異世界生活はラッキースケベで終わっちゃう①
『ちょっと異世界まで行ってきます』
そうノートに書くと、最後に「中谷祐二」と名前を書き加えて乱暴に破り、机の上に置いた。
夕日を遮るカーテンはうっすらと赤みを帯びている。いつもなら軽く堤防までランニング行く時間だ。
けど今日は行かない。
なぜならこれから異世界に行くから。
別に、まったく自分に優しくない世界に絶望したとか。学校のボッチ生活に嫌気がさしたとか。異世界なら自分もマンガやアニメの主人公のように輝けるとか。そんなおセンチこじらせたおたくのような理由では決してない。
むしろ逆。世界は優しすぎるほど俺に無関心だし。学校生活に不満は何一つとしてない。それに肉体を持った仲のいい女子の幼馴染に頼れる親友、暖か包み込んでくれる両親やかわいい妹ともいる。
何より、異世界の存在を本気で信じているわけじゃない。
だったらどうせ死ぬんだし、異世界があるか自分の命をもって確かめようじゃないか。
ただそれだけの話……。
「本当にこれで行けるのか……」
親友が置き忘れたきり取りに来ないオカルト雑誌を眺めながら、床にガラクタを並べ始める。
時間を意味する懐中時計。異世界を意味する携帯ゲーム機。渡航費代わりになりそうな供物。自分の顔写真を貼りつけた人型のフィギュア。名前が書かれた何か適当なもの。それらを線で結んだら星型になるように並べると、異世界につながる扉になるらしい。
とても胡散臭い。『誰でも行ける! かんたん異世界旅行!』という文言からもプンプン臭ってくる。
俺は、最後に自分の顔写真が貼られた気持ち悪い少女フィギュアを置くと、雑誌をベッドに投げた。
今頃、二人は俺を一方的な悪者にしないよう先生を相手に戦っているだろう。きっとそれは勝ち目のない戦いだ。
誰の目から見ても、俺のしたことはどんな理由をつけても擁護できない最低なことだから。
だからもういい。その気持ちだけで十分だ。
俺は星型の真ん中に立つと、サビの一つもない綺麗なカッターナイフを取り出す。
そして刃先を手首に突き立てて、そのまま一息に引き裂いた。
イタイ。痛いっ。痛すぎて声にもならない。
手首からトクトクと流れる血はフローリングに落ちると、不自然な動きをしながら広がると徐々に一つの印を浮かび上がらせる。あまり詳しくはないが、それは陰陽師とやらが使う五芒星とかいうやつだと思う。
完全に印が完成すると、床から天井に向かって一筋の光が爆音とともに突き抜けた。
「うあああああぁぁぁぁーーーーーーっ‼︎」
光に包まれた俺は突然の浮遊感に襲われること数秒。どこかわからないが、クッション性のある何かの上に落下する。
あの強烈な光に目をやられたのか、まったく何も見えない。
ただここが自分の部屋ではないことは確か。まさか床が抜けて下の階に落ちたなんてしょうもない結果であるはずがない。垂直落下じゃなかったからきっとそうだ。
つまり信じられないことだが、まさかの異世界渡航に成功!?
「あーあ、このほこりっぽさと妙な甘いにおいが異国の……いや、異世界の香りなのか〜。けどなんかこの地面? 柔らかいというか、弾力があるというか。すごく新感覚――」
ここまで言って、やっとこれがなんなのかわかってきた。
地面やアスファルトにはないほんのりとした温もりと、手に収まりきらない二つの双丘。これは、間違いなくアレですね。
そうこう考えているうちに、どんどん視力が回復していき、あたりの様子がはっきりと見え始める。
目の前のロリ巨乳のかわいい女の子は口を歪めながら、目尻に涙を溜めている。
そして誰かが呼んできたのだろう。視界の向こうに、灰黄色の軍服らしき服を着た集団が走ってくるのが見える。手には人丈ほどの長さをした棍棒。これ、明らかに俺を捕らえに来てるよね。
「す、すみませんでした!」
「きゃあーーーーーーーっ‼︎」
俺は女の子の叫び声を浴びながら、全速力で逃げ出す。
そりゃ当然だ。美少女が空から落ちてくるのがご褒美な人もいる。ただごく一般的な女の子の上に見知らぬ男が落ちきたら恐怖を感じるに決まってる。
それにラッキースケベをなんだかんだ許してくれるのは、ペチャパイの幼馴染くらいなもの。ロリ巨乳のかわいい女の子が許してくれるわけがない。
てか、アレは完全なる事故。避けられなかったというか、抗えなかったというか……。
と、とにかく俺は悪くない。
あえて悪者を挙げるとするなら、送り先を女の子の上に指定した見えざる誰かだ。
見知らぬ土地で孤独に一人であてもなく逃げ惑う。どこに向かって、どれだけ走れば逃げ切ることができるのかもわからない。これまで十六年間生きてきてこれほど心細いと思った経験はない。
ただ幸い、中学時代に長距離のランナーだったから長く走ることには少し自信がある。
一度、細い路地に逃げ込むと壁にもたれて一息つく。
「なんか今日、すごく調子がいいな。脚に羽が生えたみたいだ……」
