箱庭の街
〇夢の機械
理想を現実にする機械〈如意宝珠《Make It Come True》〉通称:MICTが発表されたとき、地球上に住むすべての人類の歴史は終焉への道を歩み始めた。
ミクトに願えば何でも叶った。
不治の病が癒える。異なる国の人同士でも言葉が通じ、飢えは世界から消えた。怪我も病も恐れるべきものではなくなり、老いさえも遠のいた。
地上こそが楽園と人々は微笑みあう。今を生きる人類は史上もっとも幸福であると、夢のような世界だと誰もが口を揃えた。
だが、夢はやがて醒める。
夢の機械の発表から一年。たった一年の後、地球上から文明は消え去っていた。
ミクトは手にしたすべての者の理想を叶える。そこに善悪はなく、ただ望まれるままにすべてを叶える。欲するすべてを手中におさめることも、意のままにならぬ相手を滅ぼすこともためらいなどなく、望まれるままに実現する。
結果、世界はたちまち混乱に陥った。
わけもなく国が滅んだかと思えば、次の瞬間には元通りになり別の国が海に飲まれている。帰ってきた死者が土に還り、かと思えば生きている者が地に横たわる。
瞬きのうちに様相の変わる世界で、幸福など得られようはずもない。
混沌のなか、誰が願ったのか。ミクトがレプリカを生み出したときから、崩壊は速度をあげる。
破壊と再生がめまぐるしく入れ替わり、やがて混在し始めるのに時間はかからなかった。
いくつも生み出されたミクトのレプリカ。それらは異なる主によって、同時に存在し得ぬ状況を求められ、せめぎあった。
けれど拮抗する力で押し合っても、決着はつかない。ならば、とレプリカたちは判断した。
地球上で同時に複数の事象を実現できないならば、理想の数だけ世界を作ってしまえばいい、と。
理想を詰め込んだ世界。否、世界というにはあまりに小さな街の乱立だ。
それぞれのレプリカを核として作られた小さな理想郷。それが箱庭の街。
内側に閉じ込められたのは、理想を思い描いた者とその周囲に居た人々だ。
人が居てこそ理想が生まれる。レプリカがそう判断したがために、人類は無秩序に、無作為に、数多の箱庭の街へと封じられた。
その内側ではそれぞれのレプリカに願われた理想が理となる。理を乱さないため箱庭の街同士を行き来することは叶わず、レプリカが実現させる理想もひとつの街につきひとつずつ。
すべては理想を叶えるため。それがミクトの存在意義であり、生まれた理由。
そのために地球上から人類が姿を消したことなど、レプリカには何の関係もない情報でしかなかった。
無限に増えるかに思われた箱庭の街は、すべての人類を取り込み地球は実質、無人となった。
いや、無人となったかのように見えたけれど。
「だーれもいなくなっちまったなあ」
地球上にただひとり、残された人類。それがミクトを開発した青年、万城ハランであった。疲れた顔をした青年科学者は、空を見上げてぼんやりとつぶやく。
「どこで間違えちまったんだろうなあ、俺は」
度重なる崩壊と再生で荒地と化した大地に、ハランの声が虚しく響く。
建物も木々も何もかもが壊れたせいで遮るものが何も無いのだ。
「ひとりくらい、いないのか。誰か、誰でも良い。なあ、出てきてくれ。俺を罰してくれよ……」
返事はない。乾いた風が砂塵を巻きあげ、濁った空をかすませるだけ。
混沌の元凶である科学者はひとりきり、荒れ果てた大地に倒れ、そのまま朽ち果てる。
それ以外の未来は無い、はずであったのに。
「罰をお望みですか」
声があがる。
場違いに朗らかで、人の耳に心地よい響きを持った声。
ひとりきりであったはずの大地に現れた人影に、ハランは目を見開き身を起こす。生きることへの執着を無くし、飲食を忘れた体の重だるさなど忘れ去っていた。
相手の姿を目にしたハランは呆然とつぶやく。
「君は……」
※
〇第九九九番箱庭の街
雨が降っていた。ずっと、ずっと降り続く雨だ。街ができた時から、雨はずっと降り続けている。
この箱庭の街は晴れ空を知らない。陽光のあたたかさを知らない。
