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「中原」
屋上へあがると、真っ青な空を眺めている中原の後姿が見えた。けれど、声をかけても彼女は振り返らない。
ドラッグの件で怒っているのはわかっている。あの日以来、こうして顔を合わせるのは初めてだった。
「このあいだは、ごめん。智大に電話してくれたんだよな。おかげで助かった」
隣に並んで謝る。中原はむっつりとしたまま、こちらに顔を向けようともしない。
「もう二度と、あんなバカなことしないで」
「バカなっていうか、バカの真似はしねぇよ」
昼休みになって人の行き来の激しい教室を見ながら答える。どこに彼はいるのだろうか。
少し茶化した口調が気に入ったのか、彼女が笑ってこちらを向く気配を感じる。けれど、声をかけてくる様子はなく、視線だけが突き刺さった。
「中原、どうした?」
無言が気になって相手に顔を向けると、険しい表情で中原はじっと凝視していた。
「あんた、どういうつもり」
「え」
なじる言葉に首をひねる。
その仕草さえも癇に障るのか、嫌そうに眉をひそめた。
「え、じゃないわよ。智大でしょ、あんた。顎のところにほくろがないもの」
ぽかんとした訳のわからない表情を作っていた智大も、ほくろのことを持ち出されてはしらを切りとおすことができない。
「へぇ、ほくろのこと、気づいてたんだ」
第二ボタンまであけたカッターシャツの隙間から風が入りこむ。なれない感覚でも、裕介がいつも感じている感覚なのだと思えば頬が緩んだ。
まさか中原が裕介のほくろに気付いているとは思わなかった。今では薄くなってしまったほくろを見分けるのも難しいというのに。
「中原さんはいつもイレギュラーだな。小学生のとき、いじめられていた裕介を助けたのも中原さんなんだろ? 俺がなぐさめる予定だったのに」
聡い彼女はすぐに言葉の裏を読んだらしく、ハッと目を見張った。小学生のとき、裕介がいじめられるように誘導したのは紛れもない自分だ。それぞれのグループを持つようになって、つれなくなった弟に頼ってもらうために。
「まさか、今回のことも」
彼女の想像はさらに飛躍したらしい。責めるような口調と軽蔑のまなざしを送ってくる。
「わざわざ君から連絡もらうように仕組むとでも? 冗談もほどほどに。君から連絡をもらうくらいなら、俺が直接ヤク漬けにするよ」
相手のくだらない妄想に苦笑する。
彼女から「今回ばかりは私じゃ止められない」と連絡をもらったとき、強い嫉妬を感じた。中原のその台詞で、裕介が自分から離れている間のストッパーは彼女だと気づいたからだ。
学校の門で待っていた智大がタクシーでクラブに駆けつけたときも、彼女は店の前で待っていた。今にも泣きそうな表情で。裕介を連れ帰るときにいなかったのは驚きだったが。
冗談を真面目に受け止める中原は、貫かんばかりに睨みつけてくる。
「そんなに睨むなよ。たとえばの話だろ」
声に出して笑っても、彼女は厳しい表情を崩さなかった。
単純なところが裕介に似ている。だからこそ、二人は友達として仲良くしていられるのだろう。それ以上の関係になることがあったら全力で阻止するが、裕介が中原に惚れるはずはない。
「あんた、ユウをどうしたいの」
低く発せられる声は敵愾心がむき出しで、思わず笑ってしまいそうになった。耐えることには慣れている。衝動をぐっと抑えると、相手に流し目をくれてやった。
「俺が想っているくらいには愛されたいよ。でも、それ以上に憎まれたいのかもしれないな」
そろそろ裕介に会いたくなってきた。昨日の夜は無理をさせたから、今日は昼休みごろから来るように言って聞かせていた。もう来ているはずである。
中原には牽制の意味も込めて、裕介との関係を匂わせたかっただけで、その目的は達成した。彼女の呆然とした顔を見れば満足である。
もうここにいる必要はない。
「あ、今回は連絡ありがとう。でも、もう二度と電話してこないで。携帯を買い替えたくないから」
これ以上ないくらいニッコリ笑うと、彼女が口を開く前に屋上を出た。
ボタンを留めながら半ば物置き場と化している階段を降りていくと、踊り場で裕介に出くわした。嬉しい偶然につい笑顔になる。
対する裕介は、屋上からの階段で智大に会うとは思っていなかったのだろう。昨日の今日で、泳いでいる目に戸惑いが表れていた。
「あ、智大……。あのさ、中原いなかった?」
「誰もいなかったよ」
即座に答えると、昼休みの特別棟に誰もいないのを知っていて手を強引に繋ぐ。やはり彼は嫌がった。
それでも智大は繋いだままにし、屋上とは逆方向に進む。中原に会わせたくないというより、長く一緒にいたかった。
「裕介、今日帰りに図書館寄って勉強しないか? どうしても理解できないところがあってさ」
「それ嫌味? 俺が授業出てないって知ってんだろ」
「裕介は飲み込み早いから、教科書読めばすぐに理解するじゃない。だから、言葉で教えてよ。先生に教わるより、裕介に教わりたい」
別に、いいけど。なんていうひねくれた返事がくることはわかりきっていた。
自尊心をくすぐってやれば、簡単に堕ちる。昨日の夜もそうだった。したてに出て愛を囁けば、彼は身体を開いてくれた。
素直になりきれないのは、裕介の中で今までの気持ちと折り合いがつかないからだ。智大を嫌っていたはずなのに、今ではこうして寄り添っている。信念を貫きたい思いが邪魔をして、どっちつかずになっているのだ。
今裕介が立っている曖昧なラインなど、自分はとうの昔に越えている。
人より歪んでいることは自覚していた。中学生のころには夢に裕介がでてくる日は必ず夢精していたし、彼に身体をこすりつけて自慰したことさえある。
当時は幼いながらに悩んだ。裕介を独占したくてたまらなかった。それが恋愛感情だということに気づくのに二年もかかった。
もう離してやることはできない。でも、逃げることを許すこともできない。
「なぁ裕介。俺を、憎んでる?」
ほぼ同じ身長の相手の顔を覗きこむようにして聞く。
問いかけるのは自覚させるため。彼にはまだラインを越えてもらいたくなかった。その不安定さがある間は、智大を追い続けてくれるだろうから。
存在を消してくれるほど、強く想ってくれ。
裕介は繋いだ手を握り返す。強く、指がきしむほど。
「憎くて憎くて、たまらないよ」
苦渋にみちた表情で紡ぎだされるそれは、智大にとって愛の言葉だ。
おわり




