ユアンの熊退治〜序章〜
ヒベルニアに残留したヨイクとユアンが春の試練に立ち向かう。
コルガーやギーヴと別れてヒベルニアに残ったヨイクとユアンは城下町の宿屋でヒベルニア島内探索の準備を進めながら雪解けを心待ちにしていた。
「ユアン、大変よ!春のヒベルニアは熊の被害が多いらしいわ!」
ヨイクが仕事部屋兼寝室として使っている部屋で二月のカレンダーを破り捨てていたユアンは乱暴に扉を開けて走り込んで来た民話学者に眉をひそめた。
「あんたが腰に付けてるそれは飾りか何かか?」
ヨイクは藍色の民族衣装の腰のベルトに護身用の短銃を常にはさんでいる。ユアンが彼女に買ってやった二連の銃だ。
「そいつなら一度に二頭も倒せるな、頼りにしてるぞ」
「ユアンの馬鹿!熊を舐めたらダメよ!こんな短銃の一発や二発、急所をはずしたら威嚇くらいにしかならないんだから!万が一のためにきちんと熊退治のノウハウを学んでおくべきだわ!」
「備えあれば憂いなし、か。それもそうだな。頑張れよ、得意だろ?」
「何言ってるの、あんたがやるのよ」
「おれがあ?」
「ソールズベリ少佐には話をつけて来たわ。この機会にあんたの救いようのない射撃の腕を磨いてらっしゃいよ」
「救いようのないとは失礼な。子供の頃から投げ縄で野生のトナカイを捕まえていた人間とおれみたいな都会っ子を比べるなよ。言っとくがあんたの瞬発力と集中力が異常なんだからな」
「まあねえ。悪いけど飛び道具はめちゃくちゃ得意よ。今度は弓とかボウガンでも習ってみようかしら」
「そんなに学習意欲があるなら熊退治のノウハウとやらもあんたが習得すればいいだろ?」
「私はもうマスターしてきたわ」
「……いつの間に?」
「今朝よ。ヒベルニア王に謁見して島内探索計画を報告した帰りに城門でソールズベリ少佐にばったり会って、彼女の休憩時間にささっとね」
「ささっとで済むのかよ」
「あんたはそうはいかないと思うけど、私の場合はマスケット銃の基本的な使い方を教わって、三発ぶっ放したら的の中心に当たるようになったのよ。あとは実践あるのみですって」
「おれの苦手なことはあんたがやる、あんたが苦手なことはおれがやる。ずっとそうやって来ただろうが。射撃の練習をする暇があったらおれは他の準備をすべきなんじゃないか?」
「あのねえ、本当に熊が多いんだってば。私が銃弾を装填してる間に熊に襲われたい?しのごの言わずに特訓してらっしゃい!」
◆
ヒベルニア城の中庭では軍事訓練が行われている。ヒベルニアには徴兵制の先駆けとも呼べる制度があり、十五歳の誕生日を迎えた男子は城に招集され一カ月ほど軍事訓練を受けなければならない。農繁期の招集を避けるなどの配慮の結果か国民からの目立った反発がないのは大したものだと訓練風景を目の当たりにしてユアンは思った。
「あら、来たわね、リプトン書店の社長さん」
この冬に十五歳になったばかりの少年たちの訓練を監督していたアヤ・ソールズベリはそう言って相変わらず女王のように艶やかに微笑んだ。
「来たぜ、近衛隊の副隊長さん」
アヤ・ソールズベリは騒動の後、幼馴染みのジャック・ロッキンガムや元海軍将校のパーシヴァルとともにヒベルニアに残ることを決め、マキシムのはからいで近衛隊に入隊して城の警備を任されている。女性ということもあり当初は王女ヒリールの側についていたが、本人の希望で最近は少年たちの訓練を受け持っているという。
「ヨイク先生から話は聞いてるわ。あなたの救いようのない銃の腕前とやら、救ってあげようじゃない」
アヤが合図すると彼女が指導していた一個分隊ほどの少年たちが綺麗に整列してユアンに敬礼した。
「こいつらと一緒に練習するのか?」
「マンツーマンで面倒見るほど私も暇じゃないのよ。さ、使うのはこれよ」
「重っ!」
「そしてこれがカートリッジよ、火薬と弾の詰め方から説明するわね。ーーあなたたちは各自の訓練に戻って」
アヤの指示で少年たちは射撃の練習を再開した。皆、黙々と銃弾を装填し、自分の的を狙って引き金を引き始めた。
マスケット銃は誰でも扱いやすく、製造コストが低かったことからヨーロッパで百年以上前から主要な銃として使用されているが、ユアンは触ったことさえほとんどなかった。
「見てなさい。まずカートリッジの紙包みを歯で破って開ける。中には鉛玉と火薬が入ってるから、鉛玉を口に含んで、火薬をこぼさないように注意しながら当たり金を開いて火皿に少し入れる。これが点火薬になるのよ。当たり金を閉じたら銃口を天に向けて残りの火薬を銃口に入れる。鉛玉と空の紙包みも丸めて入れる。あとは込め矢でこれらをしっかりと奥へ押し込むのよ。構えてコックを引いて狙いを定めて、撃つ」
パンという甲高い音ともに銃弾が飛び出し、ユアンとアヤの正面の的の中心に当たった。少年たちから拍手が起こる。
「やってみて」
アヤからマスケット銃とカートリッジを渡され、ユアンは慣れない手つきで教わった通りに弾薬を装填し、重い銃を構えると目の前の的の中心を狙って引き金を引いた。耳元で火薬が爆発した音が響き、その衝撃を上半身に受ける。マスケット銃は扱いやすい反面、天候などの影響を受けやすく不発も多いと聞いていたので、初めてにしてはスムーズに撃てたとユアンは思った。後ろに立つアヤを振り返ると呆れと憐れみのこもった目でユアンを見ていた。
「……どうしたら隣の隣の的に当たるのよ」
「知らん」
◆
「ソールズベリ少佐、ユアン!調子はどう?」
西日がヒベルニア城を赤く染め始めた頃、ヨイクがユアンの様子を見にやって来た。
「昼過ぎから始めて、ようやく目の前の的に当たるようになってきたわ」
疲れ切った表情でアヤが答える。一緒に訓練していた少年たちは既に解散し、練習場にはユアンとアヤだけが立っている。
「あら、すごいじゃない」
「だろ?見てろよ」
得意げに笑ってユアンは銃を構える。引き金を引くと弾は的の端をわずかにかすめてその後ろの木に当たった。
「こんな風に的の端をかすめる程度。しかも十回に一回よ」
アヤが天を仰ぎ、ヨイクは頭を抱える。
「やっぱり島内探索にはソールズベリ少佐にも来てもらわなくちゃ心配だわ」
「そうね、私と部下を何人か連れて行くべきかもね。上官に相談しておくわ」
「ありがと。私も今度王様に謁見したらちらっと言っておく」
「おい、おれの特訓は何だったんだ!」
降り積もった固い雪が解けるのが早いか、空腹の熊たちが目覚めて巣穴から出てくるのが先か、その前にユアンの銃の腕が上達するのか。答えはヒベルニアの神々さえ知らないのだった。
序章の続きは今のところ無い予定です。