澄剣
剣が頸に食い込んでいく。
刃が皮と肉を裂いていく。一体となった鉄が続き、重さで楔を後押ししながら、肉を押しのけて広げていく。まるで鑿と金槌のよう。
楔は骨をも砕いて進み、やがては肉を突き抜ける。解放された頸は血と肉の摩擦を未練たらしく鉄に引き、頭をずれこませながら傾いていく。
剣が頸を斬り抜ける。
断ち切られた頭は剣の勢いを移されて重心を崩し、ぐるぐると回りながら吹き飛んでいく。
砕かれた骨が血肉に交じってばらまかれ、断裂した神経や筋肉繊維がびろびろと揺れる。
鉄は濡れる血を慣性で引き剥がし、剣の身に離れなかった血と脂が浮く。
剣だ。これが。
私は刃を返し、一足で次の人間に迫る。肋骨をへし折りながら逆袈裟に心臓を斬り上げる。
遠心力。重力。慣性。重心。
差し渡す足に生まれた力を、ばねのように柔らかく膝から腿、腰から胸、肩から肘へと伝わせて、手首と指で柄に送る。剣は大きく円弧を描き、人間を一刀に叩き割る。
残心。されど体は剣戟へ。
天地人、あまねく全てが力だった。剣に力を注ぐための媒介物に過ぎなかった。
吼えよ。震えよ。命を掲げよ。
冴え渡る剣に呑まれていく。
剣とは人殺しの道具である。
-§-
「カタナ」
剣に溜まった血と脂をぬぐっていると、馬車から声をかけられた。顔をあげれば、商人自慢の娘がいる。
「私に名前はない」
「だから、つけてあげたんじゃない。ジパングのサムライが魂とする剣の名前から取って、カタナ。あなたは『ブシドーもサムライも知ったことではない』なんて言ったけど、剣技を求道するなんて吟遊詩人に聞いたサムライそのままよ」
酒場で聞く人伝の話ほど、信用できないものはない。
「私は傭兵。人を殺して命の糧を得る商売だ。求道者などではない」
「それなら、銃に乗り換えればいいじゃない」
「使った。四人ほど殺したところで弾切れになって死にかけた。主を欺く道具など、武器ではない」
「それはあなたが慣れてなかっただけでしょ」
苦笑する暢気な娘の無神経さに腹が立つ。
「同じことだ。それで死んだならば」
娘は口をつぐんだ。幌の中に引っ込んでいく。
息を吐いた。
「そう冷たくしないでくれ。年頃なんだ。色んな見聞を広めさせてやりたいんだよ」
依頼人の男が、御者台から間延びした胴間声で話しかけてくる。
「請けたのは護衛だ。話し相手ではない」
「じゃあ改めて金を積まにゃあならんのか?」
「無用だ。断る」
馬車の横を歩いたままきっぱりと応える私に、主人も苦笑して口を引っ込めた。
それでいい。剣と戦い以外に興味はない。
つと、森に気が引き寄せられる。木々の向こうは高台になっているが、見通しが悪い。
「主人」
「またか? 俺は護衛どころか、疫病神を雇っちまったのかね!」
依頼人は毒を吐いて馬に鞭を入れる。確かに多い。これで三度目の襲撃だ。
馬車の縁に飛び乗った。
「ひゃっ、なに?」
「失敬する」
積み荷の木箱から蓋を取って、縁に立ったまま森を振り返る。馬車が激しく揺れ、転んだ娘が悲鳴を上げた。
鯉口を切り、逆手に抜く。
斬った鏃が幌で弾み、吹き飛んでいく。続けざまの矢衾を、剣と蓋で打ち払う。馬に当たりそうな矢は、その辺の鏃を剣で打って撃ち落とした。矢五本の重みを蓋でまとめて払いのける。散っていく矢を見てつぶやいた。
「やはり剣だな。矢は温い」
「それはあなたが凄いだけ!」
娘に反論されたが、私が正しいだろう。
実際、不確実な矢には頼れぬと見た山賊が、馬を駆って飛び出してきた。
「返す」
「痛ァッ!?」
蓋を投げて返却し、悪路を駆ける馬車の揺れにあわせて跳ぶ。勢いに乗って山賊の馬まで足が届いた。
「なっ?」
そんな末期の言葉を残し、首が振り落とされて地面に弾む。うっかり踏み潰した後続の馬がよろめいて、騎手が勝手に落馬した。
剣を順手に持ち替えて、鞍を蹴る。次の馬で剣を抜いていた山賊の手を斬り、心臓を刺す。また次の馬へ。
