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月下にて~under the moonlight~  作者: レオン
6/11

12月1日 ①

 あの夜から大体一月くらいが過ぎ、一年の最後の月が始まったある日。その日最後の授業は、英語だった。……とは言え授業も終わりで冬休みも目前となれば、大半の生徒は身が入っていない。アタシも例に漏れず、眠気を堪えながら、窓際から雪が舞い散る校庭を眺めていた。


 外は一面の銀世界、というにはまだまだ早く、地面を薄く化粧してるくらい。だけど神代原は冬になるとよく冷えるらしく、積もるかもしれないとクラスメイト達が話していた。


 寒いのは苦手だ。かと言って、暑いのも好きじゃないけど。窓から寒気が押し寄せてくる気がして、それ

から逃げるように、ちらりとクラスメイトの方へ目線を向けた。


 教室の中は、黒と藍色で満たされている。この学校は出来たての私学の癖に、制服だけはまるで大昔の青春ドラマに出てくるような、古臭いかっちりとした制服だ。創立者の神内原校長の趣味らしいけど、批判とかでなかったんだろうか?


 そう思いながら、その校長の孫である司へ目を向ける。彼は今、アタシと同じように冬空をぼんやりと見つめていた。どうやら彼も授業に飽きが来ているみたいだ。もっとも、彼の場合はこの日の最後の授業だからと言う訳ではなく、単純にこの英語の授業がつまらないからだろう。

 

 そういう所は昔から変わらない。少しだけ懐かしい気分に浸っていると、先生も窓の方を見て溜め息を付いた。どうやら、自分自身も含めて色々と諦めたようだ。


 「はぁ……。まあ、もうすぐ冬休みになるから仕方ないけどぉ。期末テストもあるんだしぃ、キミ達も頑張りなさいよ?」


 女教師はそう言うと、もう一度深く溜め息をする。そもそも、この授業は先生からして上の空だった。物憂げな表情を浮かべた彼女は、黒板に宿題を提示すると、投げ遣りに線を引いた。


 「はい、それじゃ皆忘れないようにね~。……はぁ。全く、クリスマスか元旦かどっちか無くなっちゃえばいいのに。両方ともあるなんて、理不尽よねぇ」


 そうぼやきながらも教材をサクサク片付け、鐘がなると同時に先生はさっさと教室から出てゆく。ノリノリな時は勢いのある授業をしてくれるんだけど、ダメな時はダイナミックでトラジックな和訳と登場人物の心情の一人芝居をするから、タチが悪い。


 そのまま流れるようにホームルームが終わると、教室の中は生徒達の囀りで満たされた。話題は勿論、12月のイベントと冬休みに関係する話ばかり。アタシもその会話の一つに参加する事にすると、彼らの方へと近づいていった。


 「アンタ達、まだ帰らないの? さっさとしないと、雪が酷くなるかもしれないわよ」


 「あぁ、恋か。帰る前に、商店街にちょっと寄らないかって相談してたんだ」


 司の座席の傍にある窓に寄りかかりながら、話していた夏樹がそう口を開く。細身で長身の司と違って背丈はそう高くないが筋肉質で、茶褐色に焼けた顔は寒さをものともせず、元気に笑っている。馬鹿正直で素直、そして真っ直ぐな所が、この長くも無い付き合いであたしが知った彼の性格だ。――そして何より、懐が広い。


 「商店街ねぇ。食べ物か日用品でも買うの?」


 「なんでその二択なんだよ」


 「それ以外で、あの商店街に行く用事なくない? ロクな物ないでしょ」


 三つ編みにした髪をくるくると弄びながらアタシがそう言うと、二人は顔を見合わせる。この古臭い制服に合わせてしてる髪形だけど、野暮ったい眼鏡と合わせて、まるでドラマの冴えない女の子役になった気分。まあ、その分周囲から真面目に見られてるから都合がいいんだけど。