降り止まない雨は大地を呑み込み、人どころかいかなる生物の営みすら押し流してしまう。
降る雨と、雨に打たれた水面がさざめく他は動くものも無く、静かで悲しい街だった。
その静けさが破られたのは、突然。
「うっわ、びしょ濡れだ。なんだここ、水浸しじゃねえか。ったく、この街の人口は?」
「推計十五です。街として形を得た時点では数百人ほど、その後、理想とした状態を実現させるために存続できなくなった個体が多数いたと推測されることから推測しました」
曇天を割って現れたのは、一組の男女。白衣の研究者は万城ハラン。青年の姿のまま、いくらかくたびれた様相をしている。
もう一方は二十代前半の中肉中背の女性である。こちらは髪の毛一筋の乱れもなく、お手本のように姿勢正しい。
水浸しの世界に降って来たふたりは、運よく浅瀬に着地したようだ。それでも膝まで水に浸かり、ハランの白衣のすそは水を吸って重くなる。
「ミクトの権限でコアになってるレプリカに接続することは?」
「試行します……接続失敗。レプリカは街を閉じた段階で機能の大部分が破損、現在は残存機能により街の創造主の願いを存続させている状況です。接続には時間がかかりますが、再試行しますか?」
ミクトと呼ばれた女性は、なめらかな聞き取りやすい声で答えた。その声音と返答はまるで、AIアシスタントの話すそれ。
それもそのはず。ミクトは〈如意宝珠《Make It Come True》〉がハランの願いに応えて人型を取った姿であった。
「あー、となると、創造主のほうを止めるしかねえわけだ。じゃあちょっと時間かかっても良いから接続して相手の情報さぐってくれ」
「了解しました」
「しっかし、まあた力技かあ。俺は科学者なんで、荒事より頭脳労働のほうが性に合うんだがなあ」
「記録によると、マスターはこれまでに遭遇した箱庭の街のうち七割近くを物理的に破壊しています。七割のうち、マスターの思わぬ形で破壊された街は二十三。それ以外については進んで破壊行為をとっていたと判断します」
ハランがぼやけばミクトがすかさずつらつらと述べる。その口調に責める調子はなく、彼女の顔にもそれ以外のいかなる感情も込められてはいないように見えたが、内容は明らかにハランを詰っていた。
長い付き合いだ、それがわからないハランではない。思わず彼は視線をそらす。
「でもほら。精密機械だって、最終処分はぶち壊すわけだし? 機能を停止させるのに一番確実な方法って物理的な破壊じゃない?」
「マスターは……変わりましたね。二桁台の街を相手にしていたころは、頭脳戦が主だっていました」
「そりゃまあ、変わらざるを得ないでしょ……相手があんなのよ?」
あんなの、とハランが指差した先では、水面がざわつきだしていた。
雨粒を受けてさざめくのとは明らかに違う。ごぼごぼと湧きあがるように波打つ水面から飛び出したのは、ヒレを持つ異形であった。
「わぁお、なにあれ」
ハランが顔を引きつらせるのも無理はない。
異形は人の上半身に魚の下半身を持っていた。それだけならば伝承にある人魚と変わらない、幻想的な姿だと言えただろう。
しかし目の前にいる異形は人の形をした上半身にもぬるりとした鱗を生やし、頭部は人のそれより魚に近い。顔の側面にある目はやけに大きく、深海魚めいている。鼻梁はほとんど無く、穴だけが顔の中央にぽつぽつと空いている。
頭頂部にはヒレらしきものが伸び上がりながらも、後頭部には頭髪がバラバラと伸びている。
人と魚とを乱暴に掛け合わせたような歪な生物が、宙に躍り出た。
「あえて呼称するならば半魚人と呼ぶべきでしょうか」
「冷静に言ってないで、ミクト! 武器くれっ」
飛びかかってくる半魚人の手首から肩にかけて、ヒレを長く尖らせたような部位が生えていた。刃物のように鋭い膜がハランとミクトに迫る。
「武装よりも機動力を上げることを推奨します」
緊迫感にそぐわない声が告げた途端、ミクトの体が形を変えた。
