最終話
神、それはどんなものかと子供の頃想像したものだ。
悪魔、それはどんなものかと子供の頃想像したものだ。
とにかく、そんなものがこの世にいるかもしれない、と思ったものだ。
僕は、とにかくワクワクしていた。頂上には想像を絶する世界が待ち受けていて、未知の生物なり世界なりがこの世の物とは思えぬ物を見せつけてくると確信していたのだ。
もっとも有力な学説では、この塔の頂上には神が待ち受けている、と、言われていた。最初にこの頂上に辿りついた者は神から予言を授けられ、預言者としてその後の生をまっとうするのだそうだ。僕は、その学説にとてもドキドキしていた。預言者となったあとはどう生きようと、日々考えていた。
巷にある噂では、最初にこの頂上に辿りついた者は悪魔と取引ができる、と言われていた。その悪魔に願えば何でも願いを叶えてくれるらしい。僕は既に願い事を決めていた。僕は不老不死になりたかった。
とにかく、僕はそんなことを想定していた。神や悪魔といった神話に出てくる生物たちが僕を出迎えて、どこでもない場所にいざなってくれる気がしていたのだ。
そう、たしかにそんな気がしていたのだ。
だからこそ、僕は茫然とした。
そこには何もなかった。ただ円形の平らな地面があるだけだった。
僕は呆気にとられ円の中心に向かって歩いた。すると、何やら穴があった。それは、下に向かって垂直に伸びた円形の穴だった。直径がおそらく20mほどであった。僕は気になり、うつ伏せになり、体を固定したうえで、底をのぞいた。はっきりと底が見えた。底には特に何もなかった。恐らく深さは40mくらいだろう。
僕は首を引っ込め、また辺りを見回した。
ほんとうにただそれだけであった。神も悪魔もいなかった。当然、楽園などもなく、ただ奇妙な穴があるだけだった。
すると、どこかから突風が僕に向かって吹きつけた。
神がお怒りになっているのか? などと思いながらも僕はハッキリと聞いた。
ゴォオオオオオオという音がすぐそばから聞えてきたのだ。
あ、あの音だ、と僕は思った。
そして、僕はその原理を完全に理解した。風だ。僕達が聞いていた音は風の音だったのだ。この穴に上手い具合に風が吹きつけ、きっと音が鳴っているのだ。円形の穴の半分を囲むように、数mの大きさの塀みたいなものがあった。よく分からないが、きっとこれも音に関係しているのだろう。
体中から力が抜けていく感じがした。
よく分からない結末に対して、頭が疼いた。視界がにわかに歪み、こめかみのあたりが極端に痛くなった。
風だけが吹き付ける真っ平らな足下を見ながら、これで終わりか、と僕は思った。たったこれだけだったのか、と。こんな物に王家は巨万の富と時間を費やしたのか、と。
急に何もかもに実感を持ち始めた。夢が醒め、何もかもが重苦しく感じた。ここまで登る為にどれだけの人々を殺してきたのだろう、と思った。息が荒くなり、僕はその場にうずくまった。すると、塔の下に広がる声がどんどん僕の耳に響いてきた。
さっきまであんなにおぼろげであった声が今はハッキリと聞えるのだ。
それは、誰かが苦しむ声であり、怒っている声でもあり、そして助けを求めている声でもあった。
僕の顔からは既に血の気が引いていた。文字通り血液が通ってないように白くなり、そのせいかもしれないが、妙に足下がおぼつかなかった。だから、ゆっくりと塔の端に近づき、恐る恐る下を眺めた。
驚いた。
塔の周りは王家の軍隊で固めた筈だった。だが、もう王家の軍隊など何処にもなかった。彼等はその更に周りを取り囲む民衆たちの餌食になっていた。民衆たちは残虐にも兵士達を殺し、その死体をもてあそんでいた。
兵士や学者や大臣達のコマ切れになった死体が、僕の目にはよく見えた。
僕の許嫁や母上や弟もバラバラになり、赤い絵具をあたりにまき散らしていた。
次は僕の番だ、と思った。
すると、体の奥底から頭の先や指先に向かって、一気に悪寒が走り抜けた。
心臓がキューっと苦しくなり、膝から下が嘘のように震えた。
頭が真っ白になり、手が震え、涙が止まらず、呼吸が出来なくなり、僕は苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて、叫んだ。
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
その時、突風が僕の体に突き刺さった。
手足を大きく揺らした僕は、バランス感覚を失い、そして、思わず足をすべらせた。
体が宙に浮き、時間が遅くなる。
世界が回り始める。
空の青と黄色の地面が交互に映り、僕は塔から真っ逆さまに落ちてゆく。
くるくるくるくると、僕の体は重力に引かれてゆく。
落ちてゆく数秒の間に僕は思った。
僕は何をどう間違えたのか、と。
塔をのぼるために死体を利用したからだろうか。
それとも、塔にのぼるために人を殺し過ぎたからだろうか。
それとも、他の全てを雑事といって関心を持たなかったからだろうか。
それとも、そもそも、塔に登ろうとしたからだろうか。
それとも、僕が生まれる前から全てが間違っていたからだろうか。
それとも、塔なんてものがこの世にあったからだろうか。
それとも――――――――。