勧酒
「──今宵の月は綺麗だなあ......」
「ああ......こいつぁ中々見られねえ。酒を飲むにはもってこいだ」
とある湖の畔で、二人の男が座って月を眺めていた。
男達は杯を片手に、己の心を縷々語っていた。
「......そういや、あのときの夜も、こんな綺麗な月夜だったっけか」
「ああ、おめえが宴会で酔っ払っちまったときだな。......あんときのおめえときたら、千鳥足でまともに歩けやしなかったんだ」
「......あのときは、お前さんに迷惑かけちまったなあ......」
「いいんだよ。礼に酒でもくれりゃあ済む話だ」
二人は、呟くように語っていた。
左の男は、湖の徒波を眺めては杯を傾けている。
「......湖と言えば、二人で小舟を漕いだこともあったな」
「はっは、あれは傑作だった! 二人して酔ってたせいで、なんだか水月が掴めるような気がしてなあ」
「湖の真ん中にある水月を取ろうとして、近くにあった小舟で水月の際まで行ったんだ」
「そうだ。したら舟の波で水月が揺れて、水月が消えちまうと焦って二人で湖に飛び込んだ」
「......だが当然水月なんて手に取れなくて、残ったのはびしょ濡れの服だけときた」
「ああ。まさに落ちた瞬間は災難だったが、水から上がった頃には二人でけらけら笑ってたなあ」
「......今となっては良い思い出だ」
「ちげえねえ」
二人は、同時に酒を煽った。
そしてその味を噛み締めるように、二人は静かに黙り込んだ。
まるで、その沈黙が心地良いとでも言うように。
右の男は杯に次の酒を注ぎ、左の男は杯に映る水月を見ていた。
「......こうしてると、昔のことを思い出すよ」
物憂げに呟く左の男は、先ほどから酒を注ぐ手を止めていた。
その顔を見た右の男は、自分が注いでいた酒瓶を地面に置いて、左の男に言った。
「ったく、なんて顔してんだおめえは」
「......たまには、こういうこともいいだろう」
「......まあ、するなとは言わねえよ」
二人は、しみじみと酒に口を付けている。
男に当たる夜風は、湖畔の花を揺らしていた。
「......あれから、もう一年も経つんだな」
「......ああ」
「......随分と、寂しくなっちまったよ」
「......そうかい」
「......なんで、急にいなくなっちまったんだ。お前さんは」
男は、ぽつりと零すように呟いた。
その右の傍らには、あの男へ捧げる為の杯が置かれていた。
──その杯には、まだ一滴の酒も注がれていなかった。
「なあ、お前さんや」
男は独り、語りかけた。
「......この杯を受けてくれ」
誰もいない隣の席へ、語りかけた。
「......どうか、なみなみ注がせてくれ」
本当ならそこに居たはずの、もう一人の男へ向かって。
「花に嵐のたとえもある」
最後にもう一度だけ、二人で酒を交わす為に。
「......さよならだけが人生だ」
──男は独り、死んだ友への手向けを注いだ。
「......悪いな。なんだかこうすりゃ、またお前さんに会える気がするんだ」
『──そうかい』
そして男は酒瓶を置き、己の杯を手に取った。
『......仕方ねえ。どこまでも付き合ってやるよ』
そして、それに映り込む水月を胸に刻み──
「──お前さんに──」
『──おめえさんに──』
──その杯を、月へ掲げた。
『「──乾杯」』