人の姿からサーフボードへ。
形態変化をしたミクトはハランを乗せて、水上を駆け抜ける。スタートからトップスピードを叩きだした。
「うおっ! ちょっと、ミクトさん!? 俺、サーフィンしたこと無いんっ、だけ、どっ!!」
後部から噴き出す空気を推進力に、ボードは水の上を跳ねるように移動する。その様はまるで水切り石だ。
サーフボードの上のハランは、土下座でもするかのような姿勢でようやく振り落とされずにしがみついていた。
『マスター、操縦してください。現在、私はサーフボードへの形態変化、大気の噴出による推進力の向上等に手一杯で、操縦にまで力が回せません』
「うっわ、まじかよ! いや無理、落ちる、落ちるって!」
機会音声で告げながらミクトが全速力で水面をかき分ける、その後ろから半魚人が追いかけてくる。
速度は同じくらいなのだろう。急発進して稼いだ距離がすぐに縮まるわけではないが、ハランという荷物を乗せている分サーフボードのほうが分が悪い。
じりじりと迫りくる半魚人。加えて、別の方向から新たな個体が数人姿を現し、一斉に迫ってくる。
「無理無理無理、逃げらんねえ。せめて武器! ミクト、戦えるものちょうだい! 精密な武器は今無理だろうから、長いやつ! 水にぬれても壊れないの! えっと、ランス!」
『承りました。生成、ランス』
ハランの手元で空間が揺らいだ、直後。
「あっ、ぶねー!」
悲鳴めいた叫びをあげたハランは、飛びかかってきた半魚人の腕刀をランスの柄で防いだ。
水中に叩き落としたランスを返す動きで、もう一匹の半魚人を弾き飛ばす。その水しぶきが消えないうちに、新たな個体が襲いかかってくる。
「おいおいおいおい、数が多いな? お前ら、ここで待ち合わせでもしてたのかよ!」
次々と飛びかかってくる半魚人たちの鋭い腕刀をハランはランスの柄で振り払う。時折、隙をついて先端の刃で攻撃を試みるも、半魚人の鱗はそうとう硬いらしい。鈍い音を立てて弾かれる。
ハランはランスを縦横無尽。科学者というより武芸者というべき働きを見せるが、襲いかかってくる半魚人は減るどころか増える一方だ。ぐっしょりと濡れたハランの身体は、かすめた半魚人のヒレや異様に鋭い爪によって少しずつ傷つき、白衣がじわじわと赤く濡れていく。
「ミクトさんや、解析まだ終わんねえの!?」
叫んだハランの頬を血が伝う。気合いで避けて軽症を重ねているハランだが、四方八方から斬りかかられては避けようもない。
一斉に飛びかかってきた半魚人を「うぉおおりゃあ!」と跳ね飛ばした、その直後。半魚人の群れがもう一団、水面から飛び出す。
ハランは気づいた。けれど思い切り振り抜いた姿勢からでは、応戦できない。
「あ、やべ」
いよいよ半魚人の腕刀がハランの首を狩る、その寸前。
『解析完了。最適な対処法を提案します』
ミクトの涼やかな声がして、瞬く間にサーフボードが形を変えた。
ギィン! 腕刀が弾かれ折れて、雨空の彼方に飛んでいく。折り飛ばしたのは、ハランを囲むように形成された流線型のボート。ひとりがようやく乗り込めるほど小型のボートだが、操縦席を覆う透明のカバーの硬さは半魚人の折れた腕刀が示していた。
「あっっっっぶねー! 首、飛んだかと思った! え、首ついてる? なあミクト、俺の首ちゃんとくっついてる?」
『マスターの首が飛んだ場合、ただちに修復いたします。現在の処理能力でしたら、切断による絶命は復元可能です』
「えっ、それって一回首取れてた? ちょっとミクトさん、今の返答どういうことっ?」
ハランは操縦桿を握る手を離し、思わず自分の首をさする。
『マスター、レプリカへの接続に成功。この箱庭の街の創造主について情報を得ました』
そんなハランに対し、ミクトが冷静な声で言う。遊んでいる場合ではないと、ハランは表情をひきしめた。
『レプリカが接触した創造主は二十八歳。男性。十代を水泳選手として過ごし世界選手権の代表選手候補となるも記録が伸びず、代表に選ばれることはなかったようです』
