10月24日 ③
気がつくと、日が大分沈んでいた。川岸に等間隔で並ぶ明かりを見ながら、手すりを背にして空を見上げる。頭上には、気が早い一番星。背中に感じる金属の冷たさを感じながら、アタシはもう少し記憶を思い起こすことにした。
神代原の高校は、私立で出来たばかりの高校と言うこともあって、生徒数はそんなに多くなかった。ここ周辺に住んでいる田舎組と、大方が先生だか方針だかに釣られてやってきたらしい都会組。合計で200人に満たない生徒は、全員が一年生だ。
そんな環境だったけど、アタシにとっては司と同じクラスに入れたという事が重要だった。彼と、その周囲の何人かの人と付き合いながら、今日までの日々を過ごした。まるで、昔の日々が戻ってきたみたいだって思っていた。
だけど、時間は進んでゆく。司はクラスメイトや沢山の大人たちと触れ合い、前に進んでゆく。また、アタシから離れてゆく。
それを実感するたび、アタシの心は曇ってゆくばかりだった。そして再会の時に言えなかった謝罪の言葉が、胸を苦しくさせる。だから、司に町の案内を頼んだんだ。今度こそ、彼に謝る為に。
だから案内は本題ではなかったけど、二人で町を歩いていると、田舎だとばかり思っていたこの町にもいくつも見る所があるのに気がついた。親友に教えても貰ったと微笑む彼に、アタシも頷いた。
そして最後に司が一番好きだと言う高台で、景色を二人で眺めた。大切な人とここで会ったのだと話す司に、胸の疼きを感じた。その想いに押されるように、アタシは口を開いた。司の横顔を見つめながら、あの時自分が言った台詞を、言えなかった言葉を胸の中で思い起こしながら。
『ねぇ、司。・・・・・・ごめん、ね。前に会った時、あんなにヒドい事を言っちゃって。アタシ、あの時はホントに気分が落ちててさ。司は全然悪くないのに、当たり散らしちゃった。・・・・・・ホントに、ホントにごめんなさい』
『・・・・・・いいよ、恋。僕の方こそ、君の事をなんにも知らなかった事を謝りたいんだ。ごめん。僕はもう
気にしてないから、君もそんなに気にしないで、ね?』
夕日で茜色に染まった笑顔でそう返された時、アタシの胸がもう一度大きく疼いた。司は、本当に気にしていない。ずっと気にし続けていたアタシと違って、もうアレは過去の事になって、先に進んでしまっている。
あの時のように、今度は司がなじり返してくれた方が良かった。でも、そんな事を考えるヒトではないのをよく知っていた。それでも、傷になって心のどこかに残っていて欲しかったと思ってしまったのだ。
それからは無言で景色を眺め続けた。暫くして、アタシはそこに居られなくなって、逃げるように高台から下りる階段を駆け降りた。
階段の一番下に立つ。目の前の上と下へ続く坂道を前に、立ち竦む。アタシは、何もしていない。離れて欲しくないのに、それを言うことも、傍に居ることも出来ない。そして、離れる事も出来ないから、どこにも行けない。
『なあ。本当にそれでいいのか?』
そんなアタシに声をかけたのは、階段わきの木に背を預ける一人の少年だった。
高村 夏樹。それが、彼の名前。褐色に焼けた肌とクラスの中でも一際筋肉質な体で、左頬に浅く残った一直線の傷跡が、いかにもやんちゃな運動系の印象をアタシに与えていた。そのくせ、その目は深く静かで強い意志を感じさせる、司とは色々対照的な存在だ。アタシの中では"司の親友"と言うだけの存在でしかなかった彼が、何故急にそんな言葉をかけてくるのか。
『このままじゃあ、司は君の元から離れていくぜ。それがイヤだから、ここまで来たんだろう?』
『アンタには、関係ないでしょ!』
続けてかけられた言葉に、つい感情的に反応してしまう。そのまま睨みつけるように彼の方を見ると、高村君は顔だけをこちらに向けていた。
何故という気持ちと怒りと共に色々な言葉が浮かび上がる。でも、結局アタシは視線にそれを込めるだけで、それ以上何も言わなかった。彼の言葉は、何より自分が一番理解していたから。でも、他人に触れられるのはイヤだ。
『アイツは鈍いからさ、言わなきゃわからないぜ。いや、むしろ"言葉"に敏感なのかな。まあ、はっきり言わなきゃダメなのは同じか』
『そんなことは、知ってる。誰よりも解ってるわよ』
『好きなんだろう? まだ、司のことが』
『だから、アンタには、関係、ないでしょ!?』
一言一言、目と口に力を込めて高村君へとぶつける。しかし、彼の瞳は揺るがなかった。静かに、心配するようにアタシを見つめてきた。
『俺は昔、言うべき事を言えずに後悔したんだ。いや、今もそれを引きずっている。しなかった後悔ってのは、ずっと疼くんだ』
そんな事は知ってる。だから、ここに来たんだ。でも、とても怖い。
『待っていても、アイツは来てはくれないぜ。司は、留まる人間じゃあない』
そんな事は知ってる。だから、ここに来たんだ。だけど、アタシには勇気がない。
『今ならまだ、可能性はあると思う。俺の見込みだから、信用できないと言われればそれまでだけどな』
その言葉に下を向く。一番聞きたくない言葉。でも、今までで望みが薄くない時なんてあったのだろうか?