「化け物め!」
「莫迦め。私は人間だ」
掲げられた剣に刃を絡め、逸らしながら山賊の首を刺し貫く。頸椎を切断した。
馬の背に立ったまま辺りを見回す。山賊は無事に片付いた。
死体を蹴り落とし、馬にまたがって馬車に寄せる。
「済んだぞ」
商人の男は、馬を落ち着かせながら私を見る。
「あんた、本当に人間離れしてるな……」
「そうだろうか」
自覚はない。剣に導かれるまま動いているだけだ。
「それにしても、こんなに襲撃されるのは妙だ。なにか不穏な積み荷でも運んでいるのか」
「運んでねーよ。あんたを恨んだ連中に追われてるんじゃないのか」
「それはない」
断言する。
「そうだとしたら、相手は屍だ」
「……そりゃあ、納得だ」
やけに深く納得された。
「荷車を借りたい。そろそろ剣を研ぐ。人を斬りすぎた」
「構わんが、大丈夫かね? 揺れるぞ。それに、その間に襲われて戦えないなんてことにならんか?」
「心配は無用だ」
私は太鼓判を押した。
「次は大所帯で来るだろう。すぐには動けん」
「……その予言は外してくれ」
商人はげんなりと肩を落とした。
幌の張られた荷車に入ると、積み荷の木箱が積み重ねられて並んでいる。悪路で倒れなかったばかりか、娘を守る塀として機能していた。巧みな技だ。蓋を借りた箱は開けっ放しになっていて、扱いだ麦で包まれた銀細工が覗いている。
娘は額に手を当てて私を見上げていた。
「剣を研ぐ。離れていろ、危ないぞ」
「その前に! 謝ることあるでしょ!」
「ないな」
答えてから考える。特に思い当たる節はない。
「うん、ない」
「考える前に応えるな、考えてからの答えが違う、考えてからものを言えぇっ!」
うんざりと娘を見やる。
「なにを騒いでいる」
娘は躍起になって自分の額を突き出してきた。
「ここっ! ここに、あなたの投げた蓋が! 当たったの! たんこぶできたの!」
「鈍臭い、避ければよかろうに」
「あんたを基準に考えるなぁあああっ!!」
騒がしい。娘を無視して道具を広げ、剣を研ぐ。といっても簡易なもので、濡らした砥石で磨くだけだ。吸った脂を削ぎ落す。
娘はぎゃいぎゃいと喚いていたが、やがて不貞腐れて丸まって眠った。まるで猫だ。
揺れる馬車でも、剣を擦る音は涼やかに響く。
その音に惹かれて、私の中から雑音が消えていく。やがて私と剣だけになる。
昔から、私は剣とともに生きてきた。
傭兵稼業を始める前は、従軍していた。軍に捕まる前は、野盗だった。その前はスラムの子どもだった。
母と暮らした廃屋にあったのは、ボロ布と欠けた鍋、由来も知れぬ剣だけ。やがて母は死んで、剣だけが残った。
剣しかなかったから剣を執った。
そして剣だけが私を捨てなかった。
私が剣を振るう理由など、その程度のものでしかない。
決して、私は求道者などではないのだ。
-§-
仕上げの磨き布で剣を拭いていると、馬車が止まった。御者台から商人が顔を覗かせる。
「どうした? 主人」
「どうやらあんたを護衛に雇うべきじゃなかったらしい」
殺しの気配はない。訝りながらも剣を携えて馬車を降りる。
馬車の行方を塞ぐように整然と隊列を組んで、兵隊が並んでいた。掲げる御旗は貴族のもの。つまり私兵だ。
「山賊を唆したはいいが、返り討ちにされるとはな。どうやら腕まで真っ赤な嘘というわけではないらしい」
全身鎧の偉そうな騎兵が、ふてぶてしく声を張った。多すぎる襲撃は彼の差し金か。
「目的はなんだ」
「無論、不埒者を誅するためだ。そこの戦争商人も一緒にな」
引き返そうと馬車を引いていた商人がビックリと肩を震わせる。
呆れた。
「やはり胡乱な商売をしていたのではないか」
「商機に乗っただけだって。それに、王国より良いものを敵に売っちゃいない。最後に勝ったのは王国だ。なにも悪いことはないじゃないか」
言い訳がましい言質に、「ほう」と声が漏れた。