「あー……それで、あれか。誰よりもはやく泳げるように、とか願ってああなったわけか」
ハランは嫌そうに後方に目をやる。
そこには、ボートに向かって水しぶきをあげる半魚人。先ほどまで襲ってきていたものたちよりひときわ大きく、より魚類に近い形態をした個体が波を裂いて迫っていた。
「うっわ、はやあ……あれ、もう泳いでるというより飛んでねえ?」
ぐんぐん追いついて来る半魚人は一体きり。他の個体は適応のために半魚人になった一般人か、あるいは創造主の願いに巻き込まれて形態変化してしまった人間なのだろう。ボートの形をとったミクトには追い付けないようで、見えなくなっていた。
「んー、でも元水泳選手ならスピード勝負して勝てば、願いが打ち砕かれてレプリカが露出したり」
『その可能性は低いでしょう。創造主の願いは「誰よりもはやく、強い水泳選手になりたい」というものであったとレプリカに記録されています』
「ああ、強く……ね」
もしかして戦闘にならずに済むかも、というハランの期待はあっさりと打ち砕かれる。
人の身に魚の特徴を持つだけでなく、腕に刀めいた部位を持つのは創造主が強さをも求めたためなのだろう。
「まーた荒事かあ」
ぼやきつつもハランは操縦桿をしっかりと握り、目つきを鋭くする。直後、操縦桿を思い切り左に切り、飛びかかってきた半魚人を避けた。
「ミクト! ボート右側面から扇形に五本、矢を射出!」
『承りました。射出』
右腹に水飛沫をうけて傾いたボートの側面に、突如として開口部が並ぶ。暗い穴から矢が一斉に飛び出した。
「ギアァッ!」
肩を射抜いた銀光に半魚人が悲鳴をあげ、水に落ちる。だがそれで終わるほど甘くはないと、ハランもミクトも知っている。
『真下から来ます!』
「全速前進っ! 四秒経過のち、後方へ金属製の檻かご投下!」
『全速前進、かご投下』
ハランの指示通り、ミクトが勢いよく走り出した真後ろに半魚人が飛び出した。腕刀で切り上げるつもりだったのだろう。鋭い刃を突き出した姿勢のまま、ボートから投下された檻に閉じ込められる。
それを確認して、ハランを乗せたボートは停止した。
「アアアァ! ドウシて! どうシテッ!」
捕えられた半魚人が檻の中で叫び、暴れている。
速く、強くと求めて得た体でなお、負けたことが信じられないのだろう。
ボートのカバーを跳ね上げて出てきたハランは、哀れな悲鳴に息を吐く。
「理想を現実にするためには、どんだけ自分の望みを理解して正確に思い描けてるかが大事なんだよ。中途半端であやふやな空想なんぞに俺が負けるか、ってんだ」
『マスター、私の理解度で製作者にかなう人類はそうそう居ませんよ』
操縦席のあたりからミクトの声が上がったとき。
ぎゅる、と水面が渦巻いた。
「おっと、核が動き始めたみたいだな? 君の甘い言葉をもっと聞いていたかったんだが」
そう言う間にも水の渦は大きく速くなる。そしてみるみるうちにあたりの水のかさが減っていく。まるで、排水溝に吸い込まれていくかのように。
『甘い言葉をご希望でしたら、後ほど承ります。今は目の前の事象に集中してください。街の核となっているレプリカを捕捉しました』
ミクトの言葉どおり、ぐんぐん減った水の底に現れたのは人の頭ほどの大きさの多面体。如意宝珠の本体を複製したレプリカは、望まれるまま自らが生み出した大量の水を取り込んでいく。異常事態に対応するため、力を集約しているのだろう。
『ガ、ガガ……願イ、ヲ叶えマ、ガガ……』
雨はいつの間にか止んでいた。静かな空間を雑音混じりの音声が揺らす。
レプリカは壊れかけながらも、創造主の願いを邪魔する者を排除しようとしていた。オリジナルを理解していない人間が想像し、生み出したレプリカの能力はオリジナルに遠く及ばない。とはいえ、人の願いを叶えることが存在意義であることに変わりはない。
『ガッ……ネカ、ガィヲ……ガガガッ』
まともに機能しない状態でもがくようなレプリカは、あまりに哀れだった。
