46. 食えない王様
ホテルに着いて、殿下は深呼吸する。このままレティを閉じ込めてしまいたい欲を抑え、今まで一番効果があったように恋心は見せない。レティの心を手に入れるためとはいえ、とても辛い。
そんなことを知らないレティは、一番良い客室には驚き、金髪を潮風になびかせながら海を眺めている。
基本的に、公式訪問であり賓客の位が王族である場合、王宮に泊めるのが普通だ。しかし、貿易国であるカピティアには一度に複数の賓客が訪れることもある。そのため、他国の王族を泊める専用の宿……ホテルがあった。王宮内と変わらない質のもてなしが受けられ、王宮への渡り廊下もある。
「レティ、歓迎式典があるからそろそろ着替えてきてくれないかい?」
「え!?」
「大丈夫だよ、ドレスは用意してきたから」
サイズすら完璧なのだ。レティが一日の流れを忘れることなど、殿下が把握していないわけもない。殿下はベルを鳴らして自国から連れてきたメイドを呼び出し、レティは着替え用の部屋へ連れて行かれる。
レティはドレスに紫があまり使われていないことに驚いていた。が、実は髪を結い上げている髪飾りには、バッチリと大きなアメジストがあしらわれていた。花の模様も全て異常な愛を示すもので、メイドはその執着に引いていた。他国に来ても、殿下は牽制をかかさないのだ。
「……変なの。っあ、違うわよ。あなたの腕は素晴らしかったわ。ありがとう!」
「存じ上げております。そう仰っていただき光栄です」
何があろうと、顔色ひとつ変えない。メイドはプロだった。殿下は髪飾りをつけたレティを見て微笑み、歓迎式典へ向かう。
豪華に飾り付けられた馬車に乗り、民から手を振られて、レティは手を振りかえす。無邪気なレティを横目に、殿下は静かに観察していた。最前列の奴らは仕組まれているのか、異様なほど好意的だが、後ろへいけばいくほどに敵意が滲み出ている。先の戦争の怨恨はまだ残っているのだ。
軍楽隊の演奏は弱く、パレード自体に軍事力が見えない。戦争からの回復を見せるつもりだったのだろうが、逆効果だ。
歓迎の言葉では、政府高官が当たり障りのないことを話し、王と王妃は王宮のバルコニーで座ったまま、何も発さなかった。距離が遠く、顔もよく見えない。
「……何事もありませんでしたね」
「ああ、そうだね」
馬車の上にいたこともあり、一般市民が襲うことは不可能だった。魔法を使って狙うにも、貴族でなければ使えない。歓迎式典で何かが起こる可能性は限りなく低かった。
「では、私お風呂に入っても?」
「っああ、もちろん。うん」
レティは何も思わずにそう言う。殿下にとってはここからが大変なのだ。湯上がりのレティが、隣のベッドで眠る。ここまで心乱されることはない。
その晩、殿下は眠れなかった。レティの寝顔はやはりあどけなかった。
翌日の会談で、大臣に応接室まで案内される。もう一度、通訳は必要ないのかと言われた。殿下は内心で、大臣の方が必要なくらいの発音だと毒付く。しかしにこやかな笑みは剥がさない。
「通訳はいらない。僕たちは話せる、そうだろう?」
「ええ、私は未来の国母ですもの」
殿下が複数ヶ国語話せるのは当たり前として、なぜレティが話せるのか。
頭の弱々なレティは文法や語法などは理解していない。ただ、今まで会った人々との会話の記録と野生の勘が合わさった結果、喋ることだけはできるのだ。相手が何を言っているのかなんとなくわかり、言いたいことを自分の知っている言葉に変換して返せる。
「では、行こう」
「はい」
応接室の扉が開く。
「クロヴィス殿下、レティシア様。我が国へようこそおいでくださいました」
国のためとはいえ、ここまでのことをした人はどんな顔をしているのかと、レティは無意識にそう思っていた。
「改めまして、私はカピティア国王のエリオットです。ご訪問を心から歓迎します」
しかしそこにいたのは、自分達とあまり歳の変わらないような若い男性だった。癖のある茶髪で目が悪いのか大きな丸メガネ。しっかりと着ているが、どこか緩んでみえる。愛嬌のある笑みだ。
……とても、人が良さそうだった。




