57. 愛する人のためならば
『単刀直入に申し上げる。レティの記憶とカピティアの未来を交換しよう』
無遠慮な態度で告げたことに、レティは首を傾げる。記憶がないから、カピティアがなんなのかもわからないのだ。
他国の未来と好きな人の記憶を交換する、とんでもないことを言っているのだと気づいていない。
『話にならないな。それは君が決められることではない』
神は呆れた。人でなしなのはよく知っていたが、特異点である天才を、恋はここまで馬鹿にさせるのか。
否定されたのに、殿下は動じない。
『貴方は知っているはずだ。今後、カピティアは廃れていく』
『……残念ながら、ワタシは全能ではないよ。君たちがここへくるのを予想できなかったようにね』
少し考えればわかる話だった。未来がわかるのなら、レティの記憶が等価交換されることも、その記憶を取り戻しにくることもなかったのだ。
しかし殿下は嗤う。神は嫌な予感がした。
『五十年戦争の原因となった瘴気汚染は解決していない。今回の件も含めて、彼らは侵されながら搾取もされていく。新しい資源などは見つけさせない。利益は全てセリタスのものだ』
運命なんて関係なく、カピティアは自分によって廃れるのだと。
神は下衆さに辟易とした。こいつに力を持たせてはいけない。あまりにも欠陥人間すぎる。
『……だが、レティの記憶が戻れば話は別だ』
突然自分の名前が出てきて、レティは殿下を見上げた。
『レティはそんなことを許さないし、僕を止めるだろう。その上で、国として成り立つように支援もする。ただ金を渡すのではなく、技術的な面をね』
それはそうだ。レティは非人道的なことを許さない。この悪魔を抑えてくれる唯一の人であり、この世で一番の良心で、だから重宝されている。
殿下の思惑に、神は薄々気づき始めた。
『その使者たちは、皆レティによって助けられた者たちだ。レティの力を使って派遣する』
その様子を見て、もうひと押し。レティの記憶能力は人生に影響する。何か困っていた時に、そっと適材適所を教えてくれる。権力者がせっかく搾取していたのに。
レティの良い所は、殿下にとって不都合な所だ。
『半永続的であり、多くの人間の生き死にが変わる。対価としては充分だろう?』
レティの記憶を戻さないならば、隣国の数百万人を自分の手で殺す。等価交換の皮を被った脅しである。
神は無いはずの心の中で白旗を上げた。降参だ。殿下があまりにも酷く、またレティが善すぎた。殿下一人を残して大変な目に遭うのは、大勢の人間や神の方である。
『……君は他人なんて助けないと思っていたよ』
『レティのためならなんでもするよ、僕は』
その通りでしかない。殿下はレティを抱き寄せた。レティは難しい会話についていけず、美男子の悪人面を興味深く見ている。
『だからワタシは君が嫌いなんだ、クローヴィス』
『お褒めに預かり光栄だよ』
『うっわぁ、嫌な笑顔。さっさと帰ってくれ』
天秤は釣り合った。光の粒が集まってくる。少しずつ記憶が戻りながら、レティは尋ねた。
『神様って、一体何者なの?』
『ワタシはこの世界を任されている者、つまり管理者さ』
『それは大変ね……お疲れ様』
上司こと創造主にすら労われたことのない神は、優しさに染み入った。末永く、この人の形をした魔王を押さえつけていて欲しいと願った。
『……ラエティティア、なるべく長生きしておくれ。できればクローヴィスより長く』
『まぁ! 殿下、私ったら神様から長生きして欲しいって言われてしまったわ』
『これは僕からもお願いしたいかな』
レティはくふくふ笑う。殿下はおいて逝かれた時を想像して身震いがしていた。
『ごめんなさい、約束はできないわ。だって、殿下を許していないのだもの!』
神からのお願いを断る令嬢とは、一体。




