315年の願い
三部作三作目です。
三部作の中で一番小説らしいかもしれない。
窓の外から聞こえる鳥のさえずりと共に、私は起床する。そして身支度を整え、台所に向かう。毎朝の食事は私の担当だ。料理をしているとタイミング良く同居人が起きてくる。
「おはよ〜。今日の朝ごはんなに?」
「おはよう。オムレツとソーセージ、それからロールパンよ」
「わーいおいしそう!」
幼馴染にして大親友の彼女は目を輝かせた。子供みたいにはしゃぐ姿はとても愛らしい。
「わたし、レナが作るオムレツ大好きなんだよね〜!」
「ふふ、ありがとサーシャ。喜んで貰えて嬉しいわ」
私は頬を綻ばせる。作った甲斐があるというものだ。
サーシャと二人で暮らすようになって、もうどのくらいの年月が経っただろうか。ここに来る前にも一緒に暮らしていたことを考えると、数え切れないほどの時間を彼女と過ごしていることになる。それが本当に嬉しい。彼女と一緒にいられることは何よりの幸せだ。
いつまでこの時間が続くだろうか……なんて、考えない方が幸せなことを思案してしまうこともある。別れは辛い。途方も無い絶望と行き場を失った悲しみが同時に押し寄せ、心を押し潰す。一度経験したことがあるというのも手伝って、過剰なまでに恐れてしまっている節があるのも要因の一つだ。
けど、しばらくはその心配をしなくてもいいはず。少なくとも今は、永遠にも等しい時間が残されているのだから。それでも別れの時が来たなら、その時は覚悟を決めよう。いつまでも彼女に縋っていないで、笑顔で前に進むと誓おう。
「レナ? 食べないの?」
気がついたらサーシャが心配そうに私を見つめていた。既にオムレツに手をつけているらしく、口にケチャップを付けている。
「ごめん、考え事してた。というかあなた、口の周り凄いわよ」
「あっ」
「全く……。急いで食べすぎよ。口周りを汚すとか、あなた一体何年人間やってるのよ?」
「ええと、大雑把な年数しか分からないけど……。わたしが十五歳なのは間違いないよ」
「真面目に答えなくていいわよ……。あなたらしいといえばあなたらしいけど」
私が呆れてため息を吐くと、サーシャは慌てて口を拭いた。その必死な表情に、私は思わず吹き出してしまう。
「ちょっと、なんで笑うの!」
「あんまり必死な顔してたものだからつい……。ふふっ」
「もう、また笑った……」
「許して。お詫びに私のソーセージ一本あげるから」
「うん、許す」
こんな日常がずっと続きますように。親友とずっと一緒にいられますように。私は、そう切に願うばかりである。
「ねえレナ、久しぶりにどこかに出かけない?」
ある日、朝食を取り終えて後片付けも済ませたとき、唐突にサーシャが提案してきた。
「いいけど、いきなりどうしたのよ?」
普段なら、どちらかが買い物にしても遊びに行くにしても前日のうちに言うはずだ。二人で外出するのならなおのこと。ルールを決めたわけではないけれど、いつの間にかそれが暗黙の了解となっている。
実際この間も、彼女が近所の川で魚を釣るのだと前日の朝から息巻いていたことがあった。ちなみに彼女は釣りの最中に川に落ち、そのまま流され下流で発見された。「息ができなくて大変だったよ」と能天気に笑っていられるあたり、かなりの大物である。
その大物が唐突に何かをしだすのはいつものことなので大して驚かないが、長年の慣習を破ったことが少し意外だった。
「えっと……。朝ごはん食べてるとき、突然『最近レナと二人で出かけてないな~』って思って。今日は特に予定もないし、出かけるにはいいんじゃないかなって思ったの」
「確かに、ここのところは出かけるにしても別々だったわね」
ここで暮らし始めたときは、毎日のように二人でどこかへ繰り出していた。始めてきた場所だったため、すべてが新鮮だったというのもある。目的もなくふらふら歩き回ったり、遠方で宿泊したことも何度もあった。しかし、生活に慣れてきてからはそれもなくなり、買い物も当番制にしたため一緒にどこかへ行く機会は少なくなっていた。
「でも、今からだと泊まりは無理よ? どうせなら、今度旅行も兼ねて行くのはどう?」
私の提案に、露骨に落胆した表情を見せるサーシャ。
「……絶対今日がいいの。今日じゃなきゃダメ」
彼女がわがままを言うのは実は結構珍しい。反対に私は、気を付けてはいるが彼女に比べると言ってしまっている。それを受け止め宥めるのは、いつも彼女の方なのだ。
滅多にないことだし日頃世話になっているので、彼女の意見を受け入れることにする。