「戦争は終わっていたのか」
「知らなかったのか? 元兵士なんだろ?」
「従軍していたが、戦っているうちに軍隊が私を置いて撤退していた。それからは傭兵だ」
「うわ、ありそー」
娘が馬車から顔を出して勝手なことを言う。
貴族の男が大声を張り上げた。
「それだけではない。天下一の剣客を名乗る不遜者を糺すためである。身の程知らずにもこの武家一門たる当家を差し置いて、頂点を名乗るなどおこがましい!」
私は振り返った。
「なんだ小娘、お前そんなもん名乗ってたのか」
「いや私じゃないって。どう考えてもあなたでしょ」
「私は剣客を名乗った覚えはない。今でも、剣以上に使える武器があればそれを使うつもりだ」
「あれぇ?」
首を傾げる貴族に、側近がそろそろと馬を寄せた。なにか耳打ちする。
貴族は苦い顔をして気まずそうに声を張った。
「どうやらこちらの誤解で、他称だったらしい。だが! 武家たる我らを差し置いて天下人を冠していることに違いはない! ここで雌雄を決させてもらおう」
「分かった」
私は剣を地面に投げた。
「降伏する」
金にならない仕事などしない。
「あれぇ?」
控えの者から武器を受け取ろうと手を伸ばしていた貴族が固まった。この男、仮にも戦をしようと叫んでいる割には戦士の貫禄がない。
「降伏されても困る。武の腕を競わなければ意味がない」
「私の剣は殺しの剣だ。山賊でもない相手を、ましてや貴族を弑しては角が立つ。勝っても負けても損をする勝負など受けてたまるか」
「本当だ、それもそうか」
納得してくれた。
やれやれと思った矢先、貴族がとんでもないことを言い出した。
「已むを得ん。旗を降ろせ! 今よりしばし、我らは山賊となる。貴様、私と戦わねば商人を接収するぞ!」
アホじゃなかろうか。
娘が声を潜めて聞いてきた。
「あれ本気かな?」
「さてな。真意がどうあれ、依頼人の脛に傷があるのだ。嘘から出た実になりかねん」
「お父さーん?」
「いや……はっはっは。おい護衛。これも仕事の一つだろ」
そう言われては仕方がない。降伏しようが皆殺しにしようが、要は依頼人が無事に通れればいいのだ。
仕込んだ糸を引いて剣を弾ませ、手に握る。
「むうう。卑怯な! 剣は捨てたフリか!」
「私の敵は盗賊だ。外道相手に正道で臨む道理もない」
「ふむ。まあ、よい。では尋常……ならぬ勝負になるが、いざ!」
下馬した貴族が槍を受け取り、構えを取って突っ込んでくる。
応じてこちらも間合いを詰める。槍が相手なら逃げ回るのも手ではあるが、あいにくと得意な立ち合い方ではない。
「せェい!」
裂帛の声とともに、穂先が螺旋を描いて突き込まれる。避け難く、いなし難い。こちらの応撃に先んじた突きだ。
これでは受けられない。
駆け込む動きを無理矢理に止める。躓いたように体が転がり、打ち下ろされた槍をさらに転がって避ける。横合いの薙ぎを鞘で受けると、弾むように軽やかに穂先が巡り、袈裟懸けの斬りが来た。剣を弾き上げ、相手の勢いを用いて跳び退る。
「はッはァ! 確かに剣客と謳われるだけはある! 我が槍術で一蹴されぬとは!」
貴族が叫ぶ。ずいぶんな大言だが、誇張ではなかった。
交わして分かる。この貴族は手練れだ。
あの槍は通例の物より大きく重いうえに、鋼鉄だ。かような豪槍を、木製の槍も同然に扱う。それも柔軟かつ堅実に。
武家を名乗るだけあって伊達ではない。
「槍は剣ではやりにくいか? 剣客ならば応じてみせい!」
「私は剣客ではない。ただ、槍は肌に合わなかっただけだ」
豪槍が驟雨と戟を飛ばす。受け、躱し、弾きながら後退する。相手の武器は重いのに攻めが苛烈で、なかなか転じられない。防戦を強いられる。
槍は間合いに秀で、繊細な小技と大振りの一撃を絡め合わせれば有利を得やすい武器だ。習熟していなくとも、槍の距離で刃を突きつけるだけで優位に立てる。徴兵された民兵に槍を持たせるのは道理の通り。
