0:とある屋敷にて。
――そこは、何の気配も感じられない闇の中だった。
広い広いある一つの屋敷。内装は金を多くつぎ込んだということが目に見えるほど煌びやかなものであり、所々に気味が悪いとも思える装飾がなされている。外装も内装と同じようであり、どこから見ても金持ちの屋敷であるということが一目で分かるものであった。
ここは、とある金持ちの屋敷。何年か前に突然多くの金を手にした主が、その手に納まりきらないほどの大金をつぎ込んで建てた屋敷。屋敷周辺に住む人々はいつの日にか消えうせ、近隣の町や村も何故かその姿を消していったのだという。
この屋敷の主、ラルテューズ・レア氏についてはあまり知られず、ただ残った町の人々は「何かしたのでは」、と噂するばかりであった。しかし、だんだんその噂も何者かによって町の人の存在ごと薄れていっているのだとか――……
いつの間にやら噂自体、口にすることは許されない。言ってしまえば住んでいる場所ごと消されるのみ、などと言う者まで現れるようになった。しかし魔の手は、じわりじわりと際限なく噂の主まで飲み込んでいく。誰もが魔の存在に恐怖した。
そんな奇妙な噂を聞きつけた、とある団体がいた。
この煌びやかな屋敷の壁に、気配もなく佇む女性。彼女も、そのとある団体に所属する者の一人。
腰にまで届いた暗い紫――暗いアメジストの長髪に、明るいラピスラズリの瞳。その右目は外から中は見ることのできない半透明の眼帯によって夜闇とともに閉ざされている。
建物を見据える表情は冷たく、どこか冷めた雰囲気を見せるほか、相手に冷たいナイフを思わせる研ぎ澄まされたオーラを放っている。表情はほぼないに等しく、その凛とした整った顔も一際際立っているようだった。
――シェイナリウス・リア・レイリフィアート。それが彼女の名前―-
彼女は、朔月――彼女の所属する組織――の、戦闘要員の一人。幹部などという位置ではないが、上とも下とも言える位置に立っている。その戦闘能力は言わずもがな高い。細身な、しかし女性特有の丸みを帯びた体。冷たい雰囲気を纏っているとはいえ、このような容姿である彼女には、到底考え付かないようなものだ。
黒い闇にまぎれるようなローブを身に纏うその姿は、どこか影そのもののようにも見える。さらりと風がローブの一部をさらうと、見えたその部分には到底普通の視力ではわからないほど巧妙に隠された銃と弾が隠されているのが伺える。反対側には刃が皮の入れ物に収納されたナイフも多く隠されていた。
身長が170オーバーと高いというのに、その気配は一般人には覚られることのないものだろう。
いわゆる『暗殺者』である彼女には気配を消すことは容易いことだった。だからこそ今、危険と噂されるこの場所にいることができる。
そう――本来ならばここにいることは不可能なのだ。
ここにはどうしようもないほどの数の兵士たちが、このような深夜でもなお、徘徊しているのだから。
夜とはいえ、主を護る使命を持つ護衛たちはきちんと存在する。いや、むしろこのような夜だからこそ気を張っているかもしれない。
そしてもしその護衛たちの視界に少しでも姿が映ったら最後、人生のすべてがあっという間に終わりを告げてしまう。
そんな時、場所に、彼女派遣されたのだ。
そう、彼女が朔月より受けたものはかなり、危険な任務だった。
そのため、彼女がより安全に任務を遂行するには護衛をどうするかが鍵となるのだが……。
「……」
そう、護衛。この気味の悪い屋敷を守護する者たち。もちろん、誰しもが護衛として訓練を受けた者たちだ。いくらシェイナリウスが強くても、そう何人と戦えないレベルである。
だからこそ彼女は周囲に意識を張り巡らせ、周りの気配を読み取っていた。護衛たちの行動も、すべて。この屋敷内に侵入してから警戒はけして怠らない。
そうして彼女は、護衛たちを幾度と無く目にすることになる。