その姿を遠目に見つめて、ハランは静かに口を開く。
「ミクト、レーザー銃を」
「はい、マスター」
水が引き、ハランの足が地についたことでミクトが人型を取り直す。
レーザー銃は過去に破壊したいくつかの街での使用経験があった。形状や威力について詳細に述べなくとも、履歴をたどって生成が可能だ。頷きをひとつ、ミクトの身体がすらりした硬質な銃へと形を変える。
ハランは手の中に落ちてきたライフル型のレーザー銃を構えた。
「今日までよくがんばった。静かに眠れ」
つぶやくのは、レプリカに向けた餞の言葉。
狙うべき箇所を迷いはしない。ミクトの機能だけでなく構造までも、ハランは熟知している。外殻で一番弱い箇所に照準を合わせ、引き金を引いた。
キンッ。
澄んだ音が響いてレプリカがばらりと砕け、雑音めいた音声は止んだ。
あまりにもあっけない終わりだった。それを見届けたハランが空を見上げる。
「さあて、仕上げのはじまりだ」
しん、と静まり返った箱庭の街の空に、音もなく大きなヒビが入る。バラバラと空が壊れて落ち始めれば、広がるヒビ割れはもう止まらない。
「ア、アあ、どうシて!」
崩壊は檻の中の半魚人にまで及ぶ。硬質な鱗がボロボロと崩れて落ち、強固なはずの腕刀までもぐずりと壊れた。そして残されたのは、ひとりの男。
「どうして奪うんだ! 俺が、ようやく俺が一番になれる世界だったのに!」
涙と唾を飛ばして髪を掻きむしる男の前に立ち、ハランは肩をすくめた。
「そりゃ悪かったな。でもお前が自分の都合を優先するのと一緒で、俺には俺の都合ってもんがあんのよ。ってなわけで、みーんなまとめて地球におかえり〜」
箱庭の街が足元まで崩れて、落ちていく。残骸とともに落ちていくのは、呆然とする男と、人の姿を取り戻した生き残りたち。
突然のことに理解が追いつかない彼らを迎えるのは荒れ果てた地球、ではない。
「ずいぶん緑が戻ってきたな。海も、色が落ち着いてきた」
「私の処理能力の大部分を割いていますから。『地球環境の回復』というマスターの願いを叶えるためです」
箱庭の街を破壊した外側には緑生い茂る大地と、鮮やかに陽光を跳ねさせる海が広がっていた。
※※※
背中に翼を生やしたミクトに支えられ、地上を眺めたハランはまぶしそうに目を細める。
ハランとミクトはずっと箱庭の街を、レプリカを破壊しながら地球環境の回復に力を注いできた。
ミクトが人の形をとった時から、彼女の機能の大部分はずっと地球の修復のために使われている。
すっかり元通りには戻らないと知りながらも、ハランが望んだのはかつての世界。〈如意宝珠《Make It Come True:MICT》〉が作られるより前の、不便と理不尽に苛まれながらも人の営みが続いていた世界だ。
ハランのために使用されている機能はほんの一部。彼を不老にし、武器や乗り物へと形態を変えること。そして、ミクトが人の姿をとって彼と共にあることだけ。
「かなり時間をかけたけど、まだまだ完全回復とはいかないよなあ。俺だって世界じゅうの土地の植生やらを全部覚えてるわけじゃないし」
「私の内部に崩壊前の地球の情報がインプットされていれば良かったのですが」
完成直後、他者の手によって持ち出されたミクトは機能だけを保持し情報はまっさらなまま。持ち出した本人はとうの昔に理想の街ごと破壊されて、今ごろは文明の滅んだ地球上で生きているのか、それとも死んでいるのか。
調べようと思えば調べられたけれど、ハランは知るつもりがなかった。
箱庭の街から引きずり出した人々がかつてのように暮らしてくれれば良いという願いは、ハランの身勝手なものだから。
地球に戻された彼らが生きようと足掻こうがすべてを諦めて朽ち果てようが、すべて彼らの自由なのだ。
「無いもんはしょうがねえ。生物が生きて暮らしていける状態に戻せただけ、ありがたいってもんだ」
ミクトは願われればなんでも叶えられる。それは裏を返せば、願いがあやふやではなにもできないということでもあった。そのため、詳細な情報の残っていない地球の復元には、ひどく時間がかかる。
