38. 二重の意味で死んだ
文化祭の代休が終わるとすぐにグラシアンの日だ。勝ち組の男子生徒がニマニマしながら品を選び、うっかりお返しが足りなかった女生徒が慌てて用意する休日終わりの午後の頃合い。レティは公平性のためにお返ししないため、いつもは殿下からもらうのみだったが、今年は違う。
「ねぇヤミー、牽制のお返しってどうすればいいと思う?」
「キュウ?」
手遊びに亜鈴を持ち上げながら、自室でうんうん悩んでいた。恋心を持っていない者が婚約者のために牽制するとは一体。その時点で無理なのだが、レティが気づくはずもなく。そもそも殿下に言い寄ってくる者などいない。例え王族になれたとしても、利益にならなければ自分を殺すかもしれない男などお断りだ。
「うーん、もうわからないわ! とりあえずお菓子を作らなければ!」
レティは思考をやめた。思わず亜鈴を持ったまま、厨房へ突撃する。そこではメイド長と料理長、母が今晩の夕食について考えていた。
「レティ様、おやつでしたら焼きリンゴがありますから、亜鈴を置いて手を洗ってきてくださいな」
「あ、でも食べすぎないでくださいよ〜。今晩は獣ステーキのほろほろ煮込みスープですから!」
「んもう皆んな甘やかして。レィちゃん、お腹が空いたからって突撃は良くありませんよ」
レティが普段何をしているかがよくわかる反応だ。かくかくしかじかと話すと、母が目を輝かせる。母は乙女だった。あと、じゃじゃ馬な娘を引き取ってくれる殿下に対して割と好感度が高かった。
「じゃあマドレーヌとかどうかしら!?」
「直伝のレシピをお教えいたしますね」
レティがよくわからないままに話が進んでいく。母は浮かれ、メイド長の手伝いを断った。
「本当に大丈夫ですか!? 大丈夫ではありませんよね!?」
古株で冷静沈着なメイド長が珍しく慌てたが、母は大丈夫よぉの一点張り。
「お困りになりましたら、すぐに、呼んでくださいね!」
最終的に根負けしたメイド長は隣の休憩室へ行き、レティと母は二人して首を傾げた。実は母譲りの癖なのだ。
マドレーヌの作り方は簡単で、材料は小麦粉、ベイキングパウダー、砂糖、バター、バニラエッセンスのみ。
「さあ始めましょう」
「はい!」
まずはバターを溶かし、その間に粉類を全部計量。これは計算が必要なため、母がやる。そうしたら小麦粉とベイキングパウダーを合わせてふるう。
次にボウルに卵を割るのだが、レティがやると粉砕させてしまうため、これも母がやる。
その中に砂糖を三回に分けて入れて混ぜる。腕力が必要になるここからがレティの役目だ。卵の色が白くなったら、ヘラに持ちかえて、溶かしておいたバターを分離させないように少しずつさっくり混ぜていく。
「ねぇ、お母様。見えない敵を倒すには、どうすれば良いの?」
単純作業をしている時というのは、悩みが降ってくるものだ。レティがポツリと尋ねれば、母は察して穏やかに考える。
「目の前に出てくるまで待つか……」
「でも、それでは遅いの」
「……なら一緒に探してくれる人を見つけるのよ。何度でもいうけれど、人は一人では生きていけないのよ。国は一人では成り立たない。人がいてこその国であるように」
レティは静かに頷いた。幼い頃からよく言い聞かされてきたことだ。
あとは粉類をまたさっくり混ぜて……。バニラエッセンスを加える。これで布をかけて三十分生地を休ませて、型に入れて、十五分くらい焼いたら完成だ。
「大丈夫よ、焦らないで」
「はい……」
そんな大事な話をしつつも、オーブンから焼き上がった匂いが漂う。
出来上がったのは暗黒の何かだった。禍々しすぎてこの世のものとは思えない。例えるならば瘴気が一番近く、ヤミーは懐かしさを感じていた。
作り方も手順も何もおかしくない。しかし母が手を出せば絶対にこうなる。メイド長はそのことがわかっていたのだ。
「あらら……」
「香ばしい匂いですわね、お母様」
「そう? じゃあお母様もお父様に渡そうかしら」
「きっと喜びますわ!」
英雄は死んだ。愛する妻の手料理で死んだのだ。我が生涯に一片のなんちゃら〜と言ったところであったが聖女の打撃ならぬ殴打式回復魔法で生き返った。
「これをみんなのいるところで渡せばいいわ」
母の言う通り、レティは翌日の学校で殿下に渡した。
マドレーヌのお返しの意味は「あなたともっと仲良くなりたい」「親密になりたい」などである。
殿下はキュン死した。食べてもう一度死んだ。




