9. 困らせていいのは
レティは拳を握りしめ……躊躇った。倒すだけなら、このまま魔力をぶつければよかった。しかし、今回は捕獲と救出である。小さなコントロールも難しい魔法もできないレティは、下手したら全員消し炭にしてしまう可能性があった。
「どうしましょう……」
女生徒と、迷うレティの目が合った。
教師陣がこちらにやってきている。ルネは観覧席にいて、ヴァネッサは競技中。待っていれば、誰かが助けれくれるのは分かっている。それもたった数分だ。しかし、目の前で傷つけられている人がいるのに何もできない自分をレティは許さない。
「凍れ」
何者かに抱き寄せられる。ヒヤシンスの匂いが、レティの鼻を掠めた。至近距離で、パチンと指の鳴る音がする。
一瞬にしてピクシーは凍り、落ちた女生徒は風魔法によってふわりと着地した。腰を抜かしている様子だが、ひっかき傷の他に外傷は見当たらない。
「殿下!」
会場の反対側にいたはず殿下が、汗一つ垂らさずに涼やかな顔で、レティの側にいた。
ホッとしたレティが女生徒に駆け寄ろうとするのを、何も言わずにただ力だけで引き留める。
「レティ、大丈夫だよ。君ができないことは、僕がやるからね」
殿下は整った顔が最大限美しく見える表情でレティの頭を撫で、強く握りしめすぎて血がにじむ手を優しく開き、無詠唱で治癒魔法をかけた。綺麗になった手のひらを見てレティはお礼を言い、力だけの拘束をより大きな力で何事もなく抜ける。殿下はまた、キュンともなんとも思ってもらえなかった。
「大丈夫かしら? すぐに助けてあげられなくてごめんなさい」
「い、いえ。その、後ろ……」
「ん?」
物凄く怯える様子の女生徒に言われ後ろを向くが、そこにはニコニコと笑う殿下しかない。
「どうかしたの?」
レティがまたこちらを向けば、殿下は冷酷な顔でピクシーを潰そうとする。紫雷を手にまとわせ、抹消する気満々だ。
「レティを困らせていいのは、僕だけなんだよ」
「困……?」
「なんでもないよ、レティ」
なんとも恐ろしい言葉を吐いて消そうとした瞬間、レティの地獄耳と野生の勘が働く。氷漬けのままだったピクシーは間一髪で助かった。
「殿下、その氷漬けのピクシーを渡してくださいまし」
「……それがレティの望みなら」
レティはピクシーを受け取り、思いっきり振りかぶって……かなり離れている観客席に投げた。剛速球のピクシーを、ルネが魔法で受け止め、反動で吹っ飛ばされそうなルネを周りが支える。
「ルネ!! そのピクシーを調べて、契約主や魔法をかけた人を見つけて!」
観客席までばっちり聞こえる大きな声に、殿下と女生徒の鼓膜は死んだ。もちろん、拡声魔法なんて使っていない。
『わかりました』
「アネットは出入り口を封鎖、ヴァネッサはアネットの側で怪しい人の対応をお願い」
「はい!」「御意」
アネットとヴァネッサが走る。殿下は密かにため息をついて、動揺する観客席を鎮まらせた。魔力や威圧を感じられるものには力で、そうでないものには言葉で。
「ロラはこちらに来て、このような場合にどのような法がてきよーされるのか教えてちょうだい!」
レティは適用という言葉がわからない。それでもいいのだ。
その後もレティは指示を出す。これ以上何か仕掛けられていないかを調べること、入場者リストに不審なものがいないかの確認、偽装魔法を破れる者による調査。誰が何に向いていて、何ができるのか、この学園で一番理解している存在がレティだ。自分を頼ってほしい殿下にとっておもしろくなくとも、人手は多い方がいい。
「学生にとって一生の思い出である体育祭を台無しにするなんて……絶対に叱ってやるわ。もう二度と、こんなことはさせない」
レティは怒っていた。絶対に謝らせると心に決めていた。
……が、間接的にとはいえレティが傷ついた時点で、殿下が首謀者を消すことは確定していた。