 「ガキの頃からここに住んでるけど、別にそこまで困るほどじゃないんだけどな。ま、今度 御日戸ミカトまで出るんだったら、沙紀も連れて行ってやってくれよ」


 御日戸というのは、神内原から電車で一時間くらいの場所にある、地方都市の名前だ。首都圏や大都市には比べるまでもないけど、少なくともここよりはずっとお店の品揃えがいい。通学してる生徒の中にはそこから通っている子もいるけど、アタシ達にとっては、普段は週末以外縁のない場所。


 「アンタが連れて行ってあげなさいよ。……まあでも、確かに夏樹じゃわからない事もあるか。そうね、また今度考えてみるわ」


 「沙紀ちゃんか。あれからほとんど会ってないけど、元気にしてる?」


 「おう。最近は特に元気になってきて、一安心だよ。……あの時の事は、本当に感謝してる。ありがとうな、司」


 沙紀ちゃんの話から突然違う方向に話が流れ、アタシは首を捻る。一体、この二人の間に何があったのだろう。


 「あの時?」


 「ん、ちょっと前に色々あってな。その時に司が俺達を助けてくれたんだよ」


 「別に助けるってほどの事をした訳でもないのに、夏樹が大げさに感謝するんだよ。僕は別に何もやってないんだよ?」


 「あの時言ったろ。司がどう思おうと、俺には大事な事だったってな。だから感謝してるのさ」


 「……それで、結局何があったのよ」

 

 なにやら男同士の友情を深める彼らに、もう一度質問してみる。しかし彼らは言葉を濁したまま、話を変えた。半眼になってもう一度問いただしても反応がないので、新しい話に乗っかる事にする。……どうやら、元旦の話らしい。何でも、例の神社の手伝いを二人共頼まれているそうだ。


 「それにしても、あの神社ってあんなに大きいのに、人手が足りないなんておかしな話よね」


 「ああ、俺達が手伝うのは、古い方の神谷稲荷さ。新しい方は外から大勢お参りに来るから、地元の人間は初詣には昔ながらの方に行くってワケだな」


 ふぅん、あの神社は二つあったのか。あたしは夏樹の言う"新しいほう"に一度近くまで行った事があるくらいだから、知らなかった。それを二人に伝えると、彼らはさもありなんと言う顔で頷く。


 「旧神谷稲荷は結構山奥にあるから。恋みたいに都会から来た人は知らなくても仕方が無いかもしれないね」


 「……アンタも、アタシと同じ都会組でしょうが」


 「ま、司は子供の頃こっちに来てたしな。家も神社の近くだし、知ってても不思議は無いだろ」


 「そういえば、司は昔から長い休暇は家に居なかったわよね~。いっつも何処かに行ってたし」


 だから、アタシは夏休みとか冬休みは嫌いだったのだけれど。それにしても、司の家の近くに神社があるというのなら、夏樹の家も近いのではないだろうか? 随分離れているとは言え、一応お隣さんだし。そう思って夏樹に聞いてみると、彼は頷いた。


 「そうだよ。除夜の鐘が聞こえる位には近いかな。……もっとも、ウチの辺りは夜はすごい静かだから、かなり遠くまで響くんだけど」


 「あの大きな鐘で突いたなら、大きな音が響きそうだよね。楽しみだなぁ」


 「司は、子供の頃何度も聞いたことがあるだろ。恋ならわかるけどさ、今更楽しいか?」


 「年が明ける時の鐘は、何度聞いても良いものだと思うよ。それに、最近は海外で年明けを祝ってたから、日本のは結構懐かしいんだ。……それに、昔の事はあんまり覚えてないから」


 「ま、あんたは過去にこだわらないタイプだしね。新しい事をどんどん詰め込んでいくから、古いのが抜けてるんじゃないの?」


 冗談交じりにそう言ってみるけど、司は難しそうな顔で考え込んでしまう。こういう所で言葉を額面通りに受け止めすぎてしまう事が、彼の数少ない欠点の一つだ。夏樹の方を見てみると、彼は少し残念そうな顔をしていた。


 「……それはそうと、アンタ達商店街に行くんじゃなかったの? まあ、この時間帯からなら閉まるって事は無いと思うけどさ。沙紀ちゃんをあんまり一人にするのもマズくない?」