そもそも、剣はもはや優れた武器ではない。
技術が未発達で、槍の柄に脆い木しか使えなかった時代ならば良かった。鉄製の剣は頑健で、そこそこの長さを持つ点で優れていた。
だが今は違う。
突進する敵に向けるだけでよい鉄槍。槍よりも遠くから射貫ける弓矢。あるいは、引き金を引くだけで高速の鏃が飛ぶ鉄砲。どうしても取り回しが欲しければ短刀でいい。中途半端に大きい剣など無用の長物。立ち入る隙などない。
剣は人殺しの道具ではあるが、殺しに適した武器ではない。
ならば、なぜ剣なのか。
なんでもよかったのだ。私にとっては。
人殺しがしたいわけではない。剣が使いたいわけではない。
戦いしか金を得る手段がなかった。
そして、私には剣しかなかった。
だから、剣を振るっている。
私が剣を執る理由など、それ以外のものはない。
「カタナ!」
娘の声がする。
いつの間にか、馬車の近くまで押し込まれていた。
「逃げるなよ、商人! 貴様らが余計な動きをしたら、部下が一斉に矢を射かけるぞ!」
「くっ」
商人が手綱を下ろした。逃げるつもりだったようだ。さすが戦争商人。人を見捨てることに躊躇がない。
不思議と、私にはそれが不快ではない。
本質的なところで、私も同じ種類の人間だからだ。
「貴族よ」
「なんだ、剣客」
私は頭を振る。
「私は断じて、剣客などではない」
豪槍を、鞘で受ける。剣で挟む。
「むぅッ?」
体をひねって跳び、圧し掛かるように、地面に穂先を叩きつけた。
「その程度ォ!」
豪槍を持ち上げられ、振り落とされる。体勢が崩れ、空中にあるまま、私は剣を伸ばした。
石に当たって欠けた穂先を、剣ですくう。
空を撫でるように、弾き飛ばす。
貴族の目へ。
「ぐ、ぎゃあああ!」
顔を背けた一瞬。
地を蹴る。体を躍らせる。槍の間合いから剣の間合いへ。
踏み込みの速度を、足から腰へ。腰から胸へ。肩から腕から指から剣へ。
首を刎ねる。
すぽーんと頭が吹っ飛んで、体がびっくりしたように尻もちをついてひっくり返った。
そのようにして貴族は死んだ。
血振りをして、剣を向ける。
「皆殺しにされるまで戦うか、私の命が尽きるまで戦うか」
うろたえる私兵たちに。貴族へ槍を渡した側近に。
「自分で選べ。決めてくれる頭目はもう死んだ」
私兵は、総崩れに撤退していった。それでも統率が失われなかったところを見るに、この貴族は当主ではなかったのかもしれない。
剣を鞘に収めながら、ため息を吐く。
「終わったぞ」
「お前さんは、ここで死んでくれたよかったほうがよかったかもしれないな」
どこまでも自分本位な商人は馬鹿正直に放言した。
「契約は果たす。ここを抜ければ隣町まですぐだ。もう邪魔も入らないだろう」
「だといいがね」
私が荷馬車に乗ってもなにも言わず、商人は馬車を進ませる。ほとぼりが冷めるまでは清い商いをするのだろう。
貨物に背を預けると、布が差し出された。
「お疲れ、カタナ。ありがとう」
「仕事をしただけだ」
「それでも。守ってくれてありがとう」
娘に押し切られ、布を受け取ってしまった。受け取ったものは仕方がないので、汗や返り血を拭う。あっという間にドロドロになって、自分がいかに殺してきたのかを実感した。
これが稼業だ。否やはない。
そう思って気がつく。もう戦争は終わったらしい。ならば、護衛の傭兵が必要とされなくなる日も近いかもしれない。
「そろそろ、私も足を洗うべきかな」
「剣をやめるの?」
「剣でできる、何かを探す。暗殺でも剣闘士でも、それこそ大道芸人でもいい」
娘は笑った。
「いいかも。矢を打ち返す芸とか、絶対に人気出るよ」
暢気なものだ。殺しの技を見世物にするとは、なかなかに常軌を逸している。
まあ、なんでもいい。私は道を求めていない。
時代遅れの世界で、できることを何とかやっていく。
きっとそれが、今の剣だ。