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近所づきあいが盛んな住宅街も、夜の十時になると静かなものだ。隣の家から小さく漏れているテレビの音を聞きながら、裕介は家のドアを開ける。
「気持ちわりぃ」
すぐにでも玄関に倒れたい気持ちをおさえ、スニーカーを後ろに飛ばしながら脱いだ。ふらつく足をどうにか前へ進ませながら、リビング奥にあるキッチンへ向かう。誰もいない一階は真っ暗である。
高校まで一度もアルコールを飲まなかったので、耐性ができていない。目は回るしまっすぐ歩けなかった。それもだいぶ治まってきたが、胃に負担のかかる不快感だけは消えない。いっそのこと胃を取りだして洗ってしまいたいと思うほどだ。
キッチンで水を飲むと少しだけ頭がさえてくる。シンクに腕をつき深呼吸を繰り返した。
クラブに行ったのはいいものの、勧められるままに酒を飲んでしまった。中原は頑として飲まず、雰囲気が悪くなりそうだったのを裕介がカバーしたのだ。酒代は連中の一人に金持ちがいるらしく、そいつのおごりだった。
もうすぐ飲食店を経営している両親も帰ってくるころである。アルコール臭い衣服を脱いで、早くベッドで寝なければならなかった。
壁に手をつきつつ、キッチンを出ようとしたとき。
「どこに行ってた」
急にリビングの明かりがつき、自分とよく似ている声が飛んでくる。重たい頭を声のしたほうへ向けると、出入り口に智大が寄りかかるようにして立っていた。
乾ききっていない前髪をかきあげ、眉をひそめている。パジャマに包まれた腕を組んでいる姿は、心配そうというより怒っている意思表示にもみえた。しかし、声は柔らかいままで瞳には気遣わしげな色が宿っている。
「別に、どこだっていいだろ」
「最近いつも遅いよね」
遅く帰るたびに智大は小言をいってくる。待ち構えたようにして立っているのだ。
今はわずらわしい説教を聞きたくなかった。全身がだるくて、まともに取り合っていることさえしんどい。
弱々しい腕で相手をどけるようにしてリビングを出る。すれ違いざまに鼻をならした智大が、鋭い声で呟いた。
「酒臭いよ、それに」
リビングを出て急いで階段に足をかけようとしたとき、後ろから腕を引かれた。アルコールに酔っている身体は、いとも簡単に智大の腕に包まれる。体重も身長もそう変わらないはずなのに、裕介を力強く受け止めた身体は、とてもたくましく感じられた。わきの下から差し入れられた腕は腰をしっかりとつかみ、背中越しに相手の鼓動が聞こえてくる。自分とは違う落ち着いた心音だった。
智大の鼻先が肩をくすぐる。
「香水の匂いがする」
まるで、いやらしいことでもしてきたのか? と問うように言う相手に、顔が熱くなる。
耳元をくすぐる声はわずかに語尾が掠れていて、まるで彼の方が情事のあとのようだ。手は遊ぶようにシャツをたぐり寄せている。その動きが愛撫を思い起こさせ、下腹が妙にひくついた。アルコールが急に回ったみたいに、体温が上昇する。
「うるせぇ! 双子だからっていつも一緒にいなきゃいけねぇのかよ! 俺は俺だっ、お前とは違う! 関係ねぇだろーが!」
声を荒げると、相手の拘束から逃れて階段を駆けのぼり部屋に入った。足の勢いはそのままでベッドへと寝転がる。
さっきまではすぐにでも寝てしまいそうなほど疲れていたのに、今では眠気は遠ざかっている。智大のことが気になっているからだ。
ひどいことを言ってしまった自覚はある。たとえ裕介が相手のことを快く思っていないとしても、血の繋がった家族なのだ。関係ないわけがない。心配から声をかけてくれたのに、突き放してしまった。
怒鳴ったあと、あと味が悪くて彼の顔を見ることができなかった。智大に対して冷たくなりきれないのも、裕介の曖昧なラインである。
階段をのぼる音が聞こえてきた。その落ち着いた足音は裕介の部屋の前で止まる。長いこと音はせず、しばらくすると足音は隣の部屋へ消えていった。
裕介は一人、なぜこんなにも智大のことが嫌いになったのか、ぼんやりと考えていた。
成績や人望だけではない、なにかがある。
けれども答えは出ず、意識はゆっくりと波にさらわれていった。