俺はそう言いながら太腿に手をやる。
中学の三年間、毎日ランニングでもこんな感覚は経験したことない。ふと気を抜くと、上半身を置き去りにして脚だけが走っていってしまいそう。
ただ昨日の今日で急に足が速くなったりはしない。
きっと現世より重力が小さいんだ。だから道を蹴る感覚がふわふわしているんだと思う。
それはそうと、自分の部屋から急転直下で異世界に飛ばされたせいで今は素足をさらしている。走り難いし、石畳の道は硬くて冷たいし、靴を履いていないことがこんなにつらいなんて……本当に最悪だ。
「異世界人めっ! どこに行きやがった!」
「きっとそこまで遠くには行ってないはずだ。くまなく探すぞっ!」
路地の向こうでそう話す男たちの姿が見えると、俺は男たちがいる逆の方向に走り出す。
けど逃げてどうする。
このまま逃げ回っていても、きっと逃げ切れない。きっと町の外に通ずる道は封鎖されているだろうし、土地の勘がない状態でどこに逃げればいいのかわからない。
というより、わからないことだらけだ。
何? この世界の住民は異世界人の存在は一般的に認知されてるの? そうイレギュラーなパターンもありなんだ……。
けど、これなら正面切って話し合えばこっちの言い分もきっとわかってくれるはず。
「俺はここだ!」
そう言って、男たちの前に飛び出る。
人数は四人。俺の存在を視認すると鋭い眼差しでこちらをにらむと、一斉に棍棒を前に突き出す。
「話を聞いてくれ。あれはちょっとした事故なんだ」
「誰がお前のような下劣な侵略者の話など聞くかッ!」
じりじりと迫りくる男たちに、自然と体の重心が後ろに傾くが、逃げようにも後ろからも男たちがやってきている。
まず話を聞いてもらえなきゃ弁解のしようもない。
てか侵略者って。異世界の先輩方、いったい何をやらかしてくれたの!? 俺もやってしまったとはいえ、これはあまりに心証が悪すぎる。きっとあちらから見た俺は、かつて原住民が見た大航海時代の英雄たちと変わらないのだろう。
けど俺はそんな奴らとは違う。
「絶対に俺は侵略者なんかじゃない! 信じてくれ!」
「信じられるか! そうやって言って何人の人間が騙され、殺されたと思ってる!」
「それは……言い訳できないな。許されることではないけど、同じ異世界から来た人間として謝らせてください。この通りだ!」
俺は、そう言って深々と頭を下げる。
謝意の気持ちはあるけど打算ありきだ。きっとこんな安い頭を下げたところで、この世界で暮らす人々の怒りが収まるとは思わない。それでも続けていけば、話くらいは聞いてくれると信じてる。
「だったらいったいお前はなんなんだ!?」
頭を下げているから前は見えない。けど男たちが一瞬たじろぐのは足音でわかった。
しかしなんて答えたものか……。
異世から来た人間というのはもう周知の事実。だからといって「高校生」と名乗って伝わるかどうかはわからない。
そう言えば昔――。
『私じゃなかったら強制わいせつ罪だからね、この変態さん』
って、コケたはずみで幼馴染のベニヤ板のような胸元に倒れ込んじゃったときに言われた覚えがあるな~。
それで、今回も故意ではないとはいえ胸をもんでしまった。
「もしかして、俺って無自覚な変態……?」
「うぐっ……」
胸を一突きされて、肺から空気が抜ける。
そしてそのまま顎を突き上げられると、最後に首を薙ぎ払われて、気がつくと体を男に馬乗りにされて道に顔を押しつけられていた。
真顔で「変態」と自己紹介なんてしたら、こうされて当然だ。
「お、重いんですけど」
「口を開くな。黙っていろ」
なけなしの勇気で抗議するも、馬乗りになっている男はピシャリと切り捨てると顔を押しつける力を強くする。
俺を中心にして、円になった灰黄色の男たちは依然と棍棒を構えて立っている。
その隙間から蔑むような視線を向ける人々の姿が見える。そして見られていることに気づいた親の一人が目を隠すようにしながらどこかへ子どもを連れて行った。
赤いユニフォーム着た群衆の中、一人青いユニフォームを着るような圧倒的なアウェー感。どこを見渡してもジャージ姿の味方はどこにもいない。
それに体を動かそうとしてもまったく動かないし、目で見る限り逃げ道は完全に遮断されている。
「すみません。最後に言い訳していいですか?」
「言ってみろ」
「俺は変態でも、変態紳士という奇特な人種で……」
「何を言いたいのかよくわからないが。どちらにしろ我が国において異世界人は投獄するが決まりなんだ」
泣きっ面に蜂というか、ただ生き恥をさらしただけ。変態紳士と変に取り繕うとして失敗した自分自身がとっても恥ずかしい。
何より、これまでの足掻きがすべて徒労だと思うと少しずつ気が滅入ってくる。
だからせめてもの慰めとして、これだけは聞いておこう。
「……ここの国名ってなんなんですか?」
「エクリア――。神々に代わり、人が初めて統治を始めた国だ」