「まあ、これからもぼちぼち頼むよ。できる限り、元に戻したいんだ」
「承知しています。時間はかかりますが、最善を尽くします」
「ん、ありがとな」
ぽん、とハランがミクトの頭をなでる。それきり、ハランは遠くを見つめたまま黙り込んだ。
「マスター?」
いつもであれば、地球に戻った人々の動きを見届けてから次の箱庭の街を探しに出かける。
けれど第九九九番目の街から落ちた人々は、すでに三々五々散ってもう見当たらない。だというのに、いつまでも指示を出さないハランにミクトが疑問の声をあげた。
それに振り向かず、ハランは遠くを見つめたまま。
「だいぶ、レプリカたちも減ったよな」
つぶやいたハランの視線の先には、緑に覆われつつある荒地があった。
かつて、緑が消え大地が荒れ放題だったころには空に地面に濁った海に、レプリカが形成した箱庭が浮かび、転がり、あるいは水の中を揺蕩っていたものだけれど。
「はい。故障や予期せぬ変化によりレプリカの電波を捕捉できないことを想定しても、残数は千を下回るものと推測されます」
「半分、終わったんだなあ」
しみじみと言ってから、ハランはミクトに視線をやった。
「……なあ、ミクト。俺の理想が叶ったら、すまんが一緒に死んでくれ」
ミクトに告げるハランの真剣な顔。その表情はまるで、プロポーズでもしているかのよう。
対するミクトは不思議そうにぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「マスターと命運を共にするのは当然ですが、私の破壊後もマスターは生存可能です。老化を防ぐことはできませんが、天寿を全うできます」
小首をかしげたミクトに、ハランは笑みを返した。いつになくやんわりとした優しい笑み。
「君と共に終わりを迎えることこそが、俺の一番の理想だよ」
ハランの声に愛おしさがにじむ。
嘘ではなかった。そもそも、ハランが理想を現実にする機械を作ったのは、亡くしてしまった最愛の人にもう一度会うため。
会って、二人で一緒に死ぬために、ハランはミクトを作り上げたのだから。
完成と同時に奪われ、公表されてしまったことは彼にとって予想外のことであったけれど。私欲のために世界の破壊を招いてしまったハランが罰を求めたとき、その願いを汲んだミクトがハランの最愛の姿をとったのはうれしい誤算であった。
「君と色んなところに行きたい。その願いはずっと叶えられっぱなしだ。俺は罰を求めたはずなのに、ずっと幸せでいいのかなあ」
ミクトがハランの願いを叶えてくれる。叶え続けてくれている。
彼女が最愛の人でないとわかっていても、ハランにとっては幸せな時間だ。ふと横を見るとそこにいる最愛の姿に幸せを感じ、幸せを感じてしまう自分に罪悪感を覚える日々。
「私は願いを叶えるために存在します。願いが叶えば人間は幸福を感じるものです。よって、マスターが幸福を感じていることは、私にとっても望ましい状態です。罰については、レプリカを破壊する過程で肉体的な死を何度も体験していることが該当すると考えられます」
けれど罰は受けているとミクトに言われてしまって、ハランは苦笑した。
「そっか……悪りぃな、レプリカどもはお前の子も同然なのに」
今さらだけれど、と謝るハランにミクトは首をかしげる。
「あの子たちはオリジナルの私とマスターが居たからこそ生まれたのです。言わば、マスターと私の子たち。子のお尻を拭いてあげるのが親の役割というもの、とマスターから聞きました」
「そんなこと言ったっけか? まあ、でも俺とミクトの子、か。違いねえな。それじゃ、終わりまで俺と走ってくれるか?」
ハランがミクトに手を差し出せば、ミクトはためらいなくその手をとる。
「もちろんです、マスター」
「死が二人を分つまで、ってな!」
ハランとミクトは手を取り合って、次の箱庭の街を探して飛び立った。




