素直になれなくて
……相変わらず、閑古鳥が鳴いているわね。
人が溢れかえっている街並みの中になぜか1件だけ、人が近寄らないパン屋がある。
私、『リトス=ラクリマ』はいつも通りのその店を見て、眉間にしわが寄った。
「うるせえな」
私に気が付いたのかこの不人気店の店主であり、幼馴染の青年『ブライ=カーチス』は私を見るなり、舌打ちをするのである。
この態度は接客業をやっている人間としてどうかと思うのだが、そこは幼馴染であるもうなれてしまうくらいに聞きなれた言葉である。
「……まだ、何も言ってないわよ」
「言うつもりだったんだろ?」
「そうね。相変わらず、閑古鳥が鳴いているわね」
だから、私もいつも通り、ため息を吐いた後に最高の笑顔でバカにする。
性格が悪いと思うだろうか?
まあ、気にしないで欲しい。
それに距離が近すぎて私の想いになどまったく気が付いていないブライが悪いのだから。
ブライのこめかみにはぴくぴくと青筋が浮かんでいるが私は気にする事無く、店頭に並んでいるパンを覗き込む。
店頭に並んでいるパンは焼きたてと言うには程遠いのだが、私の鼻には美味しそうなパンの香りが広がり、口元からはよだれが溢れ出しそうになる。
「……小腹が空いたとは言え、3つは多いか?」
「小腹が空いたで食う量じゃないぞ。この大飯ぐらいが」
店頭に並んでいるパンはどれも良い匂いで私を誘惑してくるのだが、私も恋する乙女として食欲に負けるわけにも行かず、しぶしぶ、新作の3つのパンを選ぶ。
代金を置き、その場でパンを頬張ると同時に口の中、一杯に旨みが広がる。
……これもいつも通り、美味しい。私の大好きな味。
そう。ブライの焼くパンは美味しいのである。
それなのに現状は閑古鳥が鳴いている。
なぜ、閑古鳥が鳴いているかと言うといくつか問題がある。
まずは焼いている本人に愛想が無い、焼くパンにおかしなこだわりがあり、甘いパンを焼かないため、女性や子供の客層を取れない……私は甘い物より、お肉が入ったパンが大好きだから、この店の商品は私の好みの物ばかりなので甘いパンが並ばなくても一向に構わないのだが、客の好みとすり寄らないのはどうなのかとは思う。
しかし、実際、商品が偏っていてもそれほど問題はない、誰が食べてもブライの腕は本物なのだ。
それなのに客がこない原因は嫌がらせだ。
……嫌がらせを受ける原因を作ったのは私だったりするわけだけど。
だからと言って勘違いしないで欲しい。
私は何もやっていない。
やっているのは私の従兄であり、自称婚約者だ。
自称だ。
私も私の両親もきっぱりと断っているのだ。
当然、好きな人がいるし、従兄は生理的に無理だと。
叔父夫婦はそれで納得してくれたのだが、従兄はプライドが高かった。
断られた事も生理的に無理と言われた事も許せなかったのであろう。
その矛先を勝手に恋敵だと思い込んでいるブライへと向けたのだ。
だからと言ってお客1人来なくなるほどの嫌がらせができるのかと思うだろう。
それができてしまうのである。
従兄は……と言うか、私の叔父夫婦は金融業を営んでいる。
用は金貸しで回収のためならば汚い事もするわけだ。
そして、従兄は後継ぎであり、部下を使って根も葉もない誹謗中傷を広め、店に来た客を追い払うと言った嫌がらせを始め出したのだ。
こう言うところが小物感漂っていて生理的に無理な理由なのだが、当の本人である従兄は気が付いていないだろう。
「リトスさん、ブライさん、こんにちは」
お客さんが来なくても毎日、店を開けて店頭に座っているブライには申し訳ないが考えようによっては誰も近づけない彼と一緒に居られる貴重な時間だったりするわけで地味に従兄、良い仕事をしたなと思っていたりするのは秘密だ。
ただ、人間的には小者としか思えないけど。
ブライを眺めながら3つ目のパンに手を伸ばした時、左手にバスケットを持って大きく手を振りながらこちらに駆けてくるメイド姿の少女が目に映った。
彼女は若いながらにこの国の外交を担っている『レスト=レクサス』様のお屋敷に仕える『ミルア=カロン』ちゃんだ。
……まあ、レスト様はその優秀な手腕よりも他の事で有名なのだが、それは今は関係の無い話だ。
レクサス家は先代からブライのパンを偉く気に入ってくれており、現在のレスト様だけではなく、使用人の食事にまでブライのパンを振舞っている。
厨房を任されている料理人達はそれで良いのか? と疑問を抱くが料理人達は仕事が楽できるし、美味いパンが食べられて幸せだと言っているらしい。
荒事が得意な従兄の部下もレスト様に睨みつけられないようでミルアちゃんやレクサス家に仕える者達相手では何もしない。
