみの中で、優しい声の響きを聞く時のように
それは場所や時間に限定されない
宇宙のありとあらゆる美しい所で
詩人が出会った君の瞳の奥の光
君の瞳は荒れはてたニヒリズムの部屋に光を向けた。
水が月を映すように
君は物に応じて姿を現わす
ああ君よ
君の瞳の中にあらゆる愛と大慈悲心が埋蔵されている
ダイヤモンドや石油よりも重要な 深い愛の光が
きらめく星のように、大空に存在するのだ
夢見よ
君の瞳に輝く光はあらゆる空間に存在して
愛と慈悲の気分が高揚する時に
そのやさしいまなざしをすべての人に向けるのだ
深い意味のある愛の光が
そのまなざしに隠されている
人はそれに感動して自然のいのちを見る
そこには緑と水に潤った大地と空がある
君の瞳には光の神殿がある
穏やかな春の日の散歩道
子供達の遊び声
どこにもかしこにも生命の賛歌が聞こえる
優紀の詩はある種のひらめきによって、つくられたのである。おそらくは、それまでの青春の経験や考えがまだ若い彼の魂に流れこんだのだろう。どちらにしても、競争という価値観を大きくかかげる場所にいたたまれなくなった。彼は苦しんだ。
ある晩、久しぶりに「アンネの日記」の映像をみた。ナチスの軍に追い詰められたアンネの一家とその知人の人達が会社の二階の裏部屋に一年以上も隠れ、そのあげく密告によって発見され、収容所に送られる。その間のアンネの希望と絶望が優紀の胸を突き刺した。何故、ナチスはこれほどユダヤ人を憎んだのか、ある程度の歴史の輪郭は優紀の頭にあったが、彼のその時のいじめによる自殺問題と重ねると、これは巨大な悪魔のいじめではないかという思いが膨れあがった。いじめは大人の社会にもあるというのは報道でも、散見していたし、父からも耳にしたことがある。
大人社会がそんな風だから、子供にも起きる。現代でもあちこちで、戦争が起き、その被害は市民におよび、子供達にまでその恐ろしい魔の手が伸びている。
それに、核兵器は増強されて、このまま軍拡が進めばいずれアリサの言うように、核戦争が起きる可能性が出てくる。そのためには核兵器をなくし、ハラスメントなどの大人のいじめ社会の体質を良い方向に向けなければ、人類の存続の危機すら、来る。それを克服するには、アリサの言う愛と大慈悲心による前進しかないではないか。現状のように、知識の競争などしている場合か。
そう思ったとき、松尾優紀の頭にある決意が持ち上がってきた。
ある日曜日の朝、優紀は父に城井高を退学したいと申し出た。今までの悩みを吐き出すように言った。
「辞めるのはいいが、原爆資料館に行くのは優紀の映像の技術が出来上がってからで,いいのではないかな。」
「でも、同じ広島ですから、直ぐ行けますよ。僕は小学校は東京だから、全く見てないので、友人はみんな小学校の見学で見てショックを受けたと言っていますよ。
アリサさんの言う核兵器をなくす映像をつくるのには、早い方がいいのでは」
「戦争は悲惨だ。その悲惨さをしっかり受け止め、核兵器を悪と断じ、それをなくそうという映像を作るには、その映像を見る世の中の人間がどういう人達で構成されているかという社会勉強もしておく必要があるということだ。」
父はそれ以上は言わなかったが、優紀は父の言葉に従おうと思った。
そうした悩みの中で、優紀は城井高を退学した。理由を知らない周囲の者達が猛反対したが、彼の父はアドバイスをしただけで、許してくれた。もちろん父にだけこの秘密を言ったこともあるし、優紀の潜在能力から見れば、高卒の資格はいつでも取れるという気持ちもあったようだ。
高校三年への進級も間近い二月のことだった。しばらく松尾優紀は貯金した金を全てはたいて、自分のビデオカメラを買い、作品をつくることに没頭し始めていた。
それが出来あがった四月頃その作品の試写会をした。瀬戸内海の詩情をたっぷり撮った三十分ほどの映像だった。
アリサや城井高のビテオサークルの仲間を呼んだ。優紀はこの作品でどうのこうのという野心を持つにはまだあまりに若すぎた。優紀は作品のことはともかく、 いつまでもぶらぶらしているわけにもいかないのでアルバイトをしようと思っていた。もちろん彼がめざすところはシナリオライターであり、ビテオ映像作品の創作である。しかし現実社会を知らずに良い作品が書けるとも思っていなかった。こんな風な思いが彼の頭の中を横切ってはいたが、 この四月の試写会はある一定の成果をあげた。三十分ほどの映像ではあったが、松尾優紀の持っているアニミズムの世界が美しく描き出されていた。しかしまだ、 周囲に認められるというのにはあまりにも道は遠かった。
アリサがほめてくれたのは嬉しかったが、「どうして高校を辞めてしまったの。相談して欲しかったわ」は胸にぐさりときた。
