10月24日 ②
落ちてゆく夕暮れを追いすがるように、アタシは山道を駆け降りてゆく。今はとにかく離れたかった。さっき伝えられた現実からも、これから先どうすればいいのかという事からも。
アタシが神代原と呼ばれるこの田舎町に来たのは、司という名前の幼なじみにまた会う為だった。地方都市から電車で一時間、元々住んでいた場所から考えれば遠い遠い場所。目玉といえば最近移築された神社と、新しく建てられた私立の高校くらいしかない所だ。
何もないけど楽しそうな場所、というのが初めて来た時のアタシの感想。川を隔てて西側の高校や駅がある方向はともかく、古い神社がある東側は本当に静かだった。
所々に点在する民家もまばらで、高台へ上ってきた時と違って今は誰も居ない。だからアタシがどんな風に走っていたとしても、それを見咎める人は居なかった。
目尻に浮かぶ涙を落とさないようにして、アタシは走った。運動は得意な方ではなかったけど、ひたすら走った。蛇行する坂道を駆け下り、信号のない横断歩道を踏み越え、ただひたすらに。
そしてたどり着いたのは、神代原を二つに分けるようにして流れる川だった。土手の上から茜色の夕日を浴びて煌めく水を見た時、アタシはようやく立ち止まった。
「・・・・・・きれい・・・・・・」
行く当てのないアタシの足を止めるには、その光景は十分すぎた。引き寄せられるように土手を滑り降り、新しく舗装された川の袂へと歩いてゆく。手すりに手を付いてから、やっと自分の荒い呼吸に気が付いた。
「そう言えば、初めてここに来た時も、こうやって川を眺めたっけ」
思わず一人つぶやく。今では大昔のように思える、初夏の匂いが香る頃の話だ。その時は西側の向こう岸で、真昼の暑さに参っていた。
平日の昼間、一人で遠出をしてこの神代原にやってきた。どこにも居場所がなかったアタシと違って、グラウンドでキラキラ輝く学生たちを遠くから眺めた。そして、日差しの中で友人たちと過ごす司を見つけた。
見つけられるのが怖くて、逃げて、川のほとりを歩いた。そして急に羨ましくなったんだ。アタシも、昔みたいに司の傍に居たいって思った。だから、それから必死で勉強して、ここの学校に転入した。その場で会う事も出来たけど、もう司はこっちに移ってしまったんだから、追いかけないとって思った。それに、その時は彼になんて言えばいいかわからなかった。
アタシがここに来たのは、司ともう一度会って、そして今度こそ傍に居てもらうため。そして、あの時の事を謝りたかったからだったーー。
アタシの名前は月森恋。高校一年で16歳、人より少し顔とスタイルが整っていて、男からは「連れ歩くにはイイ女」って言われたくらいのオンナノコ。
アタシは一ヶ月くらい前に都会の高校から転校して、この神代原にやってきた。それは、幼なじみの「神内原 司」と言う男の子が居たからだ。
アタシは司の事が好きだった。いつからかは覚えてないけど、自由に生きる彼が好きだった。くだらないものに縛られず、どんな事にも楽しそうに自分から挑戦してゆく彼の姿は、今も覚えている。どんな事も"やらされてきた"アタシにとって、それはとても新鮮で、キレイに映ったんだ。
たぶん、司にとっては異性の友人の一人と言う認識くらいしかなかっただろうけど、アタシにとっては、学校で彼と一緒に過ごす時間は、なによりも楽しかった。
でも、そんな日々も中学生までで終わりを告げる。広がっていく司の世界の中にアタシの居場所はなく、お互いに疎遠になっていった。
だから、アタシは決心した。やらされていた中で唯一残っていたピアノの習い事も止めて、勉強に専念したんだ。そして、司と同じ高校に行って、今度はアタシから近づこうって。がんばった。でも、ダメだった。滑り止めの高校に決まったアタシを見た時の、母親の言葉が忘れられない。
『どうせ、アンタには無理なのよ』
それからアタシは、ほとんど学校に行かなかった。昼間から男の子と遊び回り、誰彼構わずに付き合った。誰でもよかった。この寂しさを紛らわせてくれるなら。
アタシは顔はまあまあだったし、胸は結構ある方だ。ついでにプロポーションと見栄えにも気を使ってたから、彼氏候補には困らなかった。もっとも、誰とも長続きはしなかったけど。
そうやって爛れた生活を送るアタシを、母親は冷たい目で見るだけだった。自分の友達付き合いの方が大事だったんだろう。お父さんも仕事が忙しく、アタシの現状を知っているのか知らないのかわからなかった。自分でもどうすればいいかわからないまま、自分で傷を増やし続けていた。
そんな時だ。アタシは全くの偶然から、司に再会した。彼はアタシが知っている姿のままで、変わってしまったアタシに声をかけてきた。
『久しぶり、恋。・・・・・・元気にしてた?』
そんな当たり前の言葉が、たまらなくアタシをいらつかせた。だから小雨が降る中、アタシは司に何度も言葉を叩きつけた。彼が何も言わないのを良いことに、ひどい言い草で延々と。
アイツが少しも悪くないのは知っているのに、それでも言葉は止まらなかった。言い終えて逃げるように立ち去る時も、司は何も言わなかった。
でも、すれ違うときに見た瞳には、零れそうな悲しみがあったように思う。アタシはそれをずっと覚えていて、しばらく家で引きこもってから、司の家に行こうと思い至った。そこでアタシは、彼が神代原へ転校した話を知ったんだ。アイツは有名な進学校に通っていたのに。
その後はどんどん状況が転がっていった。神代原で司の姿を見て、もう一度追いかけようと思った。だから、ほとんど行ってなかった学校にも行くようになった。
お父さんにお願いをした。冷たい母親の視線に耐えた。毎日毎日煙を吐くくらい勉強した。そして夏の盛りの頃、ようやく転校が決まり、部屋を借りてこの町にアタシはやってきたんだ。
最初の登校日、朝早くから校門で司を待ったのを覚えている。自分が言った言葉の一つ一つを思い出しながら、逃げたい気持ちを押さえつけていたのを覚えている。
『久しぶりね、司。・・・・・・アタシも、きちゃった』
『・・・・・・うん。歓迎するよ、恋。ようこそ神代原へ』
そして、震えを隠して笑顔で挨拶をしたのを覚えている。謝れなかったことも、司が朝日の中でどこかほろ苦い笑みで応えてくれたことも。何度も想い人を言葉の刃で傷つけたくせに、今日この日まで謝ることもできなかった事を、アタシは覚えてるんだ。――ホント、サイテーよね。