31. いつもと違う
「で、殿下……?」
迎えに来た殿下は、いつもとは違い庶民的な服装をしていた。伊達メガネをかけ、長いマフラーで口元を隠し、キャスケットまでかぶっていた。美形オーラは消えていないが、遠くから目を細めてみれば王子だとは思わないほどだった。
「レティ、迎えに来たよ。さぁ、この服に着替えて」
レティが渡されたのは豪華なドレス……ではなくこれまた庶民と同じ服。とはいえ中の見えない生地は高級品で作られており、殿下と仕立て屋の気概が感じられる逸品だ。
「びっくりしましたねぇ」
「どうしたのかしら」
着替えを手伝うメイド達は殿下の話で盛り上がる。単にサラが伝えた通りにしているだけなのだが、レティは知る由もない。
プレゼントの一つの大きい真っ赤なリボンでハーフアップにし、マフラーを巻き、庶民らしくも素材のいい靴を履く。今日も殿下のトータルコーディネートだが、紫色はどこにも入っていない。
「レティ、手を繋ごう」
「え、ええ……」
いつもは何も言わずに繋いだり抱きついたりするくせに、いつもとは違う格好で、いつもとは違う風に許可を取る。
馬車に乗らず、過度なエスコートをせず。サラとしたかったような穏やかな街歩きだった。
「ローストチキンが食べたいのかい?」
レティが頷く前に丸々一羽買ってくれる。近くの噴水に腰掛けて、レティは渡されたものを齧った。綺麗なお嬢さんが家族で分けるようなチキンを丸齧りする図である。
「美味しい?」
殿下は頬杖をついて、レティを覗き込む。
もごもごと食べながら、レティは混乱した。目の前にいるのは殿下の見た目をした殿下ならざる者だと勘違いするほどだった。
その後サラが合流しても殿下の態度は変わらず、シュトーレンを食べたり、弟妹たちへのプレゼントを選んだり。殿下は人前でベタベタすることなく、ただレティを見ては穏やかな笑みを浮かべていた。レティはもうずっと調子が狂わされていて、ポッポと赤くなっては誤魔化すように何かを食べる。殿下は未来の旦那様であり、恋人って何それおいしいの? これがレティであった。
……そんな時、殿下がレティの肩を抱き寄せる。
「レ……」
「せいやっ!」
背後から伸ばされていたスリの手は掴まれ、次の瞬間には地に背がついていた。
「カハッ!」
その衝撃に石畳がへこむ。スリがどうにか目を開けると、カモだと思っていた少女が仁王立ちしていた。……死が、背後にいる。
「私から盗みを働こうなんて百年早いわ!」
言うまでもないオーラが出ているなんてわからないレティはスリに宣言し、それからジロジロと見ては首を傾げる。
「ねぇ、殿下」
「……カピティア人だね」
もし自国の人間であったなら、スリをしなければならないほど困窮している理由を聞き出しただろう。しかし、スリはカピティアの男だった。
カピティアは戦争のツケを払わされており、経済状況があまり良くない。最近はセリタスに逃げてきて悪事を働いている者が多かった。
しょっぴこうと殿下が拘束魔法を作ろうとした時、レティがポンと手を叩く。
「ねぇサラ、仕事を紹介する場所って作れると思う?」
金がないなら働かせよう、なんとも安直な考えである。だが、サラは一理あると考えた。
「……私だけじゃなんとも。でも、オベール領とか小規模で試す価値はあると思う」
「ロラにも手紙を出してみるわ」
頼れる人は多い。もの凄いスピードで決まっていく話に、死まで覚悟したスリは呆然とした。
「なんで、そこまで……」
いまだに衝撃で立つことのできないスリに、レティはしゃがんで目を合わせる。
「貴方は私の未来の国民ではない。けれどこの国に来た以上、私たちと共に生きるのだから」
……愛する未来の国民たちが、困らないように。
この世界に公共の仕事斡旋所が生まれた瞬間だった。
レティは普段と違う殿下のことなど忘れた。新年は社交パーティなどで忙しく、殿下もなかなかアプローチができなかった。学園の冬休みというのは、案外短い。