そのため、ミルアちゃんは気にする事無く、店の前に来ると私とブライに頭を下げる。
ブライは不愛想なため、軽く会釈をするだけなのだが、ミルアちゃんは気にする様子も見せずにパンを覗き込む。
「今日は何にする?」
「リトスさん、やっぱり、甘いパンは無いんですよね?」
「ブライが焼く気ないからね」
ブライの接客は印象が悪いため、少しでも周りからの印象を良くするためにブライを店の奥に押し込み、店先に準備されているエプロンをまとう。
ミルアちゃんは店内のパンを一通り眺めた後、言い難そうに甘いパンを求めるのだけど、それは無理な相談である。
「ブライさんが焼いたら、絶対に美味しいのが焼けると思うのに、残念です」
「そうね。私も食べてみたいとは思うけど、本人もこだわりがあるみたいだし、仕方ないよ」
「リトスさんがお願いしたら焼いて貰えないんですか?」
「頼んだ事ないからわからない。ほら、私、甘い物、苦手だし」
ミルアちゃんはブライの腕を信頼しきっているようで残念だと肩を落とすと私に協力するように言ってくる。
それも涙目で私の顔をしたから見上げるのである。
確かに可愛いのだが私は特殊な趣味もないため、苦笑いを浮かべる事しかできない。
「それより、今日はどうするの?」
「えーとですね。明日の納品予定のパンなんですけど、急で申し訳ないんですけど、レスト様がこれに変更して欲しいと」
「あれ、いつもより多いわね。何かあったの?」
「急にお客様が来ることになったみたいで、宿泊先も用意できそうにないため、お屋敷に宿泊して貰う事になって、後、急で大変だからってレスト様も今月の代金は色を付けてくれるって言っていました」
「流石、レスト様、太っ腹」
ミルアちゃんは申し訳なさそうにメモを取り出す。
流石、レスト家であるメモ1枚持たせるにしてもそのメモは貴重な上質紙である。
今は気にする事ではないため、メモの内容を覗き込むといつもより、パンの種類も数も多い。
従兄に嫌がらせをされているため、レクサス家へのパンの納入はこの店には欠かせない収入源だ。
それもかなり金払いの良い。
他にもブライの腕にほれ込んで、脅しに屈しない人達がいるからこの店はつぶれない。
つぶれないとは言え、何かあった時の備えは欲しいため、レスト様への感謝の言葉が口から出てしまう。
「……追加料金はいらん」
「ブライ、何を言っているのよ? せっかく、くれるって言っているんだから、貰うべきよ」
「レスト様には世話になっているからな……問題ない」
「ありがとうございます」
その時、話が聞こえていたようで奥に押し込んだはずのブライが私の背後に回り込み、手からメモをひったくった。
ブライのこだわりにため息が漏れるがこうなるとこの男は意地でも動かない。
ミルアちゃんは私の顔を見て、苦笑いを浮かべているが彼女もブライの性格を知っているためか、それ以上、何かを言えないようである。
「ミルアちゃん、レスト様に怒られたりしない?」
「怒られないと思いますよ。それに、きっと、ブライさんは断るだろうからって、これを預かってきましたから」
「これ何?」
「最高級のお肉です。凄く、美味しかったです。生物ですから、返品は効きませんからね」
ブライは断ったが、レスト様のおつかいをしっかりと果たせなかった彼女に被害を受けてはいけない。
念のために確認するとミルアちゃんは首を横に振った後、ブライにバスケットを渡す。
最高級のお肉が使用人の口に入るなんて、レクサス家の労働条件は相変わらず良いわね。
いくつかに目をつぶればだけど……お肉か? それも最高級? 美味しいんだろうな。
「……よだれを拭け」
「別によだれなんか流してないわよ」
「流していますよ。それではブライさん、リトスさん、それではよろしくお願いいたします」
ブライは私の顔を見て、呆れたように言う。
彼の言葉を否定する私だが、彼の言う通りに口からはよだれが流れ出ていたようでミルアちゃんは苦笑いを浮かべた後、頭を下げると忙しいのか駆け足で人混みの中に消えて行く。
「ブライ」
「……夕飯に出してやる。その代り、仕込みを手伝って貰うぞ」
「わかっているわよ。最高級のお肉のために頑張るわ」
ミルアちゃんの背中を見送った後、私の興味は当然、最高級のお肉に向かう。
ブライは呆れたようにため息を吐くがすでに私の中では最高級のお肉が食べられる事で頭がいっぱいになっている。
だから、私は……
「……俺はいつになったら、こいつの食欲に勝てるんだ?」
いつも、大好きな彼の大切な言葉を聞き逃す。