ーーバラバラと纏まりの無い多くの集団。その者たちすべてが虚ろな瞳をしており、通常では異常とも思える奇異な行動を起こしていた。ふらふらと、護衛とは思えない――まるで、ゾンビのような。
異常な行動に、纏まりの無いしかし量の多い集団。彼女はその光景を、訝しげに見つめ避け続ける。
……この領主は一体何を考えているのだろう。
彼女の胸に、ぽつりと一つの疑問が浮かび上がる。
この護衛たちの様子。これは明らかに魔法によるものだろう。おそらく洗脳の部類に入るもの。これだけの量の人間を洗脳できるとは、よっぽどの高位の精霊と契約を交わしているのだろうと彼女は推測する。莫大な力を持つ精霊と。
この世界でいう魔法は、大きな力を求めるほど大きな代償を払うものである。――生きることにかなり理不尽な代償を。たとえば『水に触れれば火傷する』、『日の光を浴びることができなくなる』、など。精霊によって様々だか、個人の生き方を大きく制限されるようなものばかりだ。その代償も契約する精霊が高位の精霊ほど、大きくなっていく。
つまり護衛たちをこのようにした使い手も何らかの大きな代償を抱えているということだ。それはもう、不自由な暮らしをしていることだろう。
――もしかしたら代償に助けられ、その魔術師は彼女の敵にはならないかもしれない。
もしも代償が外に出れない、月の光を受けることが出来ないなどといったことなら、少なくともこの屋外では戦闘にはならないだろうと思う。
だがそれと同時に、自分には関係の無いことだ、とも思う。その使い手自身が戦おうが戦うまいが。何故ならターゲットは魔法の使い手ではないのだから。彼女が上から下された命令は、この屋敷の主であるラルテューズを暗殺しろとのことだった。
朔月の諜報員により上層部に伝えられたこの屋敷、噂、そしてラルテューズ自身の情報は、平和というものを乱す可能性が否定できないものだった。本当かどうかは彼女には分からないが、優秀な諜報員のそろうこの集団だ。顔を合わせたことも少なくはないし、毎度任務に向かっても与えられた情報は狂いのないもので大きな信頼を寄せられている。
諜報員が伝える情報によって戦闘部員の動きが左右されるため、諜報員は信用に足りるような人物が採用されているという噂は、彼女も聞いたことがあった。確証はない。しかしそれは彼女にとっては十分信用に足りるものであったため、彼女は今この屋敷の主に挑んでいる。魔法使いなど関係ない、ただ彼女は目的を仕留めるためにこの場に立っている。ただ、それだけだ。
「……そうだ。たった、それだけだ。」
女性にしては少し低いアルトの声。どこか掠れたその声で呟いてから、彼女は駆け始める。ここから本格的に任務開始ーー感じた風は、どこか血の臭いがした気がした。
――それからわずか数分後のことだ。
広い広い、ひとつの部屋。無駄に装飾がされたひとつの部屋。その天井の裏に、ゆらりと影が揺れる。……シェイナリウスである。
驚くほど警備の厳しいこの屋敷。その警備にある小さな穴を掻い潜って彼女はここまでやってきていた。天井裏に身を潜め、横たわり銃を構えている彼女には、気配というものがまるで感じられない。息すらもほとんど消え、聞こえるのは彼女の視線の先にあるものが動く音のみ。
眼帯に隠されていない彼女の左目は、しっかりとあるものを捉えていた。部屋に劣らず豪華なものを身につけた小太りの男。彼こそが、シェイナリウスのターゲットであるラルテューズだ。その横には、フードを被った何者かがイスに腰掛けている。
恐らくは魔法使いだろう。薄い生地で織られたローブを羽織っているその姿からは体型が分かりづらく、断定は出来ないが女性のようだ。何故わかったかというと、その動作と雰囲気である。どこか落ち着いたような、それでいて柔らかい……しかし警戒しているような雰囲気。そして“優雅”という言葉を思わせる気品ある動き。この屋敷とは似ても似つかない存在だ。