『・・・・・・ねえ。なんで、まだ可能性はあるなんて思うワケ?』
『・・・・・・君がまだ、司にとって"特別な人間"の一人だからさ。少なくとも、ただのクラスメイトよりはずっとな』
思わず呟いた言葉に、言葉を選んだ返答を返す高村君。その台詞に、ほんの少し皮肉げな笑みがこぼれる。なるほど、全くその通り。
アタシは何も言わずに、階段へと向き直った。そして、さっき駆け下りた階段を再び上ってゆく。今度は少しずつ、鉛のように重く感じる足を一歩一歩持ち上げながら。
『あれ、恋? どうかしたの?』
たどり着いてしまえば、司がアタシを見つけるのはすぐだった。高台から振り向く彼の元へ、足早に近づいてゆく。心臓の音がやけにうるさく感じたけど、目の前の少年に集中して、無理やり意識から外した。
『司に、言い忘れていた事があって。だから、戻ってきたの』
アタシは今、どんな顔をしているんだろう。困惑する司の顔を見ながら、ふとそう思った。思ってしまうと、どうにも気になって、高台まで身を乗り出すように進んでしまう。一陣の風が、強く吹いた。
茜色の空に、紅葉した葉が舞い散る。二人で神代原を見下ろしていると、風が木々を揺らす、ざぁっという音もやがて止まった。まるでアタシにその言葉を言わせようとするように、そこから全ての音が消える。そして、ゆっくりと口を開いた。
『アタシは・・・・・・アタシはさ。昔からずっとアンタの事が好きだったの。アンタを追っかけてここまで来るくらいに。・・・・・・ずっと、ずっと好きだった』
絞り出すような声で、隣の想い人へと言葉を告げる。隣は向けない。でも、声が届いたのはわかった。司がこちらを向いた気配がしたからだ。
聞く人が聞けば当たり前だと思うような言葉。だけど、アタシにはおもい言葉で、司にはおもいがけない言葉だった。
顔を合わせようとしないアタシの横顔を、司が見つめている。表情はわからなくても、その視線は感じていた。
胸の動悸が早くなる。何か言葉を続けようとして、その言葉が溶けては湧きだしてくる。
司のどこが好きかとか、どうして好きだとか、そういう事を言おうとしては、別の言葉にかき消されてゆく。結局、司が話しかけてくるまで、アタシはそれ以上何も言えなかった。わずかな期待と、ずっと大きな恐怖を胸に抱えたままで。
『僕は、恋がこの町に来てくれて嬉しかったよ。・・・・・・その、昔ながらの友達として。ずっと、気になっていたから』
その瞬間、アタシは彼の方を見た。夕日と紅葉で茜色に染めあげられた彼は、神代原を見下ろしたままでそう告げた。
はっきりと告げない、半端な優しさ。でも、すぐにわかった。それが解るくらいには、アタシは司の傍にいたから。
『そっか。アタシじゃあ、ダメか』
『恋。僕は・・・・・・』
心の中の、何かが抜けていくような感覚。数ヶ月前に彼と喧嘩したときは、心がズキズキと痛んだ。けど、今は貯まっていたモノが抜けて、空まで飛んでいってしまいそうな浮遊感だけが残った。
『いいよ。司は、ここで沢山のものを見つけたんだから。だから、アタシから離れていくのも仕方ないよ。こうなる事はわかってたから。わかってたんだから・・・・・・!』
その時、司がアタシの方を振り向く。戸惑うような、悲しそうな目と見つめあう。彼の目には、アタシの
姿はどんな風に見えているのだろう?
そう思うと、もう限界だった。司から視線をはずし、アタシはこの高台からの逃げ場、階段へと駆けだす。
階段の4段目を降りた辺りで、制服がこぼれ落ちる雫を受け止めた。目から溢れ出すそれを振り切るよう
に、アタシはもう一度階段を駆け降りると、そのまま駆けだしたんだ。
行き先はどこでもよかった。だって、アタシにはどこにも居場所がなかったから。