40. 筋肉は裏切らない
その日は、期末試験の最終日だった。
レティの大の苦手な数学の試験の時間であり、裏面は計算結果の四択となっていた。レティはもう頭から煙を出しながら、数字の振られた鉛筆を転がす。前は潔く真っ白で出したものだが、せっかく四択にしたんだから適当でも書いて欲しいと先生に泣きつかれたのだ。
「ん?」
冬の曇りにしては随分空が暗く、空気が重い。気配に敏感で、人外の視力を持つレティがいち早く気づく。
ワイバーンの群れが、こちらに飛んできていた。いくら壁を作ろうと、空からの敵は対処できない。闇と共に魔物は暴れ、人を襲う……。避けられない不幸を、人は災いと呼ぶ。
試験中にも関わらず、レティは立ち上がった。
「先生、試験は中止ですわ。すぐに解答を集めてくださいまし」
「えっと、オベール様?」
「魔物災害よ」
その一言で、教室内がざわついた。前回起きた時の被害は甚大であり、当時幼かったレティたちでもその凄惨さは知っている。逃げようと荷物をまとめる者、机の下に隠れる者、泣き始める者……混乱に陥った中で、レティは毅然と立つ。
「狼狽えないで」
低く、それでいて大きな声だった。その魔力の強さに痺れ、教室は静まり返る。
「ルネ、王宮や我が家との通信をお願い」
「……はい!」
ルネが魔法陣を展開させ、各所との連携を始める。王宮の各省庁やオベール家の聖女、教会とも繋がり、状況が把握されていく。
「アネット、生徒会権限で全校伝令を」
「わかりました」
生徒会の役員でなければつけられないブレスレットを身につけて、アネットが生徒会室へ走る。
「ロラ、このまま王城へ向かって、前回の魔物災害の記録をまとめて」
「かしこまりました」
どこから、と言わなくてもロラは知っている。学園の一部教員や生徒しか知らない、王宮と学園を繋ぐ隠し通路の場所へ向かった。
そこで放送が入る。待機指示と現状伝えた方がいいこと。その後も指示に従い、落ち着いて行動すること。アネットの柔らかな声は一般生徒を落ち着かせ、指示を出すレティの声は硬く、選ばれし者たちの身を引き締める。
「アダン、ヴィクトル、フラン、マクシム、エタン、レオン……今呼ばれた貴方たちは三人一組になって、校舎に入ってこようとするワイバーンの対処を。もちろん一匹ずつ、油断せずに命最優先で、無理はしないこと」
「「御意」」
学園は王都に近く、また叡智の結晶である校舎は防御力が高い。それでも、盤石ではない。結界魔法は教室内が限界で、使えるものも限られる。
「ヴァネッサ、私の言いたいことがわかるわね?」
「レティ様のように選抜した生徒を集め、同じ指示を」
「信頼しているわ」
「お任せください」
ヴァネッサは愛剣を携えて向かった。
指示を出し終わり、最高戦力であるレティもまた、迎撃しに行く。
「私は被害の大きそうな市内へ向かうわ。後のことは頼んだわよ」
しかし、開けたドアの前には殿下がいた。
レティが気づくと同時に神託が出され、緊急会議に招集されていたのだ。急いで指示を出し、レティを阻止するために戻ってきた。
「レティ、行かせないよ」
魔力がバチバチと弾け、紅と紫水が交差する。
「……殿下」
「ダメだ。君が出る必要はない」
殿下の意志は固い。あの文化祭の日、泣いて悔やむレティを見て決めたのだ。もう絶対にあんな思いはさせないと、トラブルから徹底的に遠ざけていた。
「っ力を持つ者が、持たざる者を守らなくてどうするのです」
「それは君が傷ついていい理由にはならない!」
民が守れないことでレティが傷つくように、レティが傷つくことで殿下は世界を恨むのだ。レティがいなくなってしまえば、殿下は生きている理由がない。
レティは背伸びして、顔をくしゃくしゃにする殿下の髪を撫でる。
「……宝石は傷ついて輝くのだと、教えてくださったのは殿下ですのよ」
殿下の気持ちなどわからないレティは、迷わずに進む。その言葉が、どれだけ残酷か気づかずに。
「今度こそ守りきりますから」
鍛えた筋力は裏切らないと、ただそう思っていた。