「じゃあ、日帰りで行ける範囲で遠くまで行ってみましょうか」
「うん! せっかくだしいろんな場所回ろう!」
「なんて言っていた時期が私たちにもあったわね」
「時期って、たったの二時間前だよ。でも、わたしもその気持ち、凄くよくわかる……」
意気揚々と家を出てからおよそ二時間。私たちは既にくたばっていた。
どうせなら楽しめる場所がいい。それで様々な行楽地に行きやすければ完璧だ。そうして最初の行き先として選んだ場所は、景観が良いと評判のビーチだったのだが……。
「ありえないくらい人でごった返してるわね……」
到着してみたら辺り一帯人だらけだった。確かに綺麗な景色だが、人が多すぎてそれどころではない。砂浜はシートと荷物だらけでこれ以上入るスペースは残されていないし、海は海で浅瀬が芋洗い状態。沖に出れば幾分かマシなようだが、果たしてそこまで辿り着けるか……。海の家も同様で、お昼時ではあるが行く気にならない。
「みんな考えてることは同じだったんだね。まあ、昔住んでたところみたいに事故を気にしなくていいから、その分いっぱい来るっていうのもあるんだろうけど」
「観光地あるあるね。仕方ない、海は諦めて他の場所に移動しましょう」
この時点で何か嫌な予感がしていたのだが、それは的中した。
灯台、雑貨屋、喫茶店、洋食屋、服屋、大聖堂。回ろうと思っていた場所は全て人で埋め尽くされていた。ビーチよりはだいぶ空いているが、それでもかなり人が多い部類に入る。流石、観光名所の近隣地域。覚悟はしていたが、想定外の人の量だった。
「何でこんなに人がいるのよ……」
「今がちょうど夏休みなんじゃない? それで、働いてる人が一斉に遊びに来てるんだよ」
「ああ、なるほどね」
夏休みなんてものをすっかり忘れていた。前いた場所で学校に通っていた時以来だから、最後の夏休みなんていったい何年前だか……。大体、働いているも何も、ここではみんな趣味でやってるようなものなのだから、長期休暇なんていらない気がするのだが。本当なら働かなくても、娯楽の幅は減るけど衣食住に悩まされることも無く暮らせるのに。
そのことを話すと、サーシャは苦笑いした。
「きっと、みんなの役に立ちたい人が頑張り過ぎちゃうんだよ。好きで始めたことでも、たくさんの人に喜んでもらいたいって思ったら忙しくなり過ぎちゃって疲れちゃうでしょ? だからお休みが必要なんだよ」
サーシャの説明に、私は頷いた。
こっちに来てからは基本スローライフの私たちも一応仕事はしている。週に三日だし、いわゆる「なんでも屋」だが、それなりに収入を得ているしお客さんの役に立てている。しかし、もしこれで次々に仕事を増やせば激務になり、好きで始めたのに疲労が溜まるのは明白だ。彼女の言うことは的を射ている。
「でも、みんな同じ場所に来ることないのになーとは思うよ」
「それ、私たちも人のこと言えないわよ?」
的を射たことを言えるのに、どこか抜けていた。
「にしても、このあとどうする? どこか行くにも、大体こんな感じなんじゃないかしら?」
また今度にするしかないわね。そう言おうとした時、サーシャは「じゃあ」と呟いた。
「わたし、行きたいところがあるんだけど……」
「綺麗な場所ね……」
私は思わず息を漏らした。
サーシャの案内でやって来たのは、ビーチから馬車で四十分の地点にある草原だった。ぽつぽつと木が生えていて、近くには小川も流れている。
サーシャは迷わず一本の木の根元に行き、立ち止まった。
「ここだよね、初めてレナがこっちに来た時に倒れてた場所」
来るのはこれが初だと思っていた。かなり昔のことなので、言われてようやく思い出す。
私が元いた場所の自室で首をくくった後、目を覚ましたのがここだった。不治の病により先にこちらに来ていたサーシャが私を覗き込み、名前を呼んでいた。あの時、彼女に再び会えたことが嬉しくて暫く泣いた。追い掛けてよかったと心の底から思った。
「あの日、なんとなくこの草原に来なきゃいけないなって気がしたんだよね。それで来てみたら、向こうに残して来たはずのレナがいるんだもん。びっくりしたよ」
懐かしそうに、その時の記憶を愛おしむように彼女はそう言った。
「まさか、わたしが死んで十日で再会することになるなんて想像してなかったもん。あと七十年は先かなーって思ってたよ」
「だって、あなたのいない世界なんて生きる意味がないもの」
ましてや七十年なんてありえない。そう告げると、彼女は「そういうと思った」とはにかんだような笑みを浮かべた。
