釣りのち昼寝
ヒベルニア滞在を終え、ヨーロッパ大陸に戻ってきた頃のヨイクとユアンです。
絵の具を塗りたくったような青空の下を、二人は並んで歩いていた。爽やかな風が吹き抜け、太陽の光がさんさんと降り注ぐ街道の周りには無数の赤い実の輝くトマト畑が広がっている。
エディンバラ教会から逃れ、南欧のあちこちで潜伏生活を送っていた彼らはミラノから駅馬車に乗ってここまでやってきた。あまりにも天気がいいので途中下車をして石畳の街道をのんびりと歩いているのだ。
長旅が生活の一部となっているため二人とも人一倍に健脚である。だから地平線にメディチーナの市壁が見えた時にはまだまだ元気が有り余っていた。しかも、ここ数日は駅馬車での移動ばかりで、ろくに体を動かしていなかったので尚更である。
そんな彼らの目にメディチーナ市を貫くグラーノ川が飛び込んできたのだから、彼らはどちらからともなく顔を見合わせ、子供のようににっと微笑み合うと大きな荷物を背負ったまま大股で駆け出した。
荷物を放り出し、長靴を脱いで旅装の裾をたくし上げると、冷たい川に我先に飛び込む。跳ね上がる白い水しぶきが日光を反射して六花のように輝いた。
「ユアン!見てなさいよ!」
懐から愛用の二連の短銃を取り出し、ヨイクは不敵に笑った。
「私の特技、釣りよ!」
短銃を片手で構え、ヨイクは川面に向かって引き金を二回引いた。銃弾は水しぶきと共に川面に吸い込まれ、やがてそこへぷかりと魚が浮き上がってきた。
「ほらほら、つかまえて!」
「どこが釣りだ!どこが!」
ヨイクより下流に立っていたユアンは流れてくる二尾の魚を慌ててすくい上げる。どちらも正確に頭を撃ち抜かれていた。
「お昼にしましょうよ」
さらに四尾の魚をしとめたヨイクは自分で“釣った”魚を眺め満足そうに提案する。ユアンは手早く周辺の石や枯れ枝を集めて火を起こすと、枝に刺した魚を焼き始めた。ヨイクは木陰に寝転び、顔の上に帽子を載せて軽く寝息を立てていたが、香ばしい匂いが漂い始めるとむっくりと身体を起こしてユアンの向かいに腰を下ろした。
「わ、熱っ」
「うまーい」
塩をかるく振った焼きたての魚を頬張り、ほろりとした柔らかい身に舌鼓を打つ。あっという間に食べ終わると、二人は木の根を枕にして昼寝を楽しむことにした。
「ああ幸せ」
満足げにつぶやきヨイクが寝息を立て始めると、ユアンは半身を起こして彼女の寝顔を眺める。探究心や好奇心が旺盛な彼女の瞳を輝かせること、冒険と波乱ずくしの民話学者の生涯を傍で見届けること、それがユアンの生きる目的だ。
「同感だな」
ユアンはヨイクの寝顔にそう答え、彼女の白い頬を指でそっと撫でた。ヨイクはユアンの想いを知ってはいるが、明確な回答をしていない。しかしユアンはそれを不満には思っていなかった。
「こんな女は世界中を探してもたった一人しかいない。そのたった一人の隣にいられることを、おれは至上の幸福だと思う」
潜伏生活を始めからヨイクは髪を黒く染めている。その漆黒のひと房を自分の指に巻きつけ、ユアンは独白した。
「あんたは世界の宝で、おれの宝だ。だから、あんたは自由でいろよ。おれの手になんて、入るなよ」
ユアンは誰にも見せたことがないほど柔らかく微笑むと、最愛の女の隣で瞳を閉じた。
*
涼しい風が吹いてヨイクがくしゃみをする。目を覚ました二人は空を見上げ、南の空に立ち込める暗雲に眉をひそめた。太陽もだいぶ西へ傾いていた。
「夕立ちがあるかもな」
「そうね。さっさと行きましょ」
すっかり小さくなった火の始末をユアンに任せ、ヨイクは草原に放り出した二人分の長靴と荷物を拾う。身支度を整えると彼らは石畳で舗装された街道へ足を向けた。
「もう一息よ」
「もう一息だな」
彼らの距離も、きっと。
この後、二人はメディチーナでコルガーとギーヴと再会します。そのあたりは「オレンジ・トマト戦争」を是非どうぞ。