振込んで
「ああ。大変だわ」
母が慌てたように電話を持って家中を走り回っていた。
俺はその様子に、やれやれと居間で息を吐き出した。
平日だけど俺はこの曜日が休みだった。
たまの休み。のんびりとしたい。なのに朝からこの騒ぎだ。
「今すぐお金を振込んで欲しいって! あの子が!」
あの子とは母のもう一人の息子。俺の兄貴のことだ。
「どうしよう? 銀行まだ開いているわよね? すぐに振込まないと」
「落ち着けよ。ちゃんと確認したのかよ?」
俺は呆れながら母に訊いた。
「だって、『俺俺』言ってたわ。お前が家に居るんだもの。あの子以外に誰がいるのよ?」
「母さん。あのね――」
「ああ。どうしよう。今すぐお金が必要だなんて」
俺が説明しようとすると、母は青ざめながらタンスをひっくり返し始めた。
「とりあえず落ち着いてくれよ」
「何を言ってるのよ。あの子今すぐお金を振込んで欲しいって。お金がないと大変だって」
「どうせ。あれだよ――」
「大変だわ。何かあったに違いないわ。やっぱり電車で半日とはいえ、一人暮らしなんてさせるんじゃなかったわ」
「だからちゃんと確かめないと――」
母は兄からの電話だと信じて疑っていないようだ。
「何を落ち着いているの!」
母は何度も俺の言葉を途中でぶち切り、タンスの奥から貴重品を探し出そうとしていた。
「落ち着いて欲しいのは、母さんの方だよ」
「あったわ!」
母が気色に顔を上げると、タンスの中からハンカチやタオルが吹き飛んだ。散らかしたタンスの中身を宙に従えて、母が通帳片手に真剣な顔で俺に振りかえる。
「あなた一日暇よね」
「暇だよ。悪かったな」
だからのんびりさせてくれ。俺はこの騒ぎに内心そう思う。
「振込んできてくれない」
「振込む必要なんてないよ」
「何を薄情な! あの子が困ってるのよ!」
「だから母さん。それは――」
「これが口座番号。電話で言ってたわ」
母は困惑する俺にメモと通帳を押しつけた。
俺はメモと通帳を片手に家を飛び出した。
我が家にはこの手の電話がよくかかってくる。
『俺俺』と名乗りもせずに話を始めるあの手の電話だ。
相手の動揺を誘い、まんまと口座に振り込ませるその手の詐欺――
「いい加減にしろ! 兄貴!」
そう、それはその手の詐欺の手口――に見せかけた兄貴の小遣いせびりの電話だ。
ばれないと思ってやがるのだ。自分の口座名に振り込ませるくせに。
母は母で、兄からの電話だと信じて疑わない。
いや、それはそれで正解なのだが、兄が詐欺を装っていることなどまるで気づかずに毎度大騒ぎする。
俺は電車で半日の兄貴の一人暮らしの家に乗り込み、本当に必要な金額を吐き出させた。
やはりほとんど遊ぶ為のお金だ。だから確認が必要だと母にはあれ程言ったのだ。
勿論家族だ。現実問題として必要な分はその場で貸してやってもよかったが――
「じゃあ。振込んでおくから。ちゃんと母さんに返せよ!」
いくらお金を借りているのかをはっきりと分からせる為、俺はわざと電話で指定された口座に振り込んでやった。