きっと、この魔法使いはどこかの裕福な家の者だろうとシェイナリウスは推測する。だとすれば、何故この者は精霊と契約したのだろうか。そして何故、このような奇妙な男に手を貸しているのか。謎は深まるばかりだ。しかし、今の自分には関係のないことだと考え、すぐにその思考を打ち消した。今は暗殺に全神経をそそぐべきなのだ。
そこで自分はまだ、未熟だなと思った。そんなことをして気づかれてしまったらどうする。自分の目的に差し支えてしまってはいけないのだ――そう、決して。
彼女の冷たいナイフのような視線がわずかに銃に向けられたと思うと、瞬時に手が構えられた銃のトリガーに触れ、指がかけられる。
――構え。
シェイナリウスの左目が鋭く細められる。
それは冷酷な光をたたえたラピスラズリの輝きのように見える。――影を映すラピスラズリの輝き。その視線の先に、ラルテューズの頭がある。ラルテューズは彼女が天井裏に潜んでいることに気づかない。魔法使いのほうにもさとられてはいないようだ。
狙うなら、今。
そう思ったシェイナリウスはトリガーにかける指にさらに力を加え、心の中で言葉を浮かべる。それは魔法。彼女の眼帯に隠された、『契約の刻印』に連なる魔法の言葉。
――使用素材、水。風。形状、弾。銃の内部で邂逅。風の形状はターゲットに当たるまで崩れることのないように。契約の元、我が契約精霊“リヒト”の力を使用する。
彼女が心の中で組み立てる言葉は、呪文などというよりも“設計図”を作っているというものの方が近い。……つまり魔法を発動するには、その設計図どおりに起こる現象を組み立てているだけといっても過言ではない。その組み立てに利用されるのが、彼女が手に持つ愛銃である。
人や精霊にもよるが、彼女の場合魔法を発動するにはまず“想像する”。魔法は何も知らない者にとって奇跡そのものである。それを自らの手で起こすというのだから、もちろん発動条件も色々あったりする。――しかし彼女はそれを涼しい顔して乗り越え、任務をこなしてきた。
そしてそれは今回も例外ではない。無表情で冷たい彼女の表情。その表情が表わしているものは必ずターゲットを仕留めることが出来るという自信と、その先にある絶対の“任務達成”の未来。
彼女は視線の先にあるターゲットを見据えると――引き金を引いた。
――発射
刹那、銃から放たれた魔弾がラルテューズの頭部を捉え――そして、そのまま貫通し、地面に強く突き刺さる。そしてその魔弾にこめられた風は形を崩し元の姿へ、水はそのまま絨毯に吸い込まれていく。これで証拠は残らない。魔弾はターゲットに命中し、貫通した直後に形状を崩すようにあらかじめ設定してある。突き刺さるといえそれは跡すら残らない。魔弾にこめた水は、空気中の水蒸気から取り込んだ、極少量のものだからだ。
任務達成。彼女はそう心の中で呟き、薄く笑みを浮かべた。しかしただそれだけだ。まだここには魔術師もいる。その魔術師も暗殺するかどうかは彼女の手に委ねられているため、ここでこの魔術師を生かすか殺すかはシェイナリウスの判断によるのだが。
見たところ、魔術師は既に戦意を喪失しているようだった。床に座り込み、呆然としているのが顔を見なくても分かる。魔力の気配も消え失せているため、おそらくは外の兵士たちも開放されているだろう。それなら彼女を排除する必要はない。シェイナリウスの所属する組織はあくまで“真の平和”のためにあるのだから。
それならばもうここにいる理由はないと、彼女は気配を消しながらもその場を後にしたのだった。
ご閲覧ありがとうございます。
何ヶ月も間があいてしまった^^;
遅筆すぎるすいませ……今回もですが自キャラのみです。
任務の話はここまでとなります。次からは結構日常の話の予定です。