「わたしも、反対の立場だったらきっと同じ選択をするな。それでこの世界でレナと再会して、泣いて喜んだと思う」
「でもね」とサーシャは続ける。
「先にこっちに来た立場からすると、レナにはもう少し生きて欲しかったって気持ちもあるんだ。けど、それと同じくらい、わたしの後を追って来てくれたのが嬉しかったの」
彼女はそう言うと私に背を向け、「最後にここに来れてよかった」と木の幹を撫でた。
ここまでの一連の行動に、私は表現できない不安感を覚えていた。
彼女が私の自殺に複雑な感情を抱くことは、死を決意し遺書を綴っていた時には既に分かっていた。だから発言自体には何かを感じたりはしない。申し訳ないとは思うけど。
だが、なぜ今この話をするのか。そもそもどうしてこの場所に来たがったのか。「最後に」とはどういう意味なのか。今日、どうしても出かけたがったのも引っかかる。
「いま、何でこんな話をするんだって思ったでしょ」
私の思考を見透かしたかのように彼女は言う。流石と感心する余裕は、今の私にはない。
「ねえレナ、人間の転生周期って何年か知ってる?」
その言葉に、私も彼女の考えていることの大半を読むことができた。読みたくなかった。
「……三百年」
過去に似たような会話をしたことを思い出しながら、私は答える。その声は震えていた。
「正解。まあ、人によって多少の誤差はあるらしいけどね」
サーシャは満足そうにニコッと笑う。
「わたしね、ここに来てから毎日ずっと日記を付けてたの」
知ってる。生前もそうだったから。よく続くものだと私は舌を巻いていた。
もうこれ以上は言わないで。そう願うも、叶わない。
「それで昨日寝る前なんとなく読み返してて、気づいちゃったんだ」
今日がちょうど三百年目だって。その言葉を聞いた途端、頭の中が真っ白になった。
「つまりね、わたしのここでの生活はもうすぐ終わっちゃうの」
その言葉が引き金となったかのように、彼女の身体はぼんやりと光と放ち始める。同時に若干透け始めてもいた。それが何を意味しているか分からない程、私は鈍感ではない。
「サーシャっ!」
「言った途端にこれか~……。ごめんねレナ。わたしたち、そろそろ時間切れみたい」
「そんなっ……!」
嫌だ。別れたくない。ずっと一緒にいてよ。そう言おうとして、私はふと思い出す。もう遥か昔。こっちに来て百年が経過したある日の朝、自分の心に立てた誓いを。
――今が、その誓いを果たす時ね。
泣きそうなのを堪え、無理やり笑顔を作る。
「今までありがとうサーシャ。あと十日もしたら私もそっちに行くから、その時は……」
「レナ、自分の手を見てみて」
突然言葉を遮られ、私はぽかんとする。わけが分からぬまま言われた通りにすると。
「……え?」
「……わたしだけじゃないみたいだね」
サーシャ同様、薄く発光しながら透け始めていた。誤差が出たということか。
あと少しで私は消滅し、新たな命に生まれ変わる。不思議と恐怖はなかった。
「サーシャと一緒に行けるのね……。すごく、嬉しいわ」
「うん。レナと一緒なら、嬉しいし、怖くないよ」
私たちは、どちらからともなく手を取り合う。
「ねえサーシャ、私、あなたと出会えてよかった。あなたといられて幸せだったわ」
「わたしも。一緒にいられた三百十五年間が夢みたいだった。大好きだよ、レナ」
「私も、あなたのことが大好きだった。あなたといられる時間が何よりの宝物だったわ」
「もし願いが叶うなら……。向こうでもまた、レナと一緒がいいな」
「そうね。親友もいいけど、今度は姉妹もいいかも知れないわね」
「レナと姉妹かー。楽しそう! そしたらどっちがお姉ちゃんかな?」
「さあ、どっちかしらね。どっちでも、ずっと一緒にいられるならそれでいいわ」
最後の時も、終わりを告げる。私たちを取り巻く光が一層強くなる。
「そろそろ消える……。じゃあまたね、レナ。次に会う時は、向こうだね」
「ええ。絶対に、また巡り合いましょうね、サーシャ」
向かい合って、泣きながら笑いあって、抱きしめあって、二つの光は消え去った。
現代日本の某所にて。れいなは、双子の姉・さあやと共に公園で首を捻っていた。
数分前、れいなが芝生の上で寝転がり、それをさあやが覗き込んだときのこと。二人は謎の既視感を覚えた。幼少期に似たようなことがあったのだろうか? それにしてはどこか引っかかりを覚える。何か、すごく大切なことを忘れているような……。
その謎は、ある晩見た長い夢によって解けることとなる。奇しくもその日は二人の十五歳の誕生日であり、天界で二つの光が消滅したのと同日だった。
FIN