 「んー。それはそうなんだが、今は人待ちをしてる所だからな。さっきの手伝いについて、じいちゃんの所へ聞きに行って貰ってる所なんだ」


 じいちゃんと言うのは、この学校の校長である司の祖父の事だろう。夏樹も昔から色々と世話になっているらしく、校長の業務の傍ら地元のアレコレも取り仕切っているとか。――そんな人に話を聞きに行った人間、となると大体想像がつく。


 「お待たせっ! いやー、ちょっと話が長引いてしもたわ。プリント持ってきたから、皆受け取りにきてや~」


 アタシが思考を膨らませていると、扉が勢いよく開いて、体と声が一緒に教室に入ってくる。バーン! という効果音が似合いそうな感じで登場した彼女の名前は西条サイジョウ アオイ。ショートカットとカチューシャとおでこが特徴の、元気なクラス委員長だ。夏樹と同じく地元組で、彼とは子供の頃からの幼馴染らしい。


 ……だけどまあ、彼女の事は今はどうでもいい。真打は、西条さんの後に続いてひっそりと入ってきた人間だ。彼女は持ってきたプリントから数枚を抜き取ると、アタシ達の方へとしずしずと歩いてくる。


 ――神谷カミヤ 稲穂イナホ。先ほど話題に出ていた神谷稲荷の娘であり、いわゆる巫女さんでもあるらしい。彼女は校則をぶっちぎった腰までの長い黒髪と対照的に抜けるほど白い肌を持つ、日本人形のような少女だ。……日本人形にしては、顔はほっそりとしているけれど。


 「……高村さん、お手伝いの方はいつもと同じようにしていただければ結構だそうです。司様の方は、家に帰った後で詳しく伝えると言っておられましたよ」


 「そっか。ありがとな、神谷」


 「いえ。こちらこそ、毎年のように手伝って頂いて、ありがとうございます」


 そう言って、彼女は深く一礼をする。それを見て夏樹は慌てて手を振ると、彼女の手からプリントを受け取った。そのまま彼女はアタシ達にもプリントを手渡すと、司の傍へ影のように控えた。


 ……彼女は、万事この調子なのである。控えめで物静かと言えば聞こえがいいけど、基本的には無口に類するタイプ。そのくせ、司には明らかに口数が多い。司も司で、それが当たり前のように接していたから、暫く前までは、これにいちいち嫉妬心を燃やしていた。だけど、今はそんな事は無い。自分でも驚くほどさっぱりと、アタシは司と接せるようになっていた。


 司へのアタシの気持ちはなんだったんだろう。結局、今までアタシは誰かを好きになった事なんてなかったのかもしれない。ふとそんな気持ちがして、視線を窓へと走らせる。外は未だに雪が降っていたけれど、舞い散る白は校庭に落ちては消えていた。


 雪は傍目には綺麗だけど、落ちれば水となって地面を汚す。そう考えた途端に胸がずきりと痛み、暫くアタシは無心に雪空を見つめていた。けれどその茫洋とした時間もすぐに終わり、誰かの驚きの声で現実に引き戻される。


 「……えぇぇ~。イナが来るんだったら、ウチもそっちに行きたかったなぁ。夏樹、何で誘ってくれへんかったん?」


 「んなこと言われてもな。ちょっと前に葵のほうがクリスマス会について言い出したんじゃないか。俺、アレで今回の件を思いついたんだぜ?」


 「そっか、そりゃしょうがないわ。さすがに、主催が抜けるのはありえへんしなぁ。……イナが、こっちの方に来るのはどうやろか」


 「ごめんなさい、葵。私、あまり人が多すぎるのは苦手で……」


 少し眉間を寄せて、困ったような顔でそう話す神谷さん。その後に、小声で何か言った気がしたのは、アタシの気のせいだったのだろうか。


 「そっかー。まあ、確かに呼んだ面子からすると、イナは楽しめそうにないか。にしても、何時もクリスマスなんて関係あらへんって感じやったのに、今年はどういう風の吹き回しなん?」


