7. なんて人たらし
「へっくしゅん。また誰か私の話をしているのね……ズビッ」
「レティ様、そちらの資料はお読みになられましたか?」
「え、資料……? あ」
刺客騒ぎに方が付いた時分の平和な放課後の事。鼻をかんだちり紙……ならぬ資料を見て、レティは固まった。
「私、紙の無駄遣いを!?」
普通鼻にあてた時点で気づくものだが、レティはものすごく鈍感で、大雑把だった。
レティは侯爵令嬢ながらも、紙を作るのには労力がかかり、高くはないが安くもない値段だと知っていた。
庶民出身のアネットが「レティ様の鼻水を拭えた時点で、紙としては役目を果たしています。大丈夫です!」と謎のフォローをする。
「これも紙だものね! ハッ……でも、これでは読めないわ!」
「……ご安心ください、レティ様。予備がこちらにあります」
ルネの手には予備の資料が五冊子もあった。
「ありがとう、ルネ! さすがだわ……ってでも、またそれも無駄遣いじゃないの!?」
予備というのは、何かあった時に使うものである。あからさまにホッとしたレティは、すぐに慌て始めた。なんてせわしない。
「いいえ、レティ様。この資料は、魔法で印字されています。ですから……」
ルネが指を振ると、文字は光の結晶……魔素となって消えていった。レティは感嘆の声と共に拍手し、他の親衛隊員はゾッとする。誰も真似できないほど高度な魔法だ。ざっと数千……数万の術式を組み合わせないと発動できない。それを無詠唱で、杖も使わずにやってのけた。
「綺麗……凄いわ、ルネ! これで紙の無駄遣いをしなくて済むわね!」
「レティ様だけです。こんな魔法を、褒めてくれるのは」
凄いのは皆分かっている。しかし凡人というのは、その魔法のより有効な活用方法を想像してしまう。
が、レティは馬鹿だったため、わからなかった。ただ純粋に、綺麗で凄いと思った。
「こんな魔法だなんて言わないでちょうだい! これは凄い魔法よ!」
「……はい。私もそう思います」
「凄いわ! 凄すぎるわ! ルネは凄い!」
魔法の天才、ルネ。その能力は殿下と同等以上であり、誰よりも魔法を愛する少女。
背丈が小さくて少々内向的な彼女は、周囲からの期待に怯えていた。周辺諸国への牽制となる魔法を、世界を前進させる大魔法を望まれる中で、徐々に魔法が使えなくなってしまっていた。そこに現れたのが、何も知らない、初級魔法しか使えないレティだった。ただなんとなく、手遊びのように使っていた雪の結晶を出す魔法や、蝶を寄せ付ける魔法を、今のように無邪気に喜び、凄いとはしゃいだ。
「ありがとうございます、レティ様」
ルネが親衛隊第一群にいる理由だった。じんわりと心の中でレティの反応を噛みしめながら、予備の資料を渡す。レティはニコニコと受け取って、ふむふむと読み始めた。一枚目にはレティシア・オベール用とだけ書かれており、その時点で学園長直々に用意したものだと分かる。レティが見せていいと判断するまで、親衛隊員は確認することができない。
「ふむふむ……そうね、新学年ということは、もうすぐ全校体育祭だわ!」
全校体育祭とは、学園における二大行事の一つである。
魔法や体術の集大成ともいえるもので、全学年を混ぜた二組に分かれ、様々な競技で争う。魔法による決闘や、体術によるバトルロワイヤル。技術で争うパフォーマンス部門や、力を合わせる団体競技など。とても華やかで、一般入場も可能な特別な日。
戦力バランス的にレティと殿下は必ず違う組に配置されるため、一番の目玉である混合対抗の最終決戦では未来の夫婦喧嘩だと毎年騒がれている。一学年ではレティの単細胞を利用して殿下が勝ち、二学年の去年は圧倒的質量差でレティが勝った。つまり、今年こそ真の勝敗が決まる……はずだった。
「それでレティ様。資料にはなんと……」
レティの勇姿を思い出し、親衛隊員が微笑む一方、レティが目を見開く。口をはくはくと開けては閉めて、資料を握りつぶさん勢いだ。様子がおかしいレティに声をかけようとしたところで……
「わ、私、体育祭に出られないの!?」
────レティの大きな声が、学園中に響いた。