43. 国母ならぬ聖母
避難所は西部の大聖堂になっていた。奥の部屋には重症者が、広い礼拝堂には怪我人を含む避難者が集められていた。
レティはすぐに手が必要な場所がないか聞き、そして動く。
「包帯と消毒ポーションを」
「あ、ありがとうございます」
「早く治りますように!」
レティは走り回って、医療品を配っていた。暗い雰囲気の避難所の中で、明るく振る舞い、皆の無事を喜び、怪我の心配をする。
多くの者には救いに見え……そして少数にとっては目障りだった。
「無傷のお嬢様が、こういう時だけ動いて偽善者気取りか!?」
とうとう、南部から逃げてきた男が叫ぶ。年老いた母が重傷を負ったらしく、その目にはやりきれない怒りがあった。東部でレティに守られていた者達が、怒りのままに取り押さえようとするが、レティはあっけらかんに宣う。
「無傷だから、あなた達のために動けるのよ!」
偽善者とか難しい言葉は、レティにはわからないのだ。レティの脳内辞書は、使うか、印象に残っている言葉しかない。偽善者とたまに言われることもあったが、皆が口を揃えて覚えなくていいというものだから、本当に覚えていなかった。
「大丈夫、あなたのお母様は私のお兄様が助けてくれるわ。きっとよ」
その上、傷を負ってまで皆を助けていたことを当然だと思っているレティは、無傷ではないと言わない。今は無傷だからと、そのままに受け取ってしまった。
男に怒ることもなく、逆に励まして、レティはさっさと医療品を運ぶ。運んだ先で治せるものは治し、励まして、そしてまた走る。男は東部の者から話を聞き、自分を恥じた。レティに謝ろうとしたが、走るのが早すぎて話しかけられなかった。
「勇者様なの!?」
そんな中で助けてもらった子供が尋ねる。レティは目を丸くしてから、にっこりと笑った。
「勇者様もいいけれど、私は未来の国母よ」
「国母ってなぁに?」
「国の母……あなたたちを愛し、守る存在のことよ」
未来の国母というより聖母……と近くにいた者たちは皆同じことを思った。
「どぉして国母なの?」
「私はね、そう生まれたからよ。ノブレス・オブリージュ。貴族は民から税を集め、そのお金で守り責任を果たす。王族は、そんな貴族を含めた民を守る」
聖母どころか神である。大人たちは皆、レティを拝み始めた。
「大変じゃないの?」
子供は純粋にそう言った。大人達は、ただ黙り込んだ。肩書きばかり見て、この偉大で小さな少女に全てを背負わせているという自覚がなかったのだ。
「私は幸せで強いから。そんなことないわ」
が、空気の読めないレティは笑う。
レティは子供を撫でて、また走り回った。
「……汗を拭きたいわ」
疲れた、とは言わない。思わない。しかし確実に限界がやってきていた。
「いつも言ってるでしょう、ハンカチを持ち歩きなさいって」
そこへ筋肉だるまに担がれた一人の女性が現れる。筋肉だるまこと英雄はサッと下ろし、「じゃあ王宮に行ってくるぞーー!」とまた走り出した。侯爵が馬車を使わないとは一体。そもそも瓦礫などで馬車が使えないのだが。
「レィちゃん、よく頑張ったわね。あとは私に任せなさい」
コツコツと、戦場で使っていた靴を響かせて、母は大聖堂の神像の前にくる。膝をつき、手を組んで。
「お母様はね、伊達に聖女って呼ばれていないのよ」
大聖堂中が眩い光に包まれ、軽度の怪我は一瞬で、重傷だったものも徐々に痛みが引いてゆく。
「まだ残っている人は言ってちょうだい。治しに行くわ。もし重症の人が混ざっていたら、すぐにラファエルの方へ」
避難所のあちこちから安堵の声が聞こえてくる。レティは母を尊敬し、自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。
「お母様、私も、それができないかしら」
「…………あなたが、望むなら」
その姿が、母には複雑だった。レティには力がありすぎる。ありすぎるから、やろうとしてしまう。しかし、それが幸せかどうかはわからない。
それでも、助けられなかった時の方が傷つく子だから。
「レティシア。私たちのように、あなた達にも試練が訪れているのね」
「祈りましょう、あなた達の未来を」