 「……今年は、姉さんも兄さんも居ませんから」


 「あぁ、麦姉ちゃん、今年は相手作れたんや。ええなぁ」


 どうやら、アタシがぼーっとしている間に話していたのは、今年のクリスマスの話らしい。そういえば、数日前に、夏樹がそんな話をしていたような気もする。朝が弱いから、あんまりちゃんと聞いてなかったけど。


 「羨ましがるなら、お前もさっさと相手作ればいいじゃんか」


 「ふん、大きなお世話や。……けど、今年は夏樹も家で祝えるんやね。よかったな」


 「ああ、全くだ。……おっと、雪が強くなってきたな。司、寒くなる前にさっさと買い物済ませようぜ」


 「そうだね。お祖母ちゃんに頼まれたものもあるし、急ごうか」


 そう言うと、二人は足早に挨拶をして、教室の外へと駆け出してしまう。それに釣られるように委員長《葵》も部屋の外へと駆け出し、取り残されたアタシはちょっと呆然としてしまう。


 そうこうしている内に、夏樹たち3人が出て行ったのを見計らうかのように、他のクラスメイトも足早に立ち去り、ものの数分で教室は空っぽになってしまう。既に薄暗くなってきた教室に残ったのは、二人だけ。


 「……取り残されて、しまいましたね」


 「……みたいね」


 それっきり、言葉が続かなくなって互いに無言で黙りこくってしまう。……取り残されたというのは本当だ。アタシだって、今すぐここを出て行きたい衝動に駆られているのだから。


 別に、表情や仕草が威圧的というわけじゃない。むしろ先ほど言ったように、万事に控えめなタイプだ。喋る言葉も控えめだけど、その割によく通る声が印象的。


 けれど、彼女と二人きりだと、ここに居てはいけない気分にさせられてしまう。怖いのではない。ただ、自分が酷く場違いな感じがしてしまうのだ。例えるなら、ふとした偶然で閉じられていた場所に入ってしまった人のような、そんな気分。


 「……ねえ、神谷さん。どうして、アタシ達と一緒に?」


 でも、アタシはあえて彼女に質問した。ここから去りたい気持ちは相変わらずだったけど、反対にそんな気持ちは気の迷いだと叫ぶ思いも、胸の中にあったから。いつも、アタシはそんな風に気持ちに天邪鬼になってしまう。


 「私と一緒では、お嫌でしたか?」


 「そんな事はないけど、不思議なのよ。だって、そうでしょ」


 さっきから言葉足らずのアタシの質問にも、彼女は問い返す事をしない。わかっているような、それでも返答はせずに困ったように微笑んでいるだけだ。


 「ま、夏樹たちがいいなら別にイイけどね。……やっぱり、司が居るからクリスマス会に行こうって思ったの?」


 「……あの方の事、好きだと言う訳ではないんです。けれど、はい。司様が居るから参加したというのは、そうですね」


 聞いていない事まで返答されて、アタシは少し困惑する。だけど、確かにその疑問があったのは確かだ。顔色に出たかなと思ったけど、気にせずに続けて彼女に質問してみる。何より、立ち止まって冷静になるとこの状況に耐えられなくなりそうだ。日が落ちかけた薄暗い教室の中、窓を背に佇む黒髪の美人は、雰囲気がありすぎてぶっちゃけコワイ。


