36. 人ならざるひと
「サイゴまで妻と子供だけはって、見た目ラしからぬアツイおと……」
レティは足に力を入れ、一気に間合いに入る。準備室の床が抉れた。レティは敵の首を掴み、壁の叩きつける。壁が壊れた、がどうでもいい。
戦いの最中に敵の煽りなど聞いてはないけない。相手を確実に仕留めろ。それが英雄の教えだった。
「コレは無理デスネ……チカラに差がありすぎル」
レティは確実に首を絞めていた。死なない程度とはいえ、人体の構造的に話せないはずだ。それなのに、何者かは流暢に喋る。これは思ったよりも危険かもしれない、殿下が殺そうとした時。
「仕方がない。閉幕デスヨ」
パチン、と指を鳴らす。何者かは灰になって消えていた。もう魔力の気配すらない。
そこにあるのは、ボロボロになった準備室だけだ。
「チッ。逃げられた」
殿下の舌打ちと共に、レティは床にへたり込んだ。その紅い瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。殿下は慌てて駆け寄って、レティの背を撫でる。しゃくりあげて息が苦しそうだった。
「っ先生を探して。あの男の言葉には、嘘と本当が混ざりすぎて、よくわからなかった」
まず自分の感情を吐き出したいだろうに、それでもレティは他者を考える。男の言葉通りに殺されたのだと思っていた殿下が目を見開いた。
「ああ、大丈夫だよ。すぐにルネが探す。だから……」
破壊した壁から冷たい風が吹き込み、あの男が握りつぶした写真が飛んでくる。レティはそれを拾い、どうにか広げようとする。
「あの男は禁忌の分身魔法を使っていた。だから君は殺していないよ」
「ええ、大丈夫。わかっているわ」
それでもレティは泣き止まない。ごめんなさいと溢して、涙を乱雑に拭う。爆発によって暖房魔道具が壊れ、白い息と真っ赤な頬が酷く目立つ。
「レティ。いいんだよ、レティ。君は叫んでいいんだ」
殿下はレティをより抱き寄せて、涙を優しく拭い、そのまなじりにキスを落とした。
レティは唇を噛み、うずくまるように下を向く。
「っわたくし、まもれなかった」
悲痛な声だった。
レティは、ずっと悔やんでいた。レジーヌの時も、体育祭の時も、シルの時も、今回も。レティの知らないところで巻き込まれたり、危険から守れなかったり。レティがいくら守りたくても、そのために鍛錬しても、その救いの手からポロポロとこぼれ落ちていく。
「……レティ、君は神様じゃない」
「でも、私は守らなければ、っ守りたいのに」
完全無欠ではないからこそ、レティは高みに立っていた。人を寄せ付け、人に寄り添い、時には強大な力を振るって皆を守る。それは、一種の神に似ていた。物事を常に一歩引いて見る殿下にとって、レティは異様だった。そんなレティに、殿下も救われた。
「レティ、君は……」
僕だけの神様でいてよ。
そう言おうとした時、ルネから伝令が入る。先生が学園内……旧王城だった時に使われていた地下牢から見つかったというのだ。ヴァネッサが救出に向かい、寒さで衰弱はしているが無事らしく、ロラによって家族とも連絡がついた。
「彼は見つかった。無事だよ」
「それは……よかったわ……」
「ここの後片付けは僕に任せて。君は文化祭を楽しむんだ」
レティは首を振る。真の意味で敵を倒せたわけではないのだ。
「君は皆の思い出を守ると言ったけど、レティの文化祭も、これがもう最後なんだよ」
「でも……」
「君ならわかるはずだ。もうここに敵はいない」
殿下はレティの体を抱き起こして、顎を肩に乗せる。いつものレティなら、下を向いていても気分が落ちるだけだと言うだろうから、と。
「ごらん、皆文化祭を楽しんでいる。レティが守ったから、楽しめているんだよ」
殿下はレティの真っ赤な顔を氷魔法を帯びた手で冷やす。今までどうでもよかったが、得意な属性が氷でよかったと、初めて思った。
しばらくすると仕事を終えた親衛隊員たちがやってきて、レティは文化祭に戻っていった。忘れることはない。とはいえ、レティは単純だった。普段通りに接してくれる親衛隊員たちに、いつもの調子を取り戻していく。
「……これで確信した。全ての敵はカピティアか」
そんなレティを監視用水晶で見ながら、殿下は風穴の開いた準備室で独りごちた。