「映像をやりたいのです」という優紀の顔にアリサは驚きの表情をしたのは意外だった。それでも、いじめの問題などの細かい事情を話したら、納得してくれ、アリサもいずれ映像のNPO法人をつくるための準備をしている、準備が整ったら、声をかけるわと言ってくれたので、何かほっとすると同時に不思議な感動の涙が浮かぶのだった。
優紀は喫茶店のボーイのアルバイトをするようになった。 このことに対しては父からの反対があった。
アルバイトのようなものでなく、 しつかりした職業につけという忠告だった。だが優紀はシナリオを書くということと、アリサがいずれ作るNPO法人に参加するためにも、自分の資金づくりということからも、アルバイト形式の仕事の方が都合が良いと思われた。
ボーイの仕事は単調であった。確かに色々な人間が出人りするという面白さはあるが、客との間にコミ ニケーションがないので、毎日が静かに過ぎ去っていった。彼は身体を仕事の中で動かす楽しさと同時に、初めて仕事の単調さの中に、日々が過ぎ去っていくという疎外感を味わった。
仕事を終えてから本を読んだり作品を書いたりした。そのうちボーイにすっかり慣れた頃、父がある仕事を持ってきた。ある会社の工員として働かないかという話だった。そこの会社の社長が父の遠縁になるということで、それまでそれほどの付き合いがあったわけでないが、最近の偶然の出会いから、息子の話が出たようだ。
会社は紙を作るのが主な仕事だったが、クロスもつくった。
優紀はそういうものに興味があったわけでなく、出来れば電気系の会社が良いと思っていたが、家から通えるというのが魅力だった。
そう判断した彼は川上製紙の非正規の社員として入社した。川上製紙は大手ではなかったが、クロスなど多くの製品を多角的に伸ばし、急速に伸びようとしていた。
彼は紙のエ場に配属された。彼はそこで多くの友人と組合という労働者の組織を知った。十八才の九月である。彼は紙の勉強のことよりは、頭の中は映像の勉強のことで一杯だった。
ただ、会社は長時間労働なのには参った。退社するのは夜の十時頃だった。若いから、苦にならなかったが、自分の時間がない。唯一の時間は土曜日の午後だった。
そうした時間に松尾優紀に近づいてきたのは二十五才の班長熊野敏夫という人であった。この人は大変小柄な人であったが、俊敏な行動力の持主であった。すべてが小づくりで身長は百六十センチに満たなかった。やせて青白い顔つきから想像できないような言葉の洪水と情熱を感じさせるような人であった。ひどく論理的な話が得意でいつも冷静さを失わず、 たんたんと静かに語る調子は平凡でない人柄を感じさせた。そして熊野はひどく気が強くそのしまった唇は 一種の威圧感を人に与えた。彼は高卒で工員になったが夜は夜間大学に通っているという話だった。熊野は川上製紙で組合の活動家として知られていた。熊野の場合、松尾優紀にとって職場の先輩として現われたわけだが、その他に友人としてつきあったのには何人かいた。
一番、変わっているのが中肉中背で丸顔の顔つきをした飯田正道という男であった。 この男はまだ二十才になったばかりでひどく変わった服装をすることで知られていた。朝オートバイで出勤、真っ赤な服というのも最近の若い人にはめずらしくないが、彼の場合、色もさることながらデザインもやはり奇抜。彼はいつも優紀の横で仕事をしている。その他、遠藤洋介というひどくヨガにこっている男も友達になった。彼はヨガをマスターし、太極拳とミックスし、独自のヨガをつくり、それを全世界にひろめるのだという途方もないことを考えている二十一才の青年であった。最初に親しくしたのはこの三人である。
よくコーヒー店に行き話し込んだ。松尾優紀は、ビデオに関する自分の夢を語った。彼は瀬戸内海だけでなく、全世界の町を歩き、その町のイメージを映像化できないかという夢のようなことも語った。本当は核兵器をなくす映像と気象温暖化を食い止めるビデオ映画をつくるのが本命なのだと語りたかったのだが、賛同されるか分からないので時期を見計らった。
それで、普段は瀬戸内海を舞台にした映像詩や、日本や世界の町を歩き、その町のイメージを映像化出来ないかという夢のようなことも語った。
尾野絵町についても一つの作品をつくってみたが、彼の考えている芸術作品としての町の美にはまだほど遠かった。テレビでよく海外の紹介や日本の町の紹介があったが、松尾優紀にとって町というのは単なる景色であってはならなかった。又、単に人の集まる場所というのでもなかった。
そこには数々のドラマを秘めたロマンが心臓のように町の中に脈打っていなければならなかった。
広島もそういう視点から、考えていた。原爆が落ちる前は普通の生活が流れていたはずだ。そして原爆資料館を訪ね、悪の極致としての原爆の惨状を目と耳で知り、アリサの「永遠平和を夢見る猫」の映像に、出来れば自分もその創作の仲間に参画したいと思っていた。