 「好きじゃないけど、特別な訳よね。そうでなければ、司一人だけ名前で呼ぶわけなんてないもの」


 「そうですね。葵みたいに、すぐ名前で呼んだりはできませんから。……私は」


 「けど、司は貴方みたいなタイプが好みだと思うけどね。まあ、アイツは鈍いから、自分でそんな事わかってないだろうけど」


 あっさりとそう言い放ったつもりだったけど、少しだけ胸の奥が疼く。彼の鈍感さとアタシのひねくれのせいで、お互い離れて行ってしまった事を思い出すから。


 「……月森さんは司様の事、お詳しいんですね」


 「そりゃあね、幼馴染だった訳だし。でも、神谷さんだって司の事、よく知ってるんじゃないの?」


 知らない事の方が少なそうな、落ち着いた顔にそう尋ねる。しかし彼女は、少しだけ強く頭を振った。


 「あの方の事は、よくわからないのです。私にとっては、未だに驚かされる事の方が多くて」


 「そっか。確かに、自由なヤツだもんねー。浮世離れしてるって言うの? ……でも、それなら神谷さんも同じか」


 そんな失礼な言葉にも、彼女は相変わらず穏やかな顔で同意をする。……アタシは普段なら、ほとんど話をした事もない相手にここまで露骨な事を言ったりはしない。どうやら、この雰囲気に気圧されていたみたいだ。その事に気づき、こっちの方が困り顔になった。


 「ごめん、気を悪くするような事ばかり言っちゃって。そろそろ本題の方に入った方がいいかな?」


 用があるから、わざわざアタシと一緒に最後まで残っていたのだろう。しかし彼女は、その言葉に頷きながらも、何も喋らずにもじもじとし始める。顔をほんのり赤らめて、アタシが見た中では、一番感情らしきものを表に出しているように見えた。それでも、普通からすればかなり控えめだけど。


 その姿を、アタシは物珍しそうに見ていたと思う。それくらい普段の彼女は穏やかで、大人しかったのだ。少なくとも、こっちが見ている時には。


 「……あの。私と、友達になってくれませんか?」


 「……それはいいけど。でも、何で?」


 「それは、月森さんが神代原の外から来た人ですから」


 それなら、この高校に都会の方からわざわざ入学してきた変わり者達でも良くない? と言おうとした所で、自分も変わり者の一人である事に気づく。


 この私立高校は今年開校したばかりで、校長がその筋では有名な、若めの教育者を引っ張ってきてるという話を以前夏樹達から聞いた。それ故に生徒には有名どころに入り損ねた連中と、いい大学目指してギャンブルに出た連中、それと地元からの編入組という3種類の人が居るのだ。アタシと司は、その三種類に含まれていない人間だけれど。


 「月森さんでないとダメなんです。あの人達では、もう遅いから」


 何も言ってないのに、彼女はアタシの考えを呼んだかのように言葉を連ねてくる。もしかして、自分は凄く考えてる事がわかりやすい性質なんだろうか? アタシを取り巻く人たちが鈍かっただけで、それ以外の人達は、その思いが解っていたのだろうか。もしそうなら、酷く悲しい。その気持ちを振り払うように、とりあえず頷く事にした。


 「なんか良くわからないけど、アタシは構わないよ。けど、具体的にどうするの?」


 情けないけど、アタシは子供のころから友人と言うものが少ない。幼い頃から塾や習い事漬けだったのもあるし、半年ほど前の、あの乱れた生活の中で培った関係は、友人と呼ぶには爛れていたし。司も夏樹も、普通の友人と呼ぶにはちょっと違う。


 聞いたはいいものの、向こうの方も良くわかってない様子で、暫くの間あたし達は奇妙な沈黙の中に居た。それでも彼女は、何かを思い出すようにしながら、ゆっくりと口を開く。


 「……そうですね。とりあえず、お互い名前で呼び合ってみませんか? 昔、葵にそう言われたんですよ。私の事は、稲穂かイナって呼んで頂ければ」


 「ん、わかった。それじゃ、アタシの事は恋って呼んでくれればいいわ。何か気の利いた渾名でもあれば良かったけど、生憎そういう生活とは無縁だったのよね」


 「……私もそうですよ。これからよろしくお願いしますね、恋」


 「こっちこそ。あー、アタシはあんまり面白くないヤツかもしれないけど、ヨロシクね、稲穂」


 そう言うアタシの言葉に、神谷さん……稲穂は、困り顔で頷き返す。いつの間にか、最初に感じた感覚はもう随分と薄れていた。きっとそれは、目の前の少女の、ひそやかだけど嬉しそうな笑顔が見られたからだろう。



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