3. 国母とは……?
「へ?」
ダニエルの首の皮が一枚つながった瞬間だった。取り巻きはレティ節に心酔し、他生徒は安堵する。レティを害した奴を社会的に殺そうとしていた殿下は額に手を当てた。
「……レティ。それは」
「甘すぎる、だなんて言わせませんわよ。私は未来の国母。だとすれば彼は未来の子供ですわ。人を疑い、勝手に決めつけるのは悪いことです。悪いことをしたら、罰を受けなければ!」
「ねぇ、レティ」
「ダニエル、そんなに顔を青ざめないで。大丈夫よ、私も一緒に走って差し上げるから。百周なんてすぐよ」
どこの世界に、罪人と一緒に校庭を走る侯爵令嬢……王太子殿下の婚約者、未来の国母がいるのだろうか。あと、学園の校庭は魔法訓練場も含まれており、相当広い。百周はすぐじゃない。常人はレティほど爆速じゃない。
これはもう何を言っても通じないな……と殿下は諦めた。
「はぁぁぁ……レティの寛大な心に感謝するといい」
かくして、ダニエルはレティに救われた。貴族にとって死に近い降格を免れた。後でゲロを吐く羽目にはなりそうだが、安いものだろう。
「ちゃんと罰を受ければ、全てを許すわ。二度目はないけれど」
「……レティ様!」
ダニエルは美しい土下座をする。恋心に崇拝心が勝った瞬間でもあった。
レティは強く正しく美しく、を地で行く人だった。
……そもそも、オベール家はただの侯爵ではない。
五十年にも及ぶ隣国との戦争をたった一人で終結させた筋肉だるま……元騎士団長の英雄の父。神官補佐でありながら前線で兵士の回復に努め、聖女と讃えられた母。一番上の兄は騎士団長を継いでおり、二番目の兄は次期司教候補。
そして末の一人娘が、レティシア。父譲りの脳筋と母譲りの膨大な魔力を持つ、未来の国母である。
あまり政界には出てこない上に、個々の活躍が目立ちすぎて忘れ去られがちだが、異色な二人が結婚したことにより、オベール家の力は少々おかしかった。
しかし、この貴族社会のパワーバランスを保つということは、レティが尊ばれる真の理由ではない。
誰よりも優秀で、見目も整っているクロヴィス殿下。人心掌握に優れており、できないことはない。そんな彼に女生徒や他国の姫が寄ってこないのは、何も婚約者がいるからというわけではなかった。
「……邪魔な辺境貴族を潰すチャンスでもあったんだけどなぁ」
この男、生まれた時から冷酷無慈悲で人でなしだった。俗にいう、欠陥のある人。愚行を起こすとまでは予想していなかったようだが、今回の件もわざとダニエルを泳がせていたのだろう。仲間なら心強いが敵にはしたくないタイプだった。
「何か仰いまして?」
「いいや、なんでもないよレティ。本当に走るのかい?」
「ええ! 一人で走るのは寂しいでしょう?」
……その彼が唯一心を動かし、執着しているのがレティである。
レティに嫌われたくない、レティを守りたい、その一心だけで、殿下は次期最高権力者の地位に座っている。これは周知の事実であり、殿下の執着と牽制が恐ろしすぎて、一般男子生徒はレティと目も合わせられない。
「さぁ、皆様。学期末パーティーを再開しましょう」
「レティ、もう一曲踊ってくれるかい?」
「えっと、その、私赤点の補講が……」
ただ恐ろしいことに、レティは殿下のそれに気づいていない。しかも恋愛感情を抱いていない。レティは殿下の行動を愛情表現だと勘違いし、未来の国母として受け止めている。
「補講は明日だよ、レティ」
「えぇ!? あ!」
「例え今日だとしても、その美しい姿で補講なんて行かせない」
「私、知っていますのよ。それって、不良っていうのでしょう? 不良は良くありませんわ!」
……つまり、殿下の物凄く重い片想いだった。
可哀想なくらい脳を焼